6-5. 贖罪の意味
感情の見えない黒い瞳が、わずかな動きも見逃すまいと、じっとこちらを見つめていた。
その視線に落ち着かなくなり、目を伏せると、ゆっくり煙を吸い込んだ。
それから言葉を吐き出す。
「蠍がいつから、軍の下部組織に入れられたのかは知らない。あいつの出自もいろいろ噂があったが、興味がなかった。将来有望な、才能ある子供が来たと、それだけ思っていた」
まだ子供だが、このまま育てていけば、いずれ『
「いつからかは知らないが、少なくとも十歳の時には、あいつは総帥……国軍総帥から……性的虐待を受けていた」
それを聞いたフチノベ ミチルが、眼を見開いた。
「国軍総帥って、あなたが育て親だって言っていた?」
少し震えたように見えた唇から、掠れた声が小さく聞こえた。頷くのも億劫で、何もリアクションはしなかった。
「あいつが言ってくるまで、俺はそんな話を誰からも、一度も聞いたことがない。俺には、そんなことをしなかった」
煙草の煙を眺めながら、胸から湧き上がってくる苛立ちの混じった不快感をどうしたらいいのか考える。
自分のことならまだしも第三者の身の上に起きたことを、当時を知らない人間に語るのは、こんなに不快なものだとは知らなかった。
「あまり考えたくない想像だが、あいつは昔から綺麗な顔だったし、最初からその目的だけに引き取られた可能性もあるだろう」
フチノベ ミチルが露骨に顔を顰めた。
文化も言語も異なる異国でも、それこそ世界中のどこでも、児童虐待は忌み嫌われる。
だが一向に無くならない。
戦争と一緒だ。
発生する構造は全く異なるにしろ、なくせと皆が声高に叫んでいるのに、この世から消えた試しがない。
「それを、本人から告白されたのが、七年くらい前」
蠍は当時、十一歳だった。
声変わりもしていなかったし、顔つきは男性的になるどころか、まるで少女のままだった。
フチノベ ミチルは忌々しそうな表情を浮かべる。
対等な力関係の下には、いじめや虐待といったものは存在しない。それらは、圧倒的な力関係の差があって成立するものだ。
「蠍が言ってくる直前に、ただ一度だけ、現場を見たことがある」
それは全く偶然に、覗き見てしまったものだ。
蠍は唇を噛み千切る勢いで噛み、
涙の溜まった青い瞳と眼が合って――眼を背けた。
いまだに、あれは夢だったのではないか、と思いたい気持ちがある。
自分はその現場を見ても、総帥を制止することもせず、目の前の出来事を正視すらせず、逃げるようにその場を立ち去った。
「その後、蠍から打ち明けられた」
自分が現場を見ていながら、何もしないで消えたことを知っていて、打ち明けてきたのだろう。
総帥の前では涙を溜めるだけで耐えてきた少年が、次から次へと涙を流しながら、救いを求めてきた。
自分はその姿をじっと見つめて、どうするべきか考えあぐねた結果。
お前なら……抵抗できただろう。もう、忘れた方がいい。
蠍へそう言い放った、この自分の浅はかさを知るのは、もっと時間が経ってからだ。
自分の言葉を聞いた蠍は、青い瞳から涙が一筋零した。だが、それからは涙も出なかった。
その一言が、涙を枯れさせてしまった。
「俺は、あいつの言ったことを全部、否定した」
何故、と無言の黒い瞳は問いかける。
「信じたくなかった」
現場を見ていながら、自分は「理想の親」だった総帥を守ろうとした。
優しく、時に厳しく子供達を指導し、この人と、この人の理想のためなら命を懸けてもいいと思っていた。
それを全て否定するような事実は、受け入れられなかった。
「蠍が決意を持って打ち明けたことを、捻り潰した」
言い終わると、重苦しい空気が肺に入り込んでくる。
「総帥は身寄りのない俺にとって、理想の親だった。今だって、育て親として尊敬しているのは変わらない」
何も言わずに、黒い眼が俺を射抜く。責める言葉すら必要ないほどに。
「それきり、あいつは、そのことについては何も言わなくなった。そんなことなどなかった、という顔をして」
だが、それからというもの、蠍は自分に何かと執着するようになった。
殺意と愛情の混じり合った憎々しい感情を、いつもぶつけてきた。
それしか、蠍にはできる方法がなかった。
蠍を追い詰め、孤独にさせたのは、自分なのだ。
だから自分は、罪滅ぼしのために、それを甘んじて受けてきたつもりだ。
「俺の謝罪は、何の意味もない」
何をしたところで、いまさらもう遅い。
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