すれ違う好き

曖昧な好き すれ違う気持ち



 夜の風が頬を撫でる。

 熱くなった顔を冷ますには足りないほど、生ぬるい風。


 (もう、ダメだ……)


 胸が苦しい。

 後悔が押し寄せてくる。


 あんな形で気持ちをぶつけてしまって、もう今まで通りには戻れない。

 彩はきっと困惑して、傷ついて、そして――私を拒絶するだろう。


 (ごめんね、彩……)


 今ならまだ、彩が何も言わないうちに、このまま逃げられる。

 このまま、なかったことにできる――


 「百合!!」


 遠くから、私を呼ぶ声がした。


 (――え?)


 振り返る前に、背後から力強く腕を引かれる。

 バランスを崩して、そのまま彩の胸に飛び込んでしまった。


 「……っ!」


 「なんで逃げるの!」


 彩の声が震えている。

 乱れた息遣い。

 たぶん、全力で走ってきたんだ。


 「私、ちゃんと話したいのに! なんで逃げるの……!」


 「だって……っ」


 声が出ない。


 逃げる理由なんて、彩にはもうわかっているはずなのに。

 これ以上、私が言葉を重ねたら、もっと取り返しがつかなくなる。


 でも、彩は許してくれなかった。


 「……ねえ、百合」


 「……なに?」


 「さっきの、どういう意味?」


 真正面から、まっすぐに聞いてくる。

 彩はいつもそうだ。

 曖昧なままにしない。

 だからこそ、私は誤魔化せなくて――苦しい。


 「……忘れて」


 「忘れられるわけないじゃん!」


 強い声。


 「百合が急にキスしてきて、何も言わずに逃げて……そんなの、忘れられるわけないよ!」


 「……だって、彩は、そんなつもりじゃなかったでしょ……?」


 そう言うと、彩の表情が少し曇った。


 「私の“好き”と、百合の“好き”は違うって、さっき言ったよね?」


 「……うん」


 「でも……違わないかもしれない」


 「……え?」


 思わず顔を上げる。


 彩は唇を噛んで、少し伏せ目がちに言った。


 「私……よくわかんないの」


 「……何が?」


 「“好き”って、何? 友達として好きなのか、それとも、百合が思ってるみたいな“好き”なのか……」


 「……」


 「でもね、百合に逃げられるのは嫌だよ……」


 「彩……」


 「私、百合とずっと一緒にいたいし、百合が他の子と仲良くしてると、なんかモヤモヤするし……これって、何?」


 彩は必死に言葉を探しているようだった。


 けれど、それは私にとって、嬉しい言葉であるはずなのに――どこか苦しく感じた。


 「……彩は、私のことが好きなの?」


 直接的に聞いた。


 「……わからない」


 彩は、そう答えた。


 「わからないけど、でも、百合のことが大切なのは本当だよ」


 「……大切、ね」


 「違うの?」


 「違うよ」


 私は、彩を“ただの大切な友達”だなんて思えない。

 それはきっと、もうずっと前から。


 「……百合?」


 「彩はずるいよ」


 「え?」


 「わからないくせに、私に期待させるようなこと言わないで」


 「そ、そんなつもりじゃ……!」


 「だったら、なんで追いかけてきたの?」


 「……!」


 「私を引き止めて、期待させるようなこと言って、でも“わからない”なんて……それが一番、残酷だよ」


 彩の表情が曇る。


 私は、こんなことを言いたかったんじゃない。

 本当は、彩に「好きだよ」と言ってほしかった。

 でも、彩はまだ自分の気持ちを整理できていない。

 だから、答えを求めるのは、きっと今じゃない。


 「ごめん……」


 彩が小さく呟く。


 「私、ちゃんと考える。だから、もう少し時間をちょうだい」


 その言葉に、私は――


 「……うん」


 頷くしかなかった。


 彩は、私の“好き”を受け止めようとしてくれている。

 だったら、私は待つしかない。


 答えが出るまでの時間が、どれほど苦しいものになるとしても。


 「……とりあえず、今日は戻ろう?」


 彩が手を差し出してくる。


 私は、しばらく迷って――その手を取った。


 交わることのない「好き」


 けれど、もう一度交わる可能性を信じて。

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