3. Where there’s smoke, there’s fire
3-1. お喋りな狐
視線は逸らさず、言葉には感情を込めず、引き金にかける指はいつでも引けるように。
お互いにそうしながら、一挙手一投足を見逃すまいとしている。
「この辺、静かでしょ」
目の前の女の佇まいは、堂々としている。
「昔から住んでる人が多いエリアで、そこまで栄えてるわけでもない、のどかな町なんですよ」
耳に当てていたスマートフォンからは、興奮した様子の赤毛の声がまだ響いている。
「ここはあなたの故郷と違う」
『"聞いてるー? 俺、あいつのおかげでさんざんだったんだからね"』
片方は静かに、片方は喧しく、話しかけてくる。
「こんなところで、サイレンサーのついてない
フチノベ ミチルが言わんとしていることがわかって、お互いに拳銃を持った手を下ろす。
だが、
「素直に住んでるところを答えたのに、嘘ついてると思った?」
黒目が、ゆっくりと光を失っていくように見えた。
微かな怒り。だが、それが本当に微かなのか、自分には測れない。
ここで尾行がバレたことは、一瞬生まれた信頼を崩させるのに十分な失態だった。
「どうやって隠れた?」
不自然な位置から現れたことに驚いたと、素直に明かした。
それを聞いたフチノベ ミチルは、ニコッと笑った。絵に描いたような作り笑い。
「かくれんぼは得意なんで」
『誰かと一緒? めっずらしい〜!』
スマートフォンの向こうの男は、日本語で言う。微かに聞こえただろう言葉の端々から、そこにいるのが誰か、見当をつけたのだ。
「貸してもらっても」
フチノベ ミチルの、拳銃を握っていない方の右手が、おもむろにこちらへ伸びてくる。
思わず首を横に振り、身を引いた。
「こいつは
『おやおや、取り込み中?』
含み笑いで、自分とフチノベ ミチルとのやりとりを盗み聞きしている男は楽しそうだ。
「じゃあ誰?」
フチノベ ミチルは当然の質問を投げかけてきた。
「……情報屋」
あの時、一生に行動していた部隊のメンバーで諜報担当の男だとは、死んでも言う気になれなかった。
『だーいじょーぶ、下手なことは言わないって約束するから、代わってよ』
電話の声が漏れ聞こえても平気なように、さっきから日本語で話している。
この男は、新しい情報源を手に入れるチャンスだと踏んだのだ。
「……スピーカーにするから、そのまま話せ」
赤毛の男は、情報のためなら何でもやる。
自分やこの女の情報を、きっかけさえあれば、故郷へ流す可能性だって捨てきれない。
親指で画面を押した。
小さく息を吐いて、音声の入出力をスピーカーに切り替える。
決して渡しはしない。
『ってことで、はじめまして、ミシェル』
「急にわけわからない名前で呼んでくる、気持ち悪い」
スマートフォンの画面を指差して、フチノベ ミチルは眉間に皺を寄せている。
「仕事はできる。気持ち悪いことには目を瞑れ」
『二人して気持ち悪いの連呼はひどくない? あのさ、君の母親を撃ち殺した男のことは、お隣の根暗男から聞いてるよね?』
根暗呼びされたことに、
奥歯を噛み締め、怒りを耐え忍ぶ。
「"蠍"」
蠍と呼ぶ時のフチノベ ミチルの発音は、自分たちと遜色ないくらい綺麗だった。
「あと、あなたの知り合い、根暗って呼ばれて、ブチキレそうな空気出してる」
『今度奢るから許してってば。なんだ、
「それは殺し損ねた私を探しに?」
そう答えたものの、釈然としない様子で少し首を傾げている。
『あいつはミシェルに用はないよ。用があるのは、君のそばにいるヘビースモーカー』
電話口の声は笑いを嚙み殺している。
『あんな美形に愛されてて、羨ましい限り』
嫌味もここまでくると、腹が立たなくなってくる。
煙草のフィルターを噛み、脳裏に浮かんだ金髪の男――蠍の姿を消そうとする。
『あいつ、俺のとこへ真っ先に来たと思ったら、いきなり刺そうとしてきやがって。そんで何て言ったと思う? "
フチノベ ミチルは黙って虚空を睨んでいる。
「それで、蠍はそのまま野放しか」
その名を呼ぶのすら忌々しい。
「役立たずめ」
自分は、重い溜め息をついて、早口でペラペラと喋り続ける男に言う。
『俺、お前みたいに喧嘩強くないから仕方ないでしょ。で、蠍に会ったらどうするつもり?』
自然な口調で、日本語で聞いてくる。
わざとだ。
フチノベ ミチルにも聞こえるように、日本語で答えろと誘導している。
そこに関しての答えは明確だ。生かしておく理由がない。
そう答えようと口を開きかけた瞬間、
『君に聞いてるんだよ、ミシェル』
問いかけは自分へではなく、フチノベ ミチルへのものだと知って、黙る。
「その馴れ馴れしい呼び方をやめてくれたら、ちゃんと答えるよ」
それを聞いて、電話の向こうからクスクスと低い笑い声が漏れてくる。
女は虚空を睨みながら、口元に笑みを浮かべている。
お互いに人を食ったような態度をするところ、似た者同士だ。
「あなたの名前は?」
『シャヴィニルイツ=エンリ・ガイツィナロクナフ』
この男とは長い付き合いだが、これは初耳だった。そもそもこいつの本名など興味がなかった。
「なっがい名前」
そう言いながらフチノベ ミチルは少し驚いた表情を浮かべて、すぐに真顔に戻った。
『だからリーシャでいいよ』
「リーシャ?」
『"
狐。
自分と同じ部隊で諜報担当として活動していた頃のコードネーム。
「本名よりコードネーム呼びの方がいいの?」
『慣れてるからね。そっちの方が反応早い』
「本名、長くて覚えてもらえないしね」
『そうそう、俺も本名の綴り間違えちゃう時あるよ』
狐はこういう意味もない軽口を、会話の流れに挟み込むことがある。
目の前の女は、スマートフォンの画面に向かって鼻で笑う。
『梟もコードネームしか言ってないでしょ』
すぐにフチノベ ミチルはこちらに視線をやり、小さく笑う。
「そう言えばそうですね」
自分の場合、狐とは事情が違うのだが、ここでわざわざ説明するまでもない。
「で、シャロちゃん、質問なんだっけ? あなたたちの昔のお仲間さんに会ったらどうするか、だよね?」
『そう。ちゃん付けしてもらえるなんて嬉しい! 仲良くなれたね!』
「いや全然仲良くなってない。蠍と会えたら、殺すつもりしかないよ」
のんきなやり取りの合間に、さらっと回答が挿し込まれる。
『殺すの、へぇ』
電話の向こうは、くつくつと押し殺した笑い声を漏らして、楽しそうだ。
小馬鹿にしているのか、心底楽しんでいるのか、相手の姿が見えない今、判断しようがない。
『残念だけど、君の手に負える相手じゃないし、どうせ梟が出しゃばらなきゃいけなくなるんだよ? あいつは人の話聞くタイプじゃないし、人と話をするタイプでもない』
その言葉を聞きながら、フチノベ ミチルは
それを見て、やっと自分も
『日本でそんな大暴れされちゃうと面倒臭いことにしかならないじゃない。となると、俺が後始末しなきゃいけない場面も出てくるし、君と蠍が出会うことは避けたいな〜って思うわけ』
「それは無理」
『あっさりばっさり』
子供同士の悪ふざけみたいな会話が続く。
かたや自分は、やっと煙草に火をつけることができて、ほっとしている。
「私はあいつに話したいことがあるから」
『だって。梟、どうする~?』
煙草の煙を吐き出しながら、墓場でフチノベ ミチルと狐が電話越しに喋っているという光景を俯瞰で眺めていたところで、急に話を振られる。
フチノベ ミチルは嫌なものでも見るような眼差しで、スマートフォンの画面を見つめている。
「そうやっていちいち絡むのは、私が蠍に潰されるのを見たいから? 悪趣味だね」
『んー? 梟と蠍の潰し合いが見てみたいから?』
「本当に悪趣味」
狐と完全に打ち解ける前に、狐の悪趣味さがフチノベ ミチルに伝わったみたいで安心した。
これ以上話したところで、狐にこちらの情報を吸い取られるだけだ。
スピーカーを解除して、スマートフォンを耳に当てて喋る。
「"余計なことは喋ってないだろうな"」
顔を曇らせている女にはわからない言語で、狐に尋ねる。
情報を売るのが、今のこいつの生業だ。蠍にペラペラ話していても不思議はない。
『"してないよ。俺、あいつ嫌いだし"』
相手もまた、故郷の言葉で返して来る。
蠍にこちらの情報を流していても、流していなかったとしても、こう言うはずだ。信用ならない。
狐はまだまだ話し足りないらしく、はしゃいだ声が聞こえてきたが、何も言わずに通話を切った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます