交わることのない好き

曖昧な好き 交わることのない「好き」



 唇が触れた瞬間、彩の身体がびくりと強張るのがわかった。


 (あ……)


 百合の頭の中で、警告のベルが鳴る。


 やってしまった。


 ずっと押し殺していた想い。

 伝えるべきじゃなかった感情。

 もう戻れない、一線を越えてしまった。


 けれど、彩の唇は柔らかくて、あたたかくて。

 ほんの一秒。

 ほんの一秒だけだったけど、百合には永遠にも感じられた。


 「……え?」


 彩が戸惑いの声を漏らす。


 百合は慌てて身を引いた。


 「ご、ごめん……っ」


 何を謝っているのかわからなかった。

 衝動的にしてしまったことへの謝罪なのか。

 それとも、自分の気持ちをぶつけてしまったことへの後悔なのか。


 彩は、目を丸くしたまま、何も言わない。


 「……違うの、そうじゃなくて」


 百合は必死に言葉を探す。

 けれど、どんな言葉を並べても、もう言い訳にはならない。


 ――好きだよ。


 ずっと言いたかった。

 ずっと伝えたかった。


 でも、言えない。


 言ってしまったら、彩が困るのはわかっている。

 それでも、彩の「好き」とは違うことを、わかってほしくて。

 どうしようもなくて。


 「百合……」


 彩の声が震えている。


 「い、今のって……どういう……」


 「……っ!」


 答えたら、もう終わる。


 百合は視線を逸らして、彩の腕を振りほどくように立ち上がった。


 「……ごめん、帰る」


 「えっ、ちょ、待って!」


 彩が慌てて手を伸ばす。


 でも、その手を取る資格は、もう自分にはない気がした。


 「……忘れて」


 それだけ言って、百合はドアを開ける。


 彩が何か言おうとしたのはわかっていた。

 けれど、怖くて、振り返れなかった。


 廊下を走る。

 玄関のドアを開ける。

 夜風が熱くなった頬を撫でる。


 ――なんで、こんなことになったんだろう。


 彩を失いたくなかった。

 それなのに、自分から壊してしまった。


 涙が、頬を伝う。


 「バカ……私のバカ……」


 誰に向けているのかわからない呟きが、静かな夜に溶けていった。

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