4-3. 命が惜しいとは思っていない
*
タワーマンションの中層階。
ソファしかないリビング。三方をガラス張りにした部屋に、カーテンはない。
ソファの足元には、灰皿代わりの空き缶。部屋に物がないせいで、エアコンを点けても、どこか寒々しい。
照明をつけて、自分は唯一の家具であるソファへ寝そべる。
フチノベ ミチルは立ったままリビング全体を見回して、ぼそっと呟く。
「めちゃくちゃいいお部屋」
それはそうだろう、という感想だった。
「お前の部屋がひどすぎるだけだ。これでも妥協した」
「妥協、とな」
「妥協」
より望ましい条件として挙げた部分はかなり目を瞑り、最低限の条件だけを叶えた形で、狐はこの物件を用意したようだ。
咥えた煙草に火をつけ、目を合わせないようにフチノベ ミチルの手や足に視線を遣る。
「お前が昔暮らしてた家の方が、いい部屋だったろうに」
銀座に程近いマンションは、なかなかの広さだったと聞いている。
フチノベ ミチルの母親の名義で十五年前に購入していたが、一年前、フチノベ ミチルが帰国してすぐ、売却されたのだという。
「それはどこ情報?」
フチノベ ミチルは、急に過去住んでいた家の話をされ、眉間に皺を寄せた。勝手に自分のことを探られるのは、誰であっても腹立たしいものだ。
「性格の悪い情報屋」
そう答えると、フチノベ ミチルの顔はさらに険しくなる。
「ついでに、この物件を探してきたのも、その情報屋」
フチノベ ミチルの顔が引き攣った。しばらくその顔で視線を部屋の四方八方を見てから、気を取り直すように息を吐いた。
「ちゃんと探せばもっと安くて、すぐ入居できるところ、たぶんありましたよ」
座る場所を探しているらしく、自分が仰向けに横たわっているソファに視線をもらったが、この場所を譲る気はない。
フチノベ ミチルはソファに座るのを諦めて、その場の床に座り込む。
「このマンションは、資産目的に買っている層がほとんどだ。実際居住しているのは一割に満たない。なら簡単な計算だ、物件探しに手間取っている間に、
「うん、犠牲者を出さないで何とかするって方向で考えられないのかな?」
フチノベ ミチルは半分呆れた顔で笑っている。
「それに、蠍があなたを追いかけているなら、ここの場所だって、もう知られている可能性がゼロじゃない」
もちろん、フチノベ ミチルが言うことは一理ある。
「物件探しは狐にやらせた。狐は色んなところをフラフラしたわけだから、どれが
ならばそれなりに、自分だって対策を取ってきた。
「同じ仲間同士だったなら、そういう手の内はわかってるんじゃ?」
「仲間じゃない」
蠍の仲間と言われるのは、屈辱すら覚える。
「あいつの欠点は短気なところだ。執念深く追い回すなんて真似は、死んでもしない」
「なら、早々にカタがつきますね」
フチノベ ミチルは視線を横に向け、何もない壁を睨みつけて、鼻で笑った。壁の向こうに、蠍の顔を思い浮かべている。
この女の言う通り、すぐに決着する。
「なら、こんないい部屋借りる必要ないんじゃ」
「もし俺が蠍に殺されたら、ここにはお前が住めばいい」
「……え?」
フチノベ ミチルはきょとんとした顔で、気の抜ける声を出す。
「あんなボロい家よりマシだ」
流れで契約した部屋だ。金は口座から黙って引かれていく。
自分が死んだ後、誰も解約しなければ、この女が住んでも住まなくても、何も変わらない。
真っ黒な瞳が、ゆっくり瞬きを繰り返す。浅く息を吸い込み、吐く。それから、
「蠍に殺されるって本気で思ってる?」
言葉にする。
「実際のところ、運次第だ。人体っていうのは、簡単に死ぬ構造をしている」
「やめてくださいよ、そういうこと言うのは」
「平和な脳みそでおめでたい」
この女と自分の価値観が微妙に噛み合わないのは、環境のせいなのか、性格のせいなのか、よくわからない。
「俺もあいつも、命が惜しいと思ってない」
蠍はいざ知らず、少なくとも自分は
「お前はあいつを殺せない。
あの夜。
自分たちがクーデターと言われる作戦に関わったあの夜、この女は、蠍に傷一つ付けられなかった。
一年経って、あの時以上に何かができると思っているなら、楽観的すぎる。
自分が吐き捨てた言葉に、フチノベ ミチルは唇を噛み締め、ぐっと押し黙る。膝の上で握った拳に、力が入っていた。
反抗的な、怒りを露わにした眼が、自分を睨んでいた。
やろうと思えば感情を徹底的に排することもできるのに、ところどころ、こういう不器用さが発露する。
「日がな一日、生死の狭間を生きてきた俺たちと、お前ごときが張り合えると思うな」
フチノベ ミチルの瞳が揺れる。この程度の煽りで動揺するくらいなら、今だって蠍を手にかけるなんてことはできないだろう。
しばらく黙らせて、こちらは燃え尽きた煙草をコーヒーの空き缶に捨て、ゆっくり新しい煙草に火をつける時間を取った。
「武器商人だった頃の在庫が、まだ残っているらしいな」
狐から聞いた情報を振ると、フチノベ ミチルは一瞬、固まる。
それから、作り笑いを浮かべて、
「どこ情報?」
と聞き返してくる。
「性格の悪い情報屋」
「気持ち悪ッ」
情報元を明かすと、フチノベ ミチルは露骨に顔を顰めた。
「その在庫、必要となったら、持ってきてもらうかもしれない」
フチノベ ミチルが保管している在庫が、どれだけの、どういう在庫が残っているかわからない。
それに頼らざるを得ない事態に追い込まれたなら、数や種類を選んでいられないだろう。
「わかりました」
フチノベ ミチルは真顔になると、しっかり一回頷く。
「廃業した時に、綺麗さっぱり処分しなかったんだな」
母親に死なれて、日本へ戻ったフチノベ ミチルは武器商人を辞めたと言っていた。
今回、在庫が残っていたのは幸運だったのかもしれない。
だが、武器商人を辞めたのに、まだ在庫を持ち続けているのは、少し意外だった。
「……最悪、安っぽい復讐をするしかないって思っていた時も、あるので」
フチノベ ミチルは、自嘲するように笑う。視線が床に落ちた。
「復讐に安い高いはない。肝心なのは、完遂できたかどうかだ」
そう言ってから、どうして復讐を後押しするような一言を言ってしまったのか、と気づく。
「サバちゃんは、自分の国のために、私に復讐させたくなかったんじゃないの?」
フチノベ ミチルはくすくすと笑い出した。
自分の言葉を笑って流す姿を見て、自分は薄っすらと察した。
復讐のためなら、この女は、敵にも愛想を振り撒けるだろう。
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