9-2. ゼロ距離

「あの時、殺しとくんだった」

 そう言って、蠍が拳銃を抜こうとした瞬間。

 ナイフが蠍の目の前を過ぎる。その時には、首を切り付けられていた。

 だが、刃が当たる寸前に首を引いたので、深くは切れなかった。

 

 蠍の首に、浅く血が滲んだ。

 即座に後退し、間合いを取る。

 だが、次の瞬間、足元が乱れる。

 

 みちるが蠍の足を払ったのだ。

 体勢が崩れたところへ、みちるが飛び込んでくる。

 その手にある、血のついたナイフが、蠍に襲いかかってくる。


 蠍はその腕を掴み、みちると至近距離で睨み合う。

 歯を食いしばり、顔を歪める蠍に対し、みちるはすました顔で感情のこもらない眼をしている。


 一言も交わさず、ただ敵意を向け合う。

 蠍の腕も、みちるの腕も、力が入りすぎて小刻みに震えている。

 

 ――ただの武器商人にしては、動きが場慣れしすぎている。

 

 蠍の中で、みちるへの違和感が生まれる。


「お前にはっ、殺されたくねぇんだよ」

 蠍は渾身の力を込めて、みちるの腕を振り払う。みちるの手からナイフが落ち、床を転がっていく無機質な音がした。

 

 みちるの注意が、一瞬、ナイフへ向く。

 そこへ、蹴り上げた蠍の足の甲が、みちるの顎を捉えた。

 鈍い衝撃音。

 みちるの体が仰け反り、一瞬、膝が落ちる。

 だが、床に手をつくことなく、すぐに姿勢を戻した。

 みちるは顎に手をやると、苦痛に顔を歪める。

 

 蠍が拳銃を抜き、構えようとする。

 みちるはその腕に飛びかかり、捻り上げて動きを封じる。

 全体重の力を肘にかけられた蠍は、悲鳴を漏らす。

 蠍の拳銃が床へ転がり、お互いに武器が手元にない状態になる。


 みちるは、蠍の腹に蹴りを入れる。蠍は中腰になって、頭を下げる。その首に腕を回して、みちるは絞め上げようとする。

 一方の蠍は、みちるに抱きつくように体を寄せ、ボトムスに入っていたものへ手を伸ばす。

 それに気づいたみちるが、体を離そうとしたが、それよりも先に、蠍は手にしたものを引き抜く。


 手榴弾のピンに似たものが、蠍の指先に残っていた。

 蠍は、みちるのボトムスのポケットが、やたらと膨らんでいたのを見逃していなかった。

 みちるは蠍の腕から離れようとするが、そうはさせなかった。


 あっという間に、煙が周囲に広がっていく。


 それは、手榴弾ではなく発煙弾だった。

 手榴弾だと思ってピンを抜いた蠍は、思ったものと違っていたので、派手に舌打ちをする。

 今、暗闇の中で煙幕が焚かれているので、視界は15センチもない。


「でも、俺の方が有利だ」

 低く呟き、蠍は気配を殺しながら、静かに動き出した。

 

 蠍は近接戦担当だ。

 爆炎の中、敵を仕留めてきた経験が数多ある。

 視界が奪われ、一時的に動けなくなった標的など、蠍からすれば、置物同然だ。


 みちるは煙の中、目の前を手で払っている。

 険しい表情で、視線をありとあらゆる方向へ向け、周囲がどうなっているのか、把握しようとしていた。


 そのみちるの右肋骨に、煙からぬっと現れた蠍の膝が入った。

 みちるは、ひゅっ、と息を吸い、吹き飛ばされる。

 

 みちるが床に倒れ込んだところを、右肋骨中心に蠍が蹴りを入れ続ける。

 みちるの右肋骨の隙間、そこは一昨日の夜中、蠍がナイフで刺したところだ。

 声にならない悲鳴が、みちるの口から漏れる。蠍は愉悦の顔で、みちるの傷口を踏む。


 ――突然、光が射す。


 倉庫内が外からの光に照らされ、煙が光の方向へ流れていく。


 扉が開いた。


 そう察した蠍は、扉の方へ体を向ける。

 

 その瞬間。

 

 顔全体に走る衝撃。

 蠍の目の前が、真っ白になる。痛みが一拍遅れてやってくる。

 そこでやっと、横っ面を派手に殴られたとわかる。

 口の中の血を舌で確かめながら、蠍は目を細めた。


 蠍の足は、まだみちるを踏んでいる。つまり、殴ったのは、

「梟……」

 目つきの悪い灰色の眼、癖毛の黒髪を伸ばしっぱなしにした、胡乱な男だ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る