5. Not time will tell

5-1. 血を流した幽霊


          *


 いかに人目につかず、防犯カメラにはっきりと映り込まずに辿り着けるか。

 ルートをいくつも考えながら、セーフハウスとして借りた建物に向かった。

 

 頭の中で想定したルートを踏破し、部屋の前まで向かうと、そこで面食らう。

 ドアを開錠しようと、カードキーを取り出したフチノベ ミチルがそこにいた。

 その隣には、大型のスーツケースが一つある。

 

「あぁ、サバちゃ……」

 気配に気づいたフチノベ ミチルは、こちらを見るなり、顔が凍りつく。

 

「幽霊……?」

 人の姿を見て、幽霊と呼ぶのは失礼だろうが、と言いたくなった。

 とはいえ、首から血を流した男がふらっと現れたら、そう言いたくなる気持ちも、わからなくはない。


「ジョークはいいから、早く開けろ」

 肉体的にはさほど疲れていないものの、精神的には疲労困憊状態だった。


 フチノベ ミチルはドアを開けると、自分に順番を譲って、先に部屋に入らせる。

 大丈夫か、とわざわざ声をかけてこないのは、うるさくなくてホッとした。

 

 後から家に入ったフチノベ ミチルは、荷物を玄関に入れている。

 

 自分はそれに構わず、洗面所へ向かった。

 洗面台の下の収納には、応急処置ファーストエイドキットがしまってある。

 それを取り出し、必要なものを洗面台に並べると、鏡に映った自分を見る。

 

 不機嫌そうな目つきの悪い男が、髪をぼさぼさにして、煙草を咥えている。

 右腕と首筋から血を流しながら。

 いつもと変わらないクマのひどい顔に、自分の血が跳ねた跡が点々とついている。

 深い溜め息が出た。


 我ながらひどい姿だと思った。

 故郷でこんな姿を晒していたら、敵どころか味方からも笑われながら、殺されていただろう。

 

 首の左側、動脈にかけて表面だけ一直線に切られている。

 しっかり刃が入っていれば、綺麗に動脈を掻き切っていたはずだ。

 

 右腕、二の腕部分。

 上腕動脈を狙ったであろう刃先は、肉を抉るだけで終わっている。傷口からは血が流れ続けている。

 垂れてきた血が指先から滴り落ちるのを見て、舌打ちが出た。

 

 玄関から、慎重に近づいてくる気配がある。

 気配を消さないのはわざとなのか、忘れているのか。

 

 あの女は何を考えているのか、いまだにわからない。

 それがまた、自分を苛つかせた。八つ当たりなのはわかっている。


「首と腕、大丈夫ですか?」

 そっと洗面字を覗き込む女の眼は、心配そうだった。

 

 この姿を見られたら当然の反応なのだが、改めて他人から言われると不快に思う。

 

「見た目は派手だが、大して切れてない」

 そう言いつつ、首に消毒薬をつけたガーゼを当てると、血が滲んでいく。

 

「傷が深い腕から処置した方が、良くないですか? それに、利き手は右でしょ?」

 フチノベ ミチルの言っていることは間違いではない。

 舌打ちは出てしまったが、同意の意味で振り向いた。

 フチノベ ミチルはゆっくりと、自分の隣にやってくる。そのタイミングで、包帯やガーゼを渡す。

 

「じゃあ、シャツ脱いで」

 シャツを床に脱ぎ捨てると、すぐに右腕にひんやりとしたガーゼが当てられた。

 消毒薬をこれでもかと染み込ませてある。ある程度、傷口を拭い終わると、そのガーゼを洗面台に置く。

 

「あのスーツケースの中身は、なんだ」

 傷の手当てに気を取られ、忘れそうになるが、そもそもこの女がなぜ、この時間にセーフハウスの前にいたのか、聞いていない。

 

をやっていた頃の、在庫の一部です。一応、念のために」

 今は廃業したとはいえ、この女とその家族の生業は武器商人だ。

 捌ききれなかった代物がまだ残っている、と狐が言っていたのを思い出す。

 

「……中には、何が入っている」

 だが、わざわざ今日、真っ先に運び入れたものは、なんなのか。

 

「今持ってきたのは、サバちゃんお得意の、狙撃銃スナイパーライフルですよ」

 フチノベ ミチルは傷口に、新しい乾いたガーゼを当て、きつく押してくる。

 痛みは当然ある。唇を噛んだ。

 

「それは……ご苦労だったな」

 狙撃銃、と聞き、少し首を傾げたくなる。

 

 そんな事情など知らず、フチノベ ミチルが傷口を両手を使って押さえる。

 他人に腕を素手で触られている感触は、どうにも嫌悪感がある。

 フチノベ ミチルの行為に、悪気があるわけではない。むしろ善意だ。

 奥歯を食いしばり、この不快感を、どうにか耐えようとする。

 

「殺した?」

 誰に襲撃されたかは、言わずとわかっていて、結果を聞かれる。

 

 思わず鼻で笑った。

「残念だが、まだ生きてる。あれは俺にちょっかい出すのが生き甲斐らしい」

 止血のために二の腕の傷口を押さえているフチノベ ミチルの左手に、じわじわと血が伝っていく。その肘から床に血が落ちた。

 

 フチノベ ミチルは血で染まったガーゼを見つめながら、特に反応は示さない。

「そのうちお前にもちょっかい出しに来る」

「それは楽しみです」

 自嘲気味に、フチノベ ミチルは言う。

 だが今は、蠍の話よりも傷口のことに意識が向いているように見える。

 

「ちょっかいを出されても絶対、相手にするな。あいつは、俺に用があるだけだ」

「……自分の存在を、相手に認識してもらえていないのは、屈辱的ですね」

 その言葉に対し、認識されている方がよっぽど面倒だ、と呟くと、力なく微笑まれた。

 その笑みが、何を言いたいのかは読み取れなかった。

 

「一応、病院行った方がいいと思う。玖賀が御用達の医者なら、紹介できますけど」

「必要ない。これくらい擦り傷と同じ」

応急処置ファーストエイドと治療は別物ですよ。利き腕やられてるのに、強がらない方がいいと思う」

 利き腕の話をされると、何も言えない。

 

「日本のマフィアに恩を売りたくない」

 だが、これに尽きる。

 

渕之辺ふちのべの口利きって言えばいいんですよ」

 フチノベの名を出そうと出さまいと、クガの息がかかっているところはクガに嗅ぎつけられる。

 

 言い返そうとしたが、煙草が燃え尽きかけていたので、蛇口から水を出して洗面台のボウルに投げ捨てた。

 

 それから口を開こうとした瞬間、

「人間は簡単に死ぬ構造をしている、でしょう?」

 昨日、この女に言った言葉が、そのまま自分に返ってくる。

 

「その吸い殻、後でちゃんと捨ててくださいね」

 そして、至極真っ当な指摘もされる。

 

 傷口を押さえていた手が離れ、ゆっくりとガーゼが剥がされる。喋っている間に、血は止まっていた。

 


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