第9話
何処まで行っても変わらない景色に、私は飽きていた。
道踏み(※中型の馴鹿)が引く鹿車に揺られる単調な旅が始まって、早くも三日が過ぎようとしていたが、速度が驚くほど遅いのだ。
馬が引く荷馬車ならば半日とかからぬであろう距離に、私達は三日も費やしていた。
轍の音と、月比古の奇妙な鼻歌だけが、どこまでも続く平原に響いている。
最初のうちこそ耳障りだったが、どこまでも続く単調な景色の中では、いつしか退屈しのぎにすら感じられるようになっていた。
何の歌かと尋ねてみたが、「歌はいいね。歌は心を潤してくれる」などと、要領を得ない答えが返ってきただけだった。
天上の歌なのだろうが、月比古は私をからかっているのか、それとも何か隠しているのかは分からないが、時々変な事を言う。
この鈍足な鹿車の御者を務めるのはフミツキだ。
十歳の少年には荷が重いかと思ったが、その手綱さばきは意外にもしっかりしていた。
姉のヤヨイが隣に座り時折助言したり、あるいは単に彼を励ましたりしている。
最初の夜は、やはり緊張感が漂っていた。
焚火を囲んでも、私は子供相手に何を話していいかわからず、妙な気まずさを感じていた。
子供達も見知らずの美少女と怪しい男では、気を許す事が出来なかったのだろう。
意外にもこういう時に頼りになるのは、月比古のような男だった。
いつものふざけた口調で積極的に子供達に話しかけ、三日もすれば打ち解けていた。
一方の私はというと、軽く相槌を打つ程度。
自覚はなかったが、存外に私はコミュニケーションが苦手だったようだ。
思えばこれまでの人生で子供と接した事は殆どなかったし、軍においても"ハイザ"という家名が重くのしかかっていた。
私に近寄ってくるのはハイザ家の威光を利用しようと媚びへつらう者ばかりか、母や姉の名に恐怖し、過剰なまでの敬意を払う者などばかりで、私個人への興味で話しかけてくる者など、ほとんどいなかったように思う。
ハイザという看板を下ろしてしまえば、私は街一番の美少女といったぐらいの評価しかされないだろう。
競馬の騎手にでもなれば人気者だったかもしれないな。
そして、三日目の野営の準備をしている時だった。
「お姉さん。いえ、シグリッドさん!私に剣術を教えてください!」
ヤヨイが、目を輝かせながら私の前に立ちはだかるようにして言った。
その手にはいつの間にか手頃な木の枝が握られている。
どうしたものか・・・。
「そなたは、その・・・、女の子なのだろう?」
ヤヨイの母親であるチトセによれば、女性が剣を握るというのは彼らの文化的には恥ずかしい事、らしい。
ユサールと他国では、男女の価値観というのは大きく異なる。
その為私には分からないが、そういう事らしい。
「シグリッドさんも女の人だけど、刀を持ってるじゃない」
「むっ、それはそうだが。私はユサールの騎士だからな」
真っ直ぐに私を見つめ返す瞳には、一点の曇りもない。
それは単なる子供の好奇心とは違う、何か強い意志を宿した光だった。
「いいじゃない姉さん、教えてあげれば」
隣から月比古が軽々しく言う。
「シグリッドだ、お前の姉じゃない。それに茶化すな。いくら貴殿が阿呆の類とはいえ、半端に武術を習えば碌な事にならん事ぐらいわかるだろう?」
私が睨みつけると、月比古は大げさに肩をすくめ手のひらをこちらに見せるように両手を軽く広げた。
なんだそのふざけた顔は、殴られたいのか。
「まっ姉さんの言いたい事もわかるけど、ヤヨイちゃんは真剣だと思うよ」
月比古の顔つきが変わる。
「それに、この子達は自衛の手段を覚えたほうがいい」
先ほどまでのふざけた表情ではなく、鋭い目つきになる。
同一人物とは思えないその表情に驚いた。
殺気に近いものを纏っているように見える。
「だがな、月比古。そうは言っても問題がある。私が教えられるのはユサール式の剣術だ。そしてこれは刀だ。似ているようで、全く違う」
朝倉鬼童丸を抜き放ち、月比古と子供たちに見せる。
「見ろ。この刀は片刃で、刃が緩やかに湾曲している。そして何より軽い。これは恐らく、斬ることに特化した武器だろう。扱いには独特の技術が必要なはずだ。正直、私にはまだよく分からん」
刀を鞘に収め、続けた。
「一方で、ユサールで使う剣は両刃で、多くは反りのない直刀だ。刀よりも厚く重いがその分頑丈で、突く、斬る、受ける、あらゆる状況に対応できる。私の剣技はその剣を扱うためのものだ」
そして、ため息をつく。
「つまり、武器が違えば、当然戦い方も、教えるべきことも変わってくる。私がユサールの剣術を教えたとして、ヤヨイがこの先使うかもしれない刀の扱いに、果たしてそれが役立つのか? この辺りでは刀の方が一般的なのだろう? 下手に教えては、かえって害になるかもしれん」
「まっ尤もだね。でも基本はそんなに変わらないんじゃない?姉さんだって、その刀でブンジさんの槍を斬ってたじゃない。姉さんは刀を素人目には扱えてるように見えたよ」
月比古が、私の懸念を軽く受け流すように言った。
これ以上無理に否定する理由もなく、私はあきらめた。
「分かった、降参だ。ヤヨイ、そなたに稽古をつけてやろう」
「本当!? やった! ね、フミツキも一緒にやろうよ!」
ヤヨイの顔がぱっと輝く。
フミツキは顔を左右に全力でふって、拒否していた。
「そういえば剣術ってどう教えるんだい?剣道なら少し、やったことあるけど」
月比古が意外なことを口にした。
「意外だな、貴殿も剣を学んだことが?」
かなり驚いた。
天上の文化は分からないが、この男が武芸事をやるようには見えなかったからだ。
そもそも翼紋章人である私には、男が武芸事をやる事自体驚きではあるのだが・・・。
「学校の授業でやった程度だからやったとはいえないけどね。それに剣道は剣術とは
多分違うと思うよ。まっどのみち僕は素人さ」
月比古はへらへらと笑う。
この男の言うことはどこまで本当なのか、まったく・・・。
気を取り直し、子供たちに向き直った。
「まずは素振りと足さばきからだな。」
私が鹿車に積まれてた適当な木の棒で手本を示し始めると、月比古とヤヨイが顔を見合わせて、少しつまらなそうな顔をした。
「地味・・・」
ヤヨイが正直に口にした。
「地味だが、これが全ての基本だ。」
ヤヨイを諭す。
武芸事など地味な事の積み重ねだ。
「基本ができていなければ、どんな技も意味をなさない。」
「型とかってやつも? そういえばあれってどんな意味があるんだ?」
月比古が、先ほどの剣道の話から思い出したように尋ねる。
「型は重要だ、月比古。基本となる技術や動作を正確に理解し、繰り返し体に染み込ませるためのものだ。戦いの最中に、次にどう動くべきかなどと考える時間はない。相手の動きに対し、最適な技を体が覚えていなければならないのだ。体に動きを染み込ませておけば、対峙した瞬間に思考を介さずとも体が勝手に反応し、技を繰り出せる。型稽古はそのためのものだ。だからこそ、基本が似ていても武器が変われば応用が利かないこともある。剣とこの刀はまさにいい例だな」
「ふーん、そういうもんかねぇ。そういえば、型といえば、木とか藁とかを刀でスパッと斬ってるのを動画で見たことあるけど。姉さんもできるの?」
またこの男は・・・。
動画が何か分からないが、私を試すような言い方だ。
刀の扱いは慣れていないと言ったはずなのに、この男はそういう事を言う。
ここでできないと言うのは私のプライドが許さないという事もわかっての事だろう。
「できるだろうな。ほら月比古、そこの薪を投げてみろ」
「流石、姉さん」
「姉じゃない、シグリッドだ」
子供達が期待の眼差しを向ける中、私は両手でしっかりと刀を握る。
ユサールの剣術は、攻撃と防御の両方に優れた柔軟性を持っている。
剣だけではなく槍などでも応用が利く剣術だ。
私は刀を右肩の上に担ぐように構えた。
刀身はやや上向き、ユサールでは淑女の構えと呼ばれる型だ。
ここからなら、斬撃も突きも、最小限の動きで繰り出せる。
「いつでもいいぞ」
声を合図に月比古が、えいっと薪を放る。
宙を舞うそれに対し、呼吸を整え、狙いを定め、私は全ての力を込めて一気に刀を横に払った。
パンッ!!
乾いた木が弾けるような甲高い音が響き、薪はあらぬ方向へ弾き飛ばされた。
私の膂力に対し薪が軽すぎたのだろう。
斬るというよりは、薪を打ち返してしまった。
薪は音の壁を突き破り、風圧で月比古と子供達も吹き飛ぶ。
ほとんど一直線に弾かれた薪は、勢いのまま鹿車の幌を突き破り、そのまま地平線の彼方へ消えていった。
一瞬の静寂。
月比古と子供達は何が起きたのか分からないといった顔で、起き上がる。
「オミゴート」
月比古が変なイントネーションで私を褒めるが、その顔は引きつってた。
私は無理やり平静を装い、ヤヨイに向き直った。
「と、ともかくだ。武器が違えばどんな手練れであってもうまく扱うことはできない。だが、基本を鍛錬すればこのように吹き飛ばすことはできる」
「それはいいけど、姉さん。どーすんのアレ」
月比古が指さした先は、幌が潰れた鹿車だった。
結局ヤヨイに剣術を教えるどころではなく、四人で鹿車の修理をして一日潰れてしまった。
翌日になってもヤヨイはめげずに剣術を教えてくれと言ってきた。
剣術を教えるにしても、木の棒では変な癖がつく、かといっていきなり刀をふらせるわけにはいかないので、フミツキに木剣を作れないか尋ねてみた。
槍を見事に直したのだから、似たようなものぐらい作れるだろうと思ったら、思ったよりしっかりとした木剣をフミツキは作った。
歪みもなく、重さのバランスも考えられているようだ。私が適当に削って失敗した槍の柄とは大違いだ。
「そなたは凄いな。ユサールだったら王宮付き鍛冶屋の徒弟になる事を勧めたいほどだ」
思わず感嘆の声が漏れた。
彼ははにかんだように俯いたが、その顔は誇らしげだった。
この少年の才能は、やはりこういうところにあるらしい。
その夜から、野営地での短い時間に、私はヤヨイに剣の基礎を教え始めた。
まずは素振り、そして足捌きからだ。
剣を振り上げ、振り下ろすという、一見すれば誰でも出来そうな動作。
しかし、きっちり上げて止め、振り下ろして止めるという動作は、意外と難しい。
振り上げた時に勢いのまま、振り上げすぎてしまうし、振り下ろす時も同じだ。
この止めるという動作が出来なくては、剣を操るのは難しい。
それはきっと刀でも同じだろう。
ヤヨイは驚くほどの吸収力を見せた。
私が一度手本を示すと、すぐにそれを模倣し、自分なりに反復する。
その動きには、子供とは思えない鋭さと集中力があった。
「姉さん、教えるの上手いんだね」
焚火のそばで、ヤヨイの練習を見ながら月比古が意外そうな顔で言った。
「凄いのは私ではく、ヤヨイだろう。素直に喜べないが、ヤヨイには才能があるな」
「素直に喜べない?才能があるのはいい事なんじゃないの?」
「どうかな」
私の声は、自分でも気づかぬうちに少し硬くなっていた。
才能があるのは良いことだ、と素直に思えない自分がいる。
剣や槍は、人を守ることもできるが容易く命を奪うこともできる。
それを、私は身をもって知っている。
私の心配をよそにヤヨイは眩しいほどの集中力で、私の動きを追い続けていた。
旅を始めて、五日目。
ブリガンテ平原は、どこまでも単調な景色が続いていた。
遮るもののない大地と、どこまでも広がる空。
時折、遠くに風運び(※大型の馴鹿)の群れが見える事があるが、それ以外は何もない。
初めてブリガンテ平原に入った時は、この景色の美しさに感動したが、見慣れてくるとだんだん不安になってくる。
これほど何もない場所は、これまで経験がなかった。
地平線だってブリガンテ平原で初めて見たのだ。
「なあ、姉さん。本当にこの先に集落なんてあるんだろうか?」
月比古が不安げに尋ねてくるのも無理はない。
「さあな。だが、ブンジはそう言っていた。子供たちも迷うことなく北へ向かっている。私達には同じ景色に見える、フミツキには違うものが見えてるようだ。こういう時は任せた方がいい。ちなみに姉じゃない、シグリッドだ」
そして、六日目の昼過ぎだった。
ずっと前方を見据えていたヤヨイが、突然声を上げた。
「あ! 見えた!」
彼女が指さす地平線の先に、目を凝らす。
確かに、陽炎の向こうに、いくつかの黒い点と、そこから立ち昇る細い煙が見えるような気がした。
「あれが、ウホルチークなのか?」
私が尋ねると、ヤヨイとフミツキは顔を見合わせ、力強く頷いた。
「うん! 間違いないよ!」
ヤヨイの顔に、安堵と喜びの色が浮かぶ。
フミツキも、少しだけ頬を緩ませていた。
ブリガンテ平原に入って、初めての大きな集落だ。
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