第10話
道踏み(※中型の馴鹿)の引く鹿車は、ゆっくりとした足取りで前方のテント群へと近づいていく。
陽炎の向こうに見えていた黒い点と立ち上る煙が、近づくにつれ正体を現す。
それは獣皮のようなものを張った円錐形のテントが寄り集まった集落だった。
あれがチーク、ウホルチークなのだろう。
ブリガンテ平原に入って初めて目にする、まとまった人の営みだ。
数十の大小様々なテントが不規則に並んでおり、中央付近の特に大きな住居からは盛んに煙が立ち昇り生活の匂いが漂ってくる。
囲いの中では根の子(※小型の馴鹿)が草を食み、道踏みも数頭、荷物の運搬に使われているようだ。
私達の鹿車に気づいたのだろう、何人かの人々が作業の手を止め、こちらに視線を向けてくる。
それは予期せぬ訪問者に対する戸惑いのように感じられた。
テントまで近づくと何人かの男達がこちらへ歩み寄ってきた。
先頭に立つのは、ひときわ体格のいい大男だ。
「ブンタ叔父さん!」
ヤヨイとフミツキがその大男の名前を呼んだ。
「おお、ヤヨイとフミツキか!こんな時期に誰が来たかと思ったぞ」
ブンタと呼ばれた大男は二人を力強く抱きしめた後、私と月比古に鋭い視線を向けた。
「だが、お前たちだけで来たのか?チトセは一緒じゃないのか?お前たちだけで来るにはまだ早い時期だと思うが、それにそちらの方々は?」
その立ち振る舞い、表情から警戒してる事が伝わってくる。
いやむしろ、威嚇されてるとも言えるだろう。
私の騎士としての感が、この男がただ者でない事を告げている。
「その子達の父親に護衛を依頼された者だ」
「護衛?ブンジにか?」
ブンタが聞き返す。
「あぁ、心配だからとの事だ。私は扶桑国を目指していたのだが、道に・・・。その迷ってしまってな。彼らに助けられた。その礼も兼ねて、ウホルチークまで子供たちを送る依頼を受けた」
ブンタは黙って私の言葉を聞いていたが、やがて無骨な手で自身の顎をゆっくりと掻きながら、何かを深く考えているような表情を見せた。
私と月比古、そして子供たちの様子を値踏みするように観察しているのかもしれない。
しばらくの沈黙の後、ブンタはふっと息を吐く。
「そうか、俺はこの子達の叔父でブンタ。ブンジの兄だ。二人を護衛してくれてありがとう」
シグリッドだ、と私は簡潔に名乗った。
この場においては、私が軍人である事やユサールの貴族である事を名乗るのは避けたほうがいいだろう。
「シグリッド? 珍しい名だな、獣紋の民ではきかないな」
私の名前はブリガンテ平原、いやこの辺りでは珍しかったようだ。
余計にブンタの警戒心を高めてしまった。
思い返してみれば、飛州国でも名乗るだけで翼紋章人だと気づかれていた。
逆にブンジやブンタに、ヤヨイやフミツキといった名前はユサールでは聞いたことがない。
そう考えてみると、月比古という名前の響きは彼らに似ている。
「僕は月比古、フルネームは清水月比古っていうんだ 」
ブンタが私を警戒し不穏な空気が流れる中、その月比古が割って入った。
「あ、そうだ!」
ヤヨイがわざとらしく手を叩いた。
月比古もヤヨイも、不穏な空気を和らげようと努めているように見えた。
「叔父さんにお父さんから伝言があるんだよ!」
ヤヨイはブンタの前に進み出て、少し背伸びをしながら、はっきりとした声で。
「えっとね、『そうしひとたびさってまたかえらず』って伝えてだって」
ヤヨイの口にした言葉の意味は、私には皆目見当がつかなかった。
どういうことだろうか?
その疑問と共に月比古へ視線を送ると、月比古は眉間に皺を寄せて鋭い目つきをしていた。
私に見られた事に気が付いたのか、月比古はすぐにいつものへらへらとした表情に戻った。
一方のその言葉を受け取ったブンタは、低い声で「そうか」と一言呟くだけにとどまった。
その表情は先ほどまでの厳しいものではなく、どこか物悲しそうな、諦めたような色を帯びている。
ヤヨイにはそのつもりが無かったのだろうが、どうやら相当重い言葉のようだ。
ブンタの物悲しそうな表情と、それを聞いた月比古の一瞬の硬直、そしてすぐさま表情を取り繕った態度がそれを物語っている。
何かの暗号かとも考えたが、月比古はその意味を知っており、それを悟られまいとしている。
私にわかる事と言えば、あの言葉は良くない意味を持つらしいという事だけだ。
「シグリッド殿、月比古殿! 遠路はるばる、子供たちを無事に送り届けていただき、心から感謝申し上げる! 何ももてなさぬわけにはいくまい! 今宵は我々のところでゆっくりと休んでいってくれ! ささやかながら、歓迎の宴を開きたい!」
ブンタはそう言うと、努めて大きな声を出し、豪快に笑ってみせた。
しかし、その声はどこか空々しく、無理に明るく振る舞っているのが痛々しいほど伝わってきた。
私達はブンタ達のテントの中でも特に大きなものに招かれ、食事を振る舞われた。
料理は、ブンジのところでご馳走になったものとよく似ていた。
根の子の肉を煮込んだものや、硬いパン、そして塩辛い乳の茶。集落の者たちが持ち寄ったのか、食べきれないほどの量が並んだ。
宴は、子供たちのはしゃぐ声や、集落の男たちの陽気な歌声や笑い声が響き、賑やかなものだった。
ブンタも先ほどの様子が嘘のように、豪快に肉を頬張り、私達や他の者たちに料理を勧めてくる。
彼らは客人である私達を、心から歓迎してくれているようだった。
ヤヨイとフミツキも、他の子供達とすぐに打ち解け、楽しそうに笑っている。
そんな賑やかな中で、私は目の前の光景に興味を惹かれていた。
屈強といえるような大男たちが、骨付き肉にかぶりつき、実に豪快に食事をしているのだ。
大男自体は戦場で相見えた事があるので珍しいものではないが、その食べ方だ。
ユサールでは、あのように食事をするのは主に屈強な女兵士たちだ。
貴族はもちろん、庶民の男ですら人前であのような食べ方はしない。
そもそもユサールに屈強な大男がいないというのもあるが、男といえばナイフとフォークを使い、小さな肉の塊を時間をかけてちまちまと食べる事が多い。
ここではそれが逆なのだ。まるで男女の役割が入れ替わっているようで、私は少し面白く感じてしまった。
その反面、月比古はユサールの男性に近いのだろう。
特に独特の風味を持つ乳の茶や、硬い乾燥肉にはほとんど手を付けていない。
妖怪パン齧りといった様子で、硬いパンばかり食べている。
そんな月比古の様子に気づいたのか、あるいは単なるもてなしの言葉か、ブンタが彼に声をかけた。
「どうですか、月比古殿! お口に合いますかな?」
月比古は一瞬、顔を引きつらせたが、すぐに無理やりの笑顔を作って答えた。
「えぇ、とても独特な風味で、力強い大地の味を感じて、僕には刺激が強いですね。面白い経験ですよ!」
それは遠回しに美味しくないと言ってないか?
私はというと男達に負けずと骨付き肉にかぶりついた。
男達は逆にそれが珍しかったのか、どうも気にいられたようで、次々に骨付き肉が私の前に運ばれてきた。
食事が終わると、ブンタは私達を客用のテントへと案内してくれた。
「今宵はこちらをお使いくだされ。ゆっくりお休みください」
テントの中には寝具用の毛皮が用意されていた。
ブンタはそれだけ言うと、他の者たちと共に立ち去っていった。
子供たちは、おそらくブンタの住居に引き取られたのだろう。
幌を閉じ、月比古と二人きりになった。
気配を探っても周囲には誰もいなさそうだ。
「さて、月比古」
「なんだい、姉さん」
月比古の表情はいつも通り殴りたくなるような、腹立たしい魅力があるへらへらした笑顔だ。
だが、私には聞いておかねばならない事があった。
「ヤヨイが言った『そうしひとたびさってまたかえらず』とはなんの事だ?貴殿は意味が分かったのだろう?」
「ありゃま、どうしてそう思うんだい姉さん」
いつも以上に姉さんという言葉を月比古はつけてくる。
私がそう呼ばれるのを嫌ってる事を分かってやっているのだ。
姉じゃない、シグリッドだと言って私が怒るのを待ってるわけだ。
だからこそ、今は指摘すべきじゃないだろう。
「とぼけるな。思えば貴殿は、ブンジ達のテントを出発する時も何か察していたな?」
私の追及に、月比古は「えー、なんのことかなー?」とわざとらしく視線を泳がせた。
「あの言葉は何なのだ? 貴殿とブンタは明らかに動揺していたな?」
「はぁ、分かったよシグリッド」
月比古はわざとらしく深いため息をつく。
「壮士ひとたび去って復た還らず。これはね、ある国の刺客・・・。暗殺者が、敵国の王を殺しに行く、その旅立ちの際に詠んだ詩の一部だよ。強い志を持った男は、一度覚悟を決めて出発したら、二度と生きては帰らない。そういう意味なんだ」
月比古の表情は、いつものへらへらしたものではない。
時折見せる厳しい表情になっていた。
この男に妙な苛立たしさを感じる事があるのは、こういう所だ。
数日行動を共にしてよくわかったが、月比古はわざとへらへらした態度をとっている。
「二度と生きては帰らないか。ヴァルハラで会おうみたいなことか?」
私は、ユサールの戦士の間で語り継がれる死後訪れる約束の地の名を口にした。
それは天上に住まう王達に認められた勇敢な戦士だけが招かれる栄誉ある場所だ。
そこでは生前の武功を讃えられ、厳しい戦いの日々から解放されるのだという。
美しいドレスに身をまとい、仲間たちとのお茶会に舞踏や観劇、それから望む限りの美食を味わえるとされる。
そんな地上の責務から解き放たれた、安らぎと悦楽に満ちた場所だと言われている。
「あれ、そっちは通じるんだ?ん~、この世界の文化はよくわからないね」
やはりというべきか、月比古はヴァルハラという言葉にも心当たりがあるようだ。
ユサール以外では通じない言葉だが、彼も王だという事だろう。
「まぁちょっと違うけど、その理解でいいかな。つまり、そういう事だよ」
月比古が言うそういう事は、ちょっと鈍感で可愛げのある美少女の私でもすぐに思い至る事ができた。
私達はブンジ達のテントを訪れた際に、かの邪知暴虐なダークネスシャイン帝国の兵と勘違いされブンジから奇襲を受けた。
ブンジは私に子供の護衛を依頼した。
出発の際、ブンジとチトセの瞳からは、何か重い覚悟を決めたような強い意志が感じられた。
ブンタは子供達に「こんな時期に誰が来たかと思った」と言った。
ブンタはヤヨイとフミツキに対して「お前たちだけで来たのか?」と驚き、来るにはまだ早いと言った。
そしてあの言葉は、死地へ向かう暗殺者の詩。
「ブンジ達の所にはダークネスシャイン帝国の軍が向かっているのだな?そしてあの二人は、子供を逃がすために私達に護衛を依頼したのだな・・・」
「半分正解だろうね。あの二人はね、多分きっと逆に奇襲を仕掛けに行ったんだよ。その事をブンタに伝える為に詩をヤヨイちゃんに託したんだ」
月比古の声には、深い哀しみが滲んでいた。
だからこそ、私は聞かなければならないと思った。
「その詩を詠んだ暗殺者はどうなったのだ?」
聞きたくはないが、聞かねばならない。
つまりその詩を読んだ者の結末次第では、あの二人の覚悟が希望であるのか、あるいは絶望であるのか。
最も風運びを伴ったとしても、軍という雪崩のような力にたった二人で抗えない事は、リンゲン伯爵である私自身が一番よくわかってる事だ。
月比古は、私の目を真っ直ぐに見据え、静かに、しかしはっきりと告げた。
「暗殺に失敗して、国ごと滅んだよ」
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