2-2. 呼び名
「俺は自分がやってきたことを、真っ当な正義だと思っていない。この世にあるもの全て、何もかもグレーで、どこから見た事実なのかで結果は変わる」
「それは、おっしゃる通りで」
感情のこもらない声で、ただ淡々と、黒い眼の女は静かに頷いている。
「あなたとそのお仲間さん、そして国軍総帥は、大統領であるアヴェダを倒そうとした。それは事実。その場に私と母がいた」
フチノベ ミチルの箸はまたカルビ肉の並んだ皿へ伸び、熱せられている網に肉を並べる。
「じゃあそれは、偶然? それとも偶然じゃない?」
ジュウ、と肉の焼ける音。パチパチと脂が爆ぜる音。その音の中に混ざって、はっきりと問う声。
「偶然だ」
「へぇ。偶然」
焼けて縮れる肉に視線を落としていたので、苛立ちのこもった声に反応が遅れた。
フチノベ ミチルは少しだけ俯いた角度から、こちらを睨んでいる。
「ただの偶然で、死んだんですね」
感情を殺すためか、目元にグッと力が入っている。真っ黒な瞳はどこまでも冷たい。
「……悪かった」
この女は、自分を命の恩人、と言っているが、本当は恨んでいてもおかしくない。
ここで飯を食べているのは、友達だからでもなんでもない。
「あなただけのせいじゃない」
フチノベ ミチルは溜め息混じりに眼を伏せ、この会話の間に少し焦げた肉を取り皿に乗せる。
「この話、お互いにとって地雷ですよね」
肉を飲み込んでから、フチノベ ミチルは苦い笑みを浮かべて言う。
日本での日常会話で出る地雷という表現は、「踏み込んではならないもの」の独特な言い回し。
「お互いに今だけ地雷についての話、耐えてみませんか? 次から配慮しますんで」
口元だけはにっこりと笑う形に整えて、女は言う。
「この最悪な会食に、次回があるのか」
次なんかあってたまるか、と思う。フチノベ ミチルは笑い声を漏らしながら、テーブルに肘をつく。
「思ってた以上に口が堅いから困ってる」
「これでも普段の倍以上は喋った」
嘘でしょ、と大げさに驚いたフリをして困ったように笑う女は、どこか楽しそうだ。
「俺の身元なんか、辿り着けるわけがない」
調査のためにどれだけの金と時間を費やしたのかと思うと、気の毒になる。
フチノベ ミチルのグラスのリンゴジュースは、ほぼ空になっている。
「あの時、突入したのは
「やっぱり。しかもめちゃくちゃ軍人だった」
瞬きをゆっくりしながら言葉を挟む女は、納得しつつも少し戸惑っているようだった。
「それだけの実力を持って政府をひっくり返そうとしたのに、……不思議な事態になっちゃったのが」
フチノベ ミチルは「失敗」と言いかけて「不思議」と言い換える。そこまで気を遣わせる気はなかったのだが。
「あの男が裏切ったからだ」
思い出したくない顔を思い出す。
真っ直ぐな髪は金色で輝いて、瞳ははっきりと澄んだ青、血色のいい唇。高くも低くもない声音で、悪態をつく態度。
無意識に煙草の箱に手を伸ばしていた。
制止しようとしたげな女の顔を見て、我に返る。
刷り込まれた習慣。
記憶と情報は、こうして知らず識らず、人を雁字搦めに縛る。記憶が自由を奪っていく。
「あいつが今、生きてるかどうかは知らない。積極的に調べてもいないからな。だが、アヴェダ側に寝返った。なら、リエハラシアでのうのうと生きているんじゃないか」
寝返った、と聞いた瞬間に黒い瞳がサッと輝いた。
「元は、仲間だったんですよね?」
「同じ部隊にはいたが仲間じゃない」
即座に否定した。あいつの仲間扱いされるのだけは、許せない。
こちらの言葉を聞いて、フチノベ ミチルは一瞬戸惑った表情を見せたが、そこには気づかないふりをした。
「あの時、私がいなかったら、殺してました?」
あの時、と言われて、何について問われているのかと悩んだが、ぼんやりと思い出した。
この女と遭遇した時、自分はあいつと対峙していた。その時のことを聞いているのだろう。
「さぁな。さっさとそうしておけば良かったのは、間違いないだろうな」
いまさら思い出したくもない。あいつを殺し損ねたのは悔やんでいるが、それ以外に何を思うわけでもない。
フチノベ ミチルは表情こそ微笑んで見せているが、テーブルの端に乗せた拳には、力が入っている。
フチノベ ミチルのように、こうして完全に感情を押し殺せないのは、戦場では命取りだ。
「まさかあの美人が裏切るとは、夢にも思ってなかった?」
「いや。あいつは元々、信用に値しない」
「その『あいつ』の名前は?」
遅かれ早かれ、あいつの素性については問われると思っていた。
この状況なら、フチノベ ミチルが何かしようとしても目を離さずに済む。
自分の持つ情報をみすみす流す羽目になったとしても、この女が
「……
故郷を離れて一年。久々にこの名を口にした気がする。
溜め息と同時に烏龍茶のグラスを呷った。
フチノベ ミチルは眼を見開いて、ほんの数秒固まる。その時には、力を入れていた拳の力が緩んでいる。
「くっっっそダサいコードネームで、笑いそうになった」
眉間に皴が寄ったと思えば、吐き捨てるように言うので、それも相まって盛大にむせた。
各々につけられたコードネームをダサいとは、部隊のメンバーが皆思っていた。
だが、コードネームは上層部が割り振ってくるので、どうにもしようがない。
蠍をダサいコードネームと言うくらいだから、自分のコードネームは、もっと酷い言い草になるはずだ。
むせて、荒い息を整えた。
「はっきり言うな」
「ダサくないですか? 蠍って、ちょっとイキってる感もあってイタいのが倍増してる」
彼女は苦笑いを浮かべている。
聞き慣れない単語が幾つか出てきて理解に苦しむが、雰囲気から考えると、あまり良い意味の言葉ではないのはわかる。
「で、あなたのお名前は?」
「John Doeとでも。好きに呼べばいい」
むせたのを引きずって、まだ咳き込んでいる。
「どうしても名乗らないんだ」
フチノベ ミチルは呆れたように、少し困った笑顔を浮かべる。
「じゃあ、ニコチン中毒って呼びますね」
「もっとマシな呼び方があるだろうが」
「ヤニカスとか?」
「絶対悪い意味しかない呼び方だな? 少しは敬意を払え」
単語の中に含まれた悪意を嗅ぎ取って、苛つきながら提案を断る。この女、意図的にろくなニックネームを言ってこない。
「……”サヴァンセ”」
故郷の言葉で「梟」という意味の単語。その意味は知らせず、部隊で呼ばれていたコードネームを答えた。
これ以上誤魔化しても、この女は人を不快にする呼び方しか出してこないだろうと、早々に諦めがついてしまった。
「サヴァンセ……じゃあ、サバちゃん」
「なんでそうなる」
ちゃん付けは、日本語だとだいぶ気安い呼び方だったはずだ。この女は、からかうことに全力だから、余計に腹が立つ。
「私はみちる。
フチノベ ミチルは自らを指差して言う。
「知っている」
「……私、どこかで名乗ったことありましたっけ?」
フチノベ ミチルは引き攣った笑みを見せた。問いは、無視した。
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