5-2. 口を滑らした女


 フチノベ ミチルは濡れた吸い殻をボウルから拾い上げ、それから手を洗った。

 タオルが見当たらないことに気づいて、服で大雑把に水を拭って、消毒薬を手に擦り込む。

 

 新しいガーゼを手に取ると、再び傷口に当て、包帯を巻き始めた。

 

 武器商人が怪我の手当てに慣れている、というのは少し意外な気がした。


「首は自分でやる? 私がやる?」

 包帯を巻き終えたフチノベ ミチルが尋ねてくる。

 止血は終わったとはいえ、右腕を動かすのは億劫だった。

 

「頼む」

 体ごとフチノベ ミチルの方に向けると、顎を上げろと言われる。

 

 さっきと同じように傷口にガーゼを当て、押さえつけて止血する。

 こうやって首を触られるのも、先ほど同様に嫌悪感がある。

 ひたすら、歯が浮くような不快感を耐えるしかなかった。

 

「一つ聞いても?」

 その時のフチノベ ミチルは、今までの流れとは打って変わって、神妙な口ぶりだった。

 

「蠍と昔、何かあったんですか?」

 首筋の傷口を押さえられているだけだが、この手が首を絞めようとしてくるかもしれない。

 

 何の根拠もないが、そんなことをぼんやりと思った。

 

「お前には関係ない」

「へぇ、そうですか」

 フチノベ ミチルの質問に答える気はなかった。

 フチノベ ミチルも、自分がすんなり答えるとは思ってなかったのだろう、それ以上食いついてくることもなかった。

 

 首筋にかかる手の力が緩んで、ガーゼを丁寧に剥がしている。

 さっきと同じように、手についた血を洗い流した。

 フチノベ ミチルの手が離れたことにほっとして、思わず深い溜め息をついた。

 

 だがすぐに、離れていったはずの手が、首筋に伸びてくる。

 その手は新しいガーゼを当て、テープで留める。テープが剥がれないように押さえてくる手の感触が、本当に苦手だ。

 思わず顔を背けていると、話しかけられる。

 

「私について、あいつは一言も、何も、言ってなかった?」

 伏し目がちになった、心なしか虚ろな黒い眼。

 存在を認識してもらえないのは屈辱だと言うが、厳密に言えば認識されてはいる。

 

「あぁ……お前をバケモノとは呼んでいた」

 あいつからしたら、この女はバケモノ扱いだが。

 

「あんのクソ野郎」

 フチノベ ミチルは、わかりやすいほど顔をしかめ、憎々しそうに口元を歪める。

 

 無性に煙草が吸いたくなって、いつものようにシャツに手を伸ばそうとした。

 そこで、上半身裸であることを思い出す。

 舌打ちしながらシャツを拾い上げて、煙草の箱を取り出した。

 

「お前、この後どうする気だ」

 咥えた煙草に火をつけ、着替えのシャツらしきものを探しに家の中をうろつきながら、大声で尋ねた。

 

「歩いて帰りまーす」

 フチノベ ミチルの間延びした声が、洗面所から遠ざかる。

 

 思わず玄関の方へ向かうと、鞄を持ってスニーカーを履こうとしている後ろ姿があった。

 

「昼ならまだしも、夜だ。蠍が襲ってきたらどうする」

 付近にまだ、蠍がいないとも限らない。

 

「でも、来るとしたらサバちゃんのところでしょう。あいつが私のもとに来るのは、どうしてもサバちゃんが相手してくれなかった時。その時なんですよ」

 フチノベ ミチルはスニーカーの紐を結び直しながら、こちらに振り向きもせずに言う。

 その声音は至って平坦で、表情がわからない。

 

「それに、好きでもない男の人の家に一晩とか、ちょっと、ねぇ?」

 振り返ったと思えば、嫌味しか言ってこない。

 わざわざ「好きでもない」を強調する言い方をするのが腹立たしかった。

 

「自意識過剰は、お前の方だからな」

「ほぉ。取っ組み合いの喧嘩する? そっちが怪我してても容赦しないよ?」

「面倒くさいヤツだな、本当に」

 なぜ、こんな面倒くさい絡み方をしてくる相手と、接点を持ち続けてしまっているのか。

 

 それは自分のせいなのは、間違いない。


 かたやフチノベ ミチルはけらけらと笑っている。子供みたいに無邪気に。


「……俺からも一つ、聞いてもいいか」

 フチノベ ミチルの纏う空気が少し和らいだところで、切り出した。

 

「はい?」

 スニーカーを両足に履いたフチノベ ミチルが、笑いを顔に浮かべながら聞き返す。

 

「俺がいつ、狙撃手スナイパーだと言った?」

 途端に、フチノベ ミチルの眼が見開かれる。だが、それも一瞬ですぐに元に戻る。

 しかし、その後の視線は定まらず、わずかに揺れた。



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