6-3. 交わした殺意
*
遡ること12時間前。深夜一時。
渕之辺 みちるは、人通りのなくなった深夜の道を歩いていた。
終電にぎりぎり間に合うかどうかのところで、歩くのを選んだ。一人になりたかったという気持ちが強かった。
自宅まで、徒歩であと30分。このあたりは古くからの下町で、家々は寝静まって静かだった。窓に灯る明かりも少なく、道は街灯が照らしているだけだ。
みちるは、ふと立ち止まる。
この数分前から、何者かに
――誘い出そう。
尾行てくるのが誰なのか、確信はできないものの、薄っすら見当がついていたみちるは、道を逸れる。
その道の先には、かつて稼働していた、小さな工場跡がある。
寂れて廃墟と化した工場跡は、立ち入り禁止の看板も、表面が剝がれかかっている。
みちるは工場の敷地へ踏み入れ、工場の入口脇に放置されているドラム缶の影に身を隠す。
尾行者はみちるの姿が一瞬見えなくなっても、焦る様子はなく、一定のペースで近づいてくる。
工場を目の前にして、尾行者の気配が止まる。
みちるは息を呑んだ。ウェストに挿した
ドラム缶に向けて、発砲される。それも、二発続けて。
銃弾は、みちるの顔の横を貫通していった。その瞬間、みちるは口元を、ニヤッと笑う形にする。
「お久しぶりですね」
みちるはそう言いながら、ドラム缶の影から躍り出る。
気配の主に向かって引き金を引く。
そこにいるのは、青白いほどの白い肌を持つ、青い眼の青年。――
みちるの撃った弾は避けられる。それは想定済みだった。
蠍は、表情一つ変えずに、みちる目掛けて銃を撃ち続ける。
最初のうちは、工場の建物を使って巧妙に隠れ、みちるは弾丸を避け続ける。
ドラム缶への射撃から数えて十発目、みちるは徐々に蠍の近くへ寄っていく。
十一発目の弾丸は頬を掠めていった。十二発目は首のすぐ脇。十三発目は、眼の横。弾丸が掠めていった時に、切断されていった髪がはらりと落ちる。
十四発目は足の間。十五発目は、頭を下げて辛うじて避けきった。
蠍が引き金を引こうとして、止まる。十五発の弾丸すべてを吐き出しきったのだ。再装填しようと、蠍が一瞬、みちるから気を逸らした。
その瞬間。
みちるの右手が素早く伸び、蠍の拳銃のスライドを掴む。
その瞬間、みちるは地面を蹴り、掴んだ腕を支点にして身体をひねる。脚が大きく回り込み、蠍の肩越しに弧を描いた。
重心を崩された蠍は、一瞬バランスを崩すが、即座にナイフを抜き、みちるの腕に突き立てる。
しかし、みちるは刺されたことなど気にする様子もなく、そのまま勢いを殺さず着地した。
次の瞬間には、すでに蠍の背後を取っていた。
みちるの左腕が蠍の首に巻きつく。
「このっ……バケモノが!」
蠍はみちるの腕からナイフを抜くと、叫びながら何度も、首に巻かれた腕を刺す。
「はいはい、痛いからやめてね」
そう言いながら、みちるは蠍の首を絞める腕の力を強める。それに対応するように、蠍は激しくもがき、腕を刺すナイフの動きはさらに忙しくなる。
血のぬめり気と刺された痛みで、みちるの腕の拘束は緩んでしまった。その瞬間を待っていたかのように、蠍は腕から頭を抜く。
蠍は、装填していない拳銃を放り投げ、ウェストのホルダーにしまっていたナイフを手にして、みちるの首を切りつけようとした。
みちるはそれを、身を捩って逃げる。
その間にも、蠍のナイフは間断なくみちるの体を切りつけようと動いている。
蠍のナイフが横に振られる。みちるは避けきれず、首の左側を浅く切られる。次の一撃は肩へ。鋭い刃が服ごと肉を裂き、じわりと熱いものが滲む。
みちるが銃を構えようにも、蠍のナイフは、その動作をする隙を与えない。
銃を諦め、みちるも服の下に隠したナイフを出した。だがそれでも、応戦するのが精いっぱいで、とても攻撃には繋がらない。
近接戦なら、蠍の方に分がある――。
みちるが眉間に皺を寄せ、蠍のナイフの攻撃からどう攻勢に移るか、と考えようとした瞬間。
肋骨の隙間を抉られる。
抉られた瞬間、みちるは全身の力が抜けそうになる。この一撃が深手なのは、肌感覚で察した。
みちるは即座に蠍から距離を取ると、そのまま地面へ屈み込む。
刺された場所を押さえて、何とか痛みに耐えるが、形勢が逆転されてしまったのを感じていた。
うれしそうな顔をした蠍が、ナイフをちらつかせながら、近づいてくる。
「ほんっとーにムカつく女」
忌々しそうに、みちるを見下ろす青い眼。怒りと苛立ちが色濃く出ている。
みちるは眼に力を込め、蠍をじっと睨みつける。
警察車両のサイレンが、少しずつ近づいてくるのが聞こえてきた。
サイレンサーのついていない拳銃での発砲音は、深夜の住宅街では目立ち過ぎたのだ。
「くっそ、なんでこの程度で警察が出てくるんだよ」
蠍は音のしてきた方へ顔を向け、地団駄を踏むように足を踏み鳴らした。
「日本って、そういう国だから」
みちるは、鼻で笑いながら言う。
常識の範疇から超えたことばかりする人間でも、警察の存在には怯えているというのは、他人から見れば面白い。
蠍はみちるに背を向けて、足早に去ろうとした。
「殺していかないの?」
その背中へ、薄く笑いながらみちるは声を掛ける。
「これは……
その言葉を絞り出した蠍の顔には、屈辱と怒りが滲んでいる。
蠍は走って、工場前の路地から姿を消していく。
それがあまりにも、悪戯が見つかった子供が逃げていくような姿に似ていたので、みちるは声を殺して笑ってしまった。
「そっか……。じゃあ……私も逃げなきゃ」
そう呟くみちるの声は、かすかに息が混じっていた。傷口を押さえる手の指先が、わずかに震えている。
サイレンがはっきりと聞き取れる距離になって、みちるはゆっくりと立ち上がった。
傷口を押さえた手の隙間から、じわりと熱い液体が滲み出てくる。
血の匂いが、鼻を衝く。
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