曖昧な好き

曖昧な好き



 夏の夜は蒸し暑い。


 布団の上で寝返りを打ちながら、百合はスマホの画面を見つめていた。

 彩からの「おやすみ、また明日ね!」のメッセージが光っている。


 (……“また明日ね”か)


 何気ない言葉なのに、胸がぎゅっと締めつけられる。


 いつも通りの会話。

 友達としての「好き」。

 特別じゃない、当たり前の日常。


 ――でも、私は、もっと特別になりたい。


 「……はぁ」


 深いため息をつきながら、スマホを枕元に置いた。

 考えても仕方がない。

 彩は鈍感だ。


 もしこの気持ちを伝えたら、彩はどんな顔をするだろう。

 きっと、戸惑う。

 きっと、困る。

 そして――今までみたいには、もう話せなくなるかもしれない。


 (そんなの、嫌だ)


 だったら、このままでいい。

 友達として、大好きなままで。


 百合は目を閉じた。

 意識がゆっくりと遠のく。

 夜風が、そっとカーテンを揺らした。


 ――――


 翌朝。


 夏の日差しがまぶしくて、百合はゆっくりと目を覚ました。

 スマホを見ると、彩からのメッセージが届いていた。


 (おはよ〜!今日も会える?)


 相変わらずのテンション。

 朝から元気すぎる。


 (おはよ。いいよ、どこ行く?)


 すぐに返信すると、数秒で既読がついた。


 (じゃあ今日もマック?それともカフェ?)

 (どっちでもいいよ)

 (じゃあカフェ!百合とゆっくり話したい!)

 (はいはい、じゃあ10時に駅前ね)

 (了解!!楽しみ!)


 画面の向こうで彩がにこにこしているのが目に浮かぶ。


 「……ゆっくり話したい、か」


 胸の奥がざわつく。

 何か話したいことがあるんだろうか。

 いや、深い意味はないのかもしれない。

 彩はよくそういうことを言う。


 何気ない一言で、期待させてしまう。

 何気ない一言で、心を乱される。


 「……ほんと、ずるいよ」


 呟きながら、百合は着替えを始めた。


 ――――


 カフェに着くと、すでに彩が待っていた。


 「百合〜!」


 手を振りながら駆け寄ってくる。

 その無邪気な笑顔が、眩しくて仕方ない。


 「待たせた?」

 「ううん!今来たとこ!」


 そう言いながらも、テーブルにはすでにアイスティーが置かれている。

 (絶対早く来てるじゃん……)


 でも、そんなところも彩らしい。


 ふたりで席につき、適当に注文を済ませる。


 「で、なんか話したいことあった?」


 百合が尋ねると、彩は「んー?」と少し首を傾げた。


 「あ、特にこれっていうのはないんだけどさ……」


 「ないんかい」


 「違うの!なんかね、最近百合が考え事してること多いなーって思って!」


 心臓が跳ねた。


 「考え事……?」

 「うん。なんか悩んでるのかなーって思ってたんだけど、聞いてもいいのかなーって迷ってた」


 彩はストローをくるくる回しながら、じっと百合を見つめる。

 その瞳がまっすぐすぎて、嘘をつくのが苦しくなる。


 (悩んでること……あるよ)

 (でも、お前には言えない)


 「……別に、たいしたことじゃないよ」


 なんとか笑顔を作って返すと、彩は「そっかぁ」と頷いた。


 「ならいいけど……百合が困ってることあったら、ちゃんと話してね?」

 「……うん」


 「私、百合のこと大好きだから!」


 ……まただ。


 何気なく、簡単に言う。

 彩にとって「好き」は、特別な意味を持たないのかもしれない。

 でも、百合にとっては違う。


 (ほんと、ずるいよ……)


 「……はいはい」


 そっけなく流して、アイスコーヒーを口に運ぶ。

 冷たい液体が喉を通るのに、心の中はまったく冷えなかった。


 ***


 帰り道。


 駅までの道を並んで歩く。


 沈黙が心地いい。

 それなのに、ふと彩が立ち止まった。


 「ねえ、百合」


 「ん?」


 「今日、うち来ない?」


 「……は?」


 突然の誘いに、百合は思わず彩を見つめる。


 「なんかさー、久しぶりにお泊まり会したくない?」


 彩は無邪気に笑っている。


 お泊まり会。

 昔はよくしていた。

 だけど――今は、前と同じ気持ちで一緒にいられる自信がない。


 「……急すぎる」

 「えー、いいじゃん!ダメ?」

 「……親に聞いてみないと」

 「わかった!じゃあ返事待ってる!」


 嬉しそうに笑う彩を見て、百合は小さく息をついた。


 (……私、耐えられるかな)


 この気持ちを隠したまま、隣にいることが。


 でも――断る理由もない。


 彩の無邪気な期待を裏切る勇気もなかった。


 「……あとで連絡する」


 そう言うと、彩はぱっと笑顔になった。


 「やった!楽しみにしてる!」


 その笑顔に、また心が揺れる。


 期待した分、傷つくのは自分。

 でも、期待せずにはいられない。


 ――この気持ちは、まだ伝えられない。


 だけど、もう少しだけ、このままでいたい。

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