2. When the cat’s away, the mice will play
2-1. あの夜のこと
*
優秀な殺し屋は匂いのつくものは嫌うんだ。
と言われたのはいつだったか、ぼんやりと思い出そうとする。
いつ言われたのかもあやふやであるし、それを言ってきた相手の顔も曖昧だ。
その時の自分は、殺し屋でも何でもないと思っていたし、どうせ禁煙しろと言われているだけから、覚えていても仕方ないと頭が切り捨てたのだろう。
任務だからやっていただけで、それを罪悪視する必要はないと思っていた。
たまたま技能を認められ、自分に与えられた任務を果たしただけだ。
だから何故"殺し屋"などと言われるのか、当時はわからなかった。
――今なら少しはわかる。
*
目の前を白い煙がふんわり立ち昇る。それを見て、煙草の煙が懐かしいと思った。
しかし、故郷と違って、煙草はどこでも吸えるものではない。
酒が飲めない体質のおかげで、飲食店は飯を食べたら立ち去るものとしか思っていない。
普段であれば、もう席を立って食後の一服ができたくらいの時間は経っている。
それなのに。
焼肉。テーブルの真ん中に網が置かれていて、その上で頼んだ肉を焼く、シンプルな仕組み。
たれを纏ったカルビ肉が扇状に並べられた皿、ネギが上に乗る牛タンが並ぶ皿、それらをせっせと焼くフチノベ ミチル。
――とても楽しそうだ。
「今日は待ちに待った給料日なので!」
一日一回の連絡などするはずもなく、そして、こちらから連絡したいと思うはずもなく。
フチノベ ミチルと遭遇した夜から、十日近くを平穏に過ごしていた。
その間は、行きつけの日本料理店にクガの手下も現れなかったので、気楽なものだった。
その平穏を、フチノベ ミチルは店のURL付きの「今日、夕飯を一緒に食べに行きましょう」と書かれたメールで、ぶち破ってきた。
「もう帰りたい」
聞こえるようにボヤいているが、無視されている。
誘われたところで、行かなければいい話だった。今更後悔している。
煙草も吸えずに、肉が焼かれて出る煙を眺めているだけの時間が過ぎている。
「肉焦げてますよ」
左手に持った箸で、ところどころ焦げたカルビ肉を持ち上げたフチノベ ミチルは、未使用の取り皿にその肉を入れ、こちらに差し出す。
「脂っこいものは食えない」
それを拒むと、
「焼肉屋に来たのに⁈」
と、ひどく心外そうな顔をされる。
「お前が勝手に連れてきたんだろうが」
そもそも焼肉屋に来たのはフチノベ ミチルの勝手であって、自分が望んでしているのではない。
こちらの話を聞いているのか、いないのか、フチノベ ミチルはオーダー用のタブレット端末を手にして、メニューを眺め始める。
「何なら食べられます? 冷麺とかは?」
「箸を使うのが苦手なんだ。……白米と漬物、烏龍茶」
「セレクトが渋いなぁ」
フチノベ ミチルは白米と漬物、烏龍茶をオーダーしたついでに、肉もいくつか追加で頼んでいた。
それだけ食べても胃もたれしないのは素直に羨ましいと、ぼんやり思った。
オーダーしたものが一通り届くと、網に肉を二、三枚並べて焼いては取り皿に取り、満足そうに頬張る。
自分は何のために呼び出されたのかわからないまま、さっきから烏龍茶をちびちびと飲んで、時間を潰している。
フチノベ ミチルは今焼いている肉を食べ終えると、一旦箸を置いた。
まだ肉は残っているが、そろそろ腹一杯になるタイミングだろう。
「一年前のあれから、日本に戻っていろいろ落ち着いて、あなたは何者だったのかなって考えたんですよ」
わざとなのか、たまたまなのか、通されたのは店の奥の半個室の座席だった。
隣りは声の大きい四人組がいて、対面して座る自分たちの会話は、自分たちしか聞こえていない状況だ。
「何か面白い事実でも見つけたか?」
どうせ、そんなはずはないとわかっていた。
何者かと問われるとこちらも困る。
今はどこにも所属しない、そもそも故郷にいた頃から、IDらしいIDがない。
この世には、自分の存在は書類上存在しない。この身の上を証明するものがない。
「わからなかった。でも、あなたは軍人です。あのタイプの戦闘服は、リエハラシア軍では一部の層にしか配給されていない、って調べました」
「そこまで調べたのは褒めてやる」
「随分上からですね」
フチノベ ミチルは、くすくすと笑う。
言葉と瞳に感情を込めないのは、元々なのか、自分と相対しているからなのか。
「クーデターの実行役になるほど、大事なポジションに就いていたのは、間違いない」
重要なポジションにいたなどと、認識したことがなかった。あくまで自分は、ただの兵士の一人にすぎない。
それは任務だったからやったまでで、自分が主体性を持ってやってはいなかったはずだ。
烏龍茶が半分まで減ったグラスを見つめ、どう答えるか考えていると、こちらの様子を注意深く観察している真っ黒な瞳に気付く。
じっと見つめる眼。その視線が、妙に重く感じた。
「クーデターを起こすと決めたのは、あなたやお仲間さんじゃなくて、命令した人がいる」
聞きたいのはそこか。
自分から情報をほいほいと渡す気はないが、質問されたら答えるのは、礼儀だろう。
「あの日、大統領府へ突入したのは、国軍総帥の命令だ」
任務としてやったことを、クーデターと言われると、胸がざわつく。頬杖をついて、フチノベ ミチルを睨みつけていた。
「国軍総帥は、あの時……金髪の男に殺された人……。だから、あなたは金髪の男に怒っていたんだ」
自分があの時、どうして金髪の男へ怒鳴っていたのか、これで理解されただろう。
思わず大きい溜め息が出る。あの時のことを思い出すのは、いまだに気が重い。
「そんな大それた命令を、何の疑いもなく実行しようと思えたのは、それほど信頼していたってことですよね?」
フチノベ ミチルは真顔でこちらを見つめ返す。黒い眼からは感情が見えない。
「どうしてそう思った」
舌打ちが出てから、言葉が出た。
それに対し、フチノベ ミチルは即座に言葉を返した。
「クーデターで国のトップを力づくで引き摺り下ろすなら、新たなトップを用意しないといけない」
フチノベ ミチルと自分の間にある網の上の肉から脂が落ちて、白い煙を上げる。
肉の焼ける匂いが、好きかと言われたらそうではない。戦場でさんざん嗅いだ臭いに似ているからだ。
「あなたは国民のことを大事にしているから、どんなに偉い人の命令でも、トップが務まる人間がいなかったら、あなたは絶対に従わなかったでしょう?」
こちらを見透かしているような言い方だと思った。
自分の考えを読まれているというのは、ここまで神経を逆撫でされるのか。
ここでタバコが吸えないのが、心底つらい。
「……国軍総帥は、俺からしたら育て親みたいなものだった」
自分にとって、親同然の存在。彼がいなかったら、今の自分はこの世にいない。
殺し屋は匂いのつくものは嫌う、と言っていたのは彼だっただろうか。――いや、違ったはずだ。
そして唐突に思い出すのは、それが訓練生時代の教官の言葉だったことだ。
昔の記憶をぼんやりと辿っていると、それを遮るように話しかけられた。
「軍を支えてきたのは、大統領の財力のおかげでもあるのに、なぜ今さら?」
今までかろうじて耐えてきたのだが、さすがに限界だった。
「その大統領が、軍の装備品を横流しして、私腹をこさえるのが常態化していた、と言ったら?」
あの夜の取引だって、それにお前たちが乗っかってきたのだろう、と言外に匂わせる。
フチノベ ミチルの視線が一瞬揺らぐ。
「それでも、あの大統領のおかげで戦えた、と言えるか?」
「……いえ」
暖かな湯気を立てていた白米も、そろそろ冷めてくる。こうなる前に食べてしまえば良かった。
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