第8話
ブンジの槍はまだ幼さが残る少年に託されることになった。
私が悪戦苦闘した挙句、削りすぎてしまった柄の先端を彼はナイフで器用に整える。
その手には迷いがなく、幼ないながらも野営地にいた鍛冶職人を思い出す仕事ぶりだ。
「凄いなあの子」
隣で見てた月比古が感心したように呟いた。
思わず「あぁ」という声が漏れた。
彼らのような遊牧民は幼い頃からこうして、生活に必要な技術を自然と身につけるのだろう。
私が母や姉達から槍術を教わったように、受け継がれていくものだろう。
しばらく黙ってフミツキの作業を見ていると、私達の後ろでブンジが腕を組んでこちらのやり取りを見ていた事に気が付いた。
「フミツキは、昔から手先が器用でして」
ブンジの得意げな表情から、彼にとってフミツキが自慢の息子であることがうかがえる。
「フミツキは道具いじりが好きでしてね。以前あの子に鍛冶職人の話をした事があるのですが、それから道具を直したり道具を作るという事に夢中でしてね。扶桑で鍛冶職人にでもなってくれれば・・・」
ブンジは地平線に落ちていく赤い太陽を見つめながら、どこか悲しそうに言った。
「さてさて、日も暮れて参りましたな。ブリガンテ平原の夜はとても冷えます。テントは、さすがに張ることができませんので、あちらの
ブンジがテントの横にあった幌付きの荷馬車のようなものを指さした。
なるほど、馴鹿。つまり鹿が引くから"しかぐるま"で鹿車。
確かにブリガンテ平原の夜はとても冷えた。
風を凌げるだけでも随分と違うだろう。
「悪いね、姉さんが邪魔しかしてないのに!寝床まで用意してもらうなんて!」
おクソめ・・・。
腹が立つが、全くその通りなので言い返せない。
「あれ、姉さん。怒った?ねぇ、怒った?」
「怒ってないッ!姉じゃないと何度も言ってるだろ!」
「うわこっわ」
鹿車の中に入ると干し草のようなものが敷かれ、毛皮が数枚用意されていた。
久々の布団、しかも毛布までついている。
腹も満たされたし今日はよく眠れそうだ。
「こ、これで寝るのか・・・」
月比古の顔が引きつっていた。
無理もないだろう。
私も初めて庶民の宿を利用したときは同じ感想を抱いた。
庶民の寝床というのは毛布があるだけでも贅沢なものだ。
それに比べ、実家の天蓋付きのベッドのなんと無駄に豪華だったことか。
天上から降りてきたこの男は、どうみても庶民には見えない。
こうした庶民のベッドで寝たことなどないのだろう。
「私は先に寝るぞ。言っとくが、これでもかなり贅沢な寝具だからな」
鹿車の中は、干し草と毛皮の匂いで満ちていた。
外で吹く風の音が、幌を揺らす。
毛皮を引き寄せると、重い疲労感が心地よさへと変わる。
私はいつの間にか眠りに落ち・・・。
ンゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
「え、うそでしょう?」
隣で月比古が凄まじいいびきを響かせる中、私はなんとか眠りに落ちた。
翌朝、鳥の声で・・・。
いや、この平原に鳥などいたか?
とにかく、何かの鳴き声と朝日と共に目を覚ました。
鹿車から外に出ると、既にブンジとチトセは活動を始めていた。
あの巨大な馴鹿達の世話をしているようだ。
二人に挨拶をし、世間話程度に馴鹿の事を伺った。
なんでも馴鹿には大きく分けて、大中小の三種類がいるそうだ。
目の前にいる巨大な馴鹿は風運びと呼ばれており、大きな荷物を運ぶ事ができる。
角は年に一度生えかわり、その角は道具や薬になるのだという。
中型の馴鹿は道踏みと呼ばれ、昨日寝た鹿車を引っ張るのだという。
それから食料などになる小型の馴鹿、これは根の子と呼ぶそうだ。
「貴殿には世話になっている。その、何か手伝えることはあるだろうか」
確かに襲撃を受けたという点において、ブンジたちに非があったのは否めない。
とはいえ私は無傷だし、食事の世話をしてもらい寝床まで用意してもらった。
槍の修理に失敗したことへの情けなさも拭えない。
騎士として、受けた恩には報いるべきだろう。
「はは、お気遣いなく。ですが、そうおっしゃって頂けるなら」
ブンジは少し考え、「では、そこの水汲みをお願いできますかな。朝の支度がありまして」と、近くの革袋を指さした。
チトセは既に炉の火を熾し、鍋の準備をしている。
「水汲みか。まあ、それくらいなら私にもできるだろう」
ちょうど眠たそうに目をこすりながら月比古が鹿車から出てきた。
「月比古、貴殿も手伝え」
「えー、僕もぉ? 寝つきが悪くってしんどいんだけど」
「あんないびきをしておいて、よく言う・・・」
わなわなと拳を握ると、観念したのか慌てて月比古が手伝うと言った。
水場はテントから少し離れた場所にある、小さな湧き水だった。
普通に歩いてたら見逃してしまうほどだというに、この広大な平原で、よくこのような場所を見つけられるものだと感心する。
水を汲んで戻ると、馴鹿達の世話をしていた子供たちがこちらに手を振った。
姿が見えなかったのでまだ寝ているのかと思ったが、遊牧民の朝は早いようだ。
「お姉さんはお侍さんなの?」
ヤヨイがこちらに走って駆け寄ってくる。
昨日とは打って変わって好奇心に満ちた目で、私の腰にある朝倉鬼童丸を指さした。
それにしてもお侍さん?私の事だろうか?
「だってお姉さん、それ刀でしょ! 私も大きくなったらお侍さんになって刀でみんなを守りたいの!」
目を輝かせ一気に言葉を紡ぎ出す。
私がブンジの槍を斬ったことや矢を避けたことなど、昨日の戦いを熱心に語る。
ヤヨイの言うお侍さんとは、扶桑王に認められた特別な戦士だったはずだ。
ユサールに近い概念があるとすれば、騎士や貴族がそれにあたるのだろう。
私のように武勇を轟かせる者のはずだ。
「こら、ヤヨイ。シグリッドさんが困っているでしょう。ごめんなさい、シグリッドさん。この子は侍に憧れているんですよ。女の子なのに、お恥ずかしい」
「女の子なのに?」
私は思わず聞き返して、後悔した。
ユサールでは武勇はむしろ女性が誇るべきものだが、ほとんどの国ではそうではない。
「あっ…」チトセはしまった、という顔をした。
「そうでしたね、ユサールでは違いましたね。」
チトセは何故か慌てて取り繕う。
失言はどちらといえばこちらなのに、気を使わせてしまった。
子供の憧れを否定するというのは憚られるが、私はヤヨイに向き直り。
「すまない、ヤヨイ。私はお侍さんとやらではなく、ユサール王国の騎士だ」
「騎士って? 刀を持ってるのにお侍さんじゃないの?」
ヤヨイは不思議そうに首を傾げる。彼女にとっては「刀を持つ者=侍」という認識なのだろう。
「シグリッドさんのお国にはお侍さんはいないけど、騎士がいらっしゃるのよ。侍に似てるけど、ちょっと違うのかな」
チトセが会話を引き取り、私の方を見て会話を続ける。
「ユサールの方が刀を持ってるなんて、本当に珍しいですね」
「貴殿は刀を知っているので?失礼、他意はないのだが」
「この辺りは扶桑国に近いものですから、夫の兄も刀を持っていますので。でも、ユサールの方で刀というのは、珍しいですね。ユサールの方は剣を持つのでしょう?」
なんだか探りを入れられてるような、どうも慎重に尋ねられている。
最もだとは思う。
チトセからすれば私は得体が知れないのだろう。
「これは、私の武功が認められ、王妃から直接賜った物だ。私はこの刀の使い方を学ぶために、扶桑国に向かっていたのだが、迷子になってしまってな」
出国時の口実をそのまま使う。
嘘ではないが、全てでもない。
「ところで、貴殿は武器に随分詳しいのだな。いや、すまない。他意はないのだが」
私の言葉に、チトセは少しだけ表情を曇らせた。
「えぇまあ。私達は道具には魂が宿ると考えますから。特に、命を守る武器は大切に扱いますので、自然と詳しくもなります」
魂が宿る、か。
ユサールではあまり聞かない考え方だ。
武器はあくまで効率よく敵を屠るための道具というのがユサールでの考え方。
腰の朝倉鬼童丸に無意識に手をやった。
「なるほど、それで扶桑へ武者修行ですか。それはご苦労様なことです」
チトセは私の内心を見透かしたように言うのではなく、私の言葉を穏やかに受け止め笑顔を見せた。
深入りはしない、ということなのだろう。
確かに、私の説明には不自然な点が多い。
飛州国の西に扶桑国はあるのに、私は飛州国を出て南下していたのだから。
言ってる事と一致していないのは明白だ。
それでも追及しないのは、彼女なりの配慮なのかもしれない。
「さ、ちょうどお昼です。立ち話もなんですから、こちらへどうぞ。 簡単なものですが」
私の思考を遮るように、チトセはそう言って、私達をテントの方へ促した。
昼食は、昨夜の残りの馴鹿の肉を使った簡単な煮込みと、硬いパンのようなもの、そして例の塩辛いミルクティーだった。
味は昨日と同じだが、空腹と、ほんの少し打ち解けた空気のせいか、昨日よりは食べやすく感じられた。
月比古は相変わらず微妙な顔をしていたが。
食事が終わると、ブンジが真剣な顔で切り出した。
「シグリッドさん、月比古さん。この後、お二人はどうなさるおつもりで?」
「そうだな・・・。当初の予定通り、扶桑国を目指すつもりだ。迷ってしまったので北の飛州国境を目指して歩いていたら、貴殿らのテントを見つけたのだ」
ブンジが目を見開いて驚いた。
「ここから飛州の国境までは、かなりの距離がありますよ?歩いていくのは・・・、とてもその、現実的では」
どうやらかなり迷って見当違いの所に進んでいたようだ。
「それよりも、扶桑に向かわれるのでしたらウホルチークに向かってみてはいかがでしょうか?ちょうど私の子供達も明日、チークに向かうのですよ」
「失礼、チークとは?」
聞き慣れない言葉に、私が尋ねる。
「我々のような、テントを張って移動する小規模な集落のことです。このブリガンテ平原には、我々熊紋章の者だけでなく、烏、狼、狐、兎、鹿など様々な紋章を持つ『獣紋の民』と呼ばれる者たちが、帝国から逃れ、チークを転々としながら暮らしております」
ユサールのように単一の紋章民族が主体となっている国が一般的だが、複数の紋章民族が混在する国も存在する。
しかし多くの場合、支配民族による差別がある。
ユサールとて、他民族への嫌悪感がないわけではない。
だからこそ、彼らはダークネスシャイン帝国の奴隷狩りの対象になっているのだろう。
「それと、これは厚かましいお願いなのですが、私達の子供たちヤヨイとフミツキを、しばらくの間、護衛していただけないでしょうか?」
「護衛?」
予想外の申し出に、私は眉をひそめた。
「ええ。ヤヨイもフミツキも、もう独り立ちしてもおかしくない歳頃なんですが。このあたりでは、あの子たちくらいの歳になると、自分たちで鹿車を操り、他のチークを回って角や毛皮、我々が作った工芸品などを売り、生活の糧を得る術を学ぶのが習わしなのです。ヤヨイにとっては初めての、フミツキにとっては姉についていく形での、大事な旅立ちの予定でした」
「それはまたずいぶんな。幼く見えたが、私の初陣もあれぐらいの歳だったか。なればこそ、私が護衛していいものなのか?」
「親馬鹿と笑われるかもしれませんがやはり心配なのです。特にヤヨイは活発すぎて危なっかしい。フミツキは臆病ですしな。もしよろしければ、ウホルチークまでの道のり、行きだけでも結構ですので、あの子たちに付き添っていただけないかと」
ブンジは深く頭を下げた。
「もちろん、ただとは申しません。あの子たちがチークで品物を売った代金の中から、護衛料として十分な額をお支払いします。それに、お二人が扶桑国へ向かうのであれば、このあたりに点在するチークを辿っていくのが一番安全で、食料や情報も手に入りやすいでしょう。ウホルチークは北への経路上にあります」
私は月比古と顔を見合わせた。
彼の提案は、確かに我々にとっても都合が良い。
道案内と護衛を兼ね、報酬も得られる。
食料の心配も減る。
どれをとっても断る理由がなかった。
「…分かった。引き受けよう。ウホルチークまで、責任をもって彼らを送り届ける」
「おお! ありがとうございます、シグリッド殿!」
ブンジと、隣にいたチトセの顔がぱっと明るくなった。
ヤヨイは大はしゃぎだ。
間近で刀や私の戦いぶりが見られる事を期待しているのかもしれない。
そんな事態が起きては困るのだが。
その夜。再び鹿車の中で、私は月比古と向き合っていた。
昼間のブンジの提案について、どうしても確認しておきたいことがあった。
「貴殿はどう思う? 今日のブンジの話」
「んぁ? いんじゃねーの? ご飯も食べられるし、道案内もしてくれるんでしょ? ラッキーだよ、姉さん」
「そういう意味ではない。話が我々にとって都合が良すぎるとは思わないのか?」
きょとんとする月比古。
やはりこの男は何も考えていないのか、と思ったが、彼の目が不意に真剣な色を帯びた。
「まっ、確かに。あのブンジさんって人、ただの遊牧民にしちゃ、妙ではあるね」
意外だった。てっきり「恩人を疑うなんて酷い!」とでも言うかと思っていた。
「姉さんは、どうおもう?あの二人について」
「そうだな。チトセは分からないが、ブンジは妙といえば妙なのだろう。あの男の槍捌き、あれは素人のものではない。どこかで専門的な訓練を受けた者の動きだ。平民が、ましてや常に移動している遊牧民が、あれほどの槍術を身につけているというのは、妙ではあるな」
「へえ、姉さんはそういうの分かるんだ。じゃあさ、姉さんは学校とか行ったことあるの? 槍の学校とか、いやこの場合は士官学校とかかな?」
「学校?」
学校という言葉はユサールにはない。
だが近い言葉ならある。
「ああ、いや貴族の子弟が通う『学院』なら首都にあるが、私は行っていないな。家庭教師が14歳までついていたが、その後は軍に入ったからな。貴族は14歳になるとだいたい学院に通うが、私はハイザ家の人間だからな。すぐに軍に入ったよ」
「ふーん。じゃあ、平民は?」
「普通は行かないな。職人や商人なら、徒弟制度で技術を学ぶのが一般的だ」
「まっそうだよね。この世界の水準はそういう感じがする」
月比古は納得したように頷き、人差し指をピンと立てた。
「だとすればやっぱり妙なんだよ。ブンジさんは教養がありすぎる。おそらくチトセさんもね。今日一日見たって遊牧民は仕事以外の事を学ぶような暇はないんだ。姉さんの国でもそうなんじゃないか?」
「そうだな、平民の子は学ぶ時間がないというのはユサールでも同じだ。第二王妃のヘンリエッタ様は常々その事を嘆かれておられた。子供達に教育を施したいと」
月比古の言う通り、ブンジとチトセには違和感がある。
ブンジの槍捌きもそうだが、チトセはユサールの文化に理解があった。
隣国ですらユサールの文化はあまり知られてないというのに。
「まぁでも姉さん、考えても仕方がないんじゃないか?僕らには他に選択肢が無いよ。姉さんが、ちゃぁぁんと下調べをして旅をしてれば、こんな事にはならなかったんだろうけどね」
「どの口が。貴殿とて、それは同じだろう。後、さっきからずっと姉と呼んでるが、私はシグリッドだと言ってるだろ。貴殿の姉じゃない」
翌朝、私達は旅立ちの準備を整えた。
ブンジが用意してくれたのは、私達が寝泊まりしてた鹿車だ。
二頭の中サイズの馴鹿、道踏みが、既に従順に軛に繋がれている。
荷台には最低限の水と干し肉、毛皮、馴鹿の角が積まれていた。
思ったよりも荷物は少ないように感じる。
私と月比古が同行したために、その場所が確保されているのかもしれない。
だとすれば、申し訳ないことした気がする。
「お姉ちゃん、早く行こうよ!」
ヤヨイは興奮した様子で、既に御者台に座っている。
隣には、緊張した面持ちで手綱を握るフミツキ。
この幼い少年は、今から自身の姉と、見ず知らず二人の大人を乗せて旅をするのだ。
小さな体に重責がのしかかってしまっている。
心配になるが、最悪の場合は私が手綱を握ればいいだろう。
こういう所は私もユサールの女なのだと実感する。
むしろ手綱を握ってみたいからだ。
私と月比古も荷台に乗り込む。
思ったより揺れは少ない。
「シグリッド殿、月比古殿。子供たちのこと、くれぐれもよろしくお願いします」
ブンジと、隣に立つチトセが、深々と頭を下げて見送ってくれる。
その表情は・・・。
子供たちの門出を祝う親のそれとは少し違っていた。
ヤヨイとフミツキの顔を交互に見つめるその瞳には、喜びよりも、何かもっと重い覚悟を決めたような、悲痛な色が滲んでいるように私には見えた。
「そういうことか」
隣に座った月比古が、彼らの顔を見て小さな声で呟いた。
見れば、彼の顔にはいつものような軽薄さはなく、深い哀れみと何かを完全に理解してしまったような悲しい色が浮かんでいた。
私がその表情の意図を測りかねていると、フミツキがおずおずと手綱を引いた。
道踏みがゆっくりと歩き出す。
私達四人を乗せた鹿車は、いつまでも手を振り続けるブンジとチトセの姿を背に、ウホルチークへと続くであろう、見渡す限りの荒野の中へと進んでいった。
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