第7話
刀を突き付けられてるというのに、石弓を持った女性は微動だにしない。
その顔に恐怖心はなく、鋭い瞳でこちらを睨んでいる。
女性の背後には二人の子供、背の低い男の子と背の高い女の子がいた。
男の子の方は、体を震わせ今にも泣きだしそうだ。
女の子の方は、こちらを睨んでいる。
その手には何かの棒が握られており、今にも飛び掛かってきそうだ。
母親同様の強い瞳というよりは、まるで獣の瞳だ。
後ろの方では、二人の男が叫んでいる。
一人は槍を持った男で、家族に手を出すなとかそういった事を叫んでる。
もう一人の男はというと。
「ねぇさぁん、たすけてぇぇぇ!」
言うまでもなく、ボコボコに殴られ必死に助けてと叫ぶ月比古だ。
「私はユサール王国、王妃近衛重装長槍騎兵第一連隊連隊長、リンゲン伯爵
シグリッド・ハイザ。略奪者ではない。戦わないで済むなら、話し合いで済むならそれが一番いいと、そう思うのだが」
女性が石弓を地面に置く。
「貴方達はダークネスシャインの兵ではないの?」
首を振った。
違うと声に出して言いたかったが、略奪する事も考え彼らに近づいた。
その後ろめたさが声を出す事を躊躇わせた。
「私達、いや。少なくとも私は旅人だ。扶桑国を目指している」
「扶桑国を?ならどうしてこんな場所に・・・」
女性の問いは尤もなのだろう。
迷った事は抜きにしても飛州国から扶桑国を目指すなら、そもそも南下してナバレノに向かいはしない。
ダークネスシャイン帝国の紋章人でないのに、ナバレノ方面から歩いてくれば疑うのは当然だ。
「姉さんは、迷子っす。いや僕もなんだけどね」
顔を真っ赤に腫らした月比古が言った。
いつの間にか月比古と男は私達のところまで来ていた。
男の手には私が斬り落とした穂先が握られ、それを月比古の背中に当てていた。
「負けたのか」
「万年アルバイターの僕が勝てるわきゃないっしょ!」
何故か得意げに月比古が言う。
どうやらこの男に背中を預ける事は無理のようだ。
「私は、熊紋章人のブンジ。それから妻のチトセ、娘のヤヨイと息子のフミツキです」
どう見ても捕虜にしか見えない月比古が元気よく挨拶する。
状況を分かっているのだろうか、阿呆め。
「ところで私の鞘はどうした」
「そういえばどっかいった!」
ブンジの方を見ると、ブンジは穂先を下げた。
「よし取ってこい」
「僕は犬かよ!」
「貴殿に貸したのだ、責任をもって返せ」
ぶつぶつと文句を言うので、刀を向けると月比古は諦めて鞘を取りに走っていった。
どうもあの男と話してると調子が狂う。
これまで私の周囲にはいなかったタイプの男だ。
ユサールは女性が多く、男性自体が少ないというのもあるが。
それにしても、こんな男は大陸広しと言えどそういるもんじゃないだろう。
「ねーさん!あったよ!鞘あったよ!」
「そうか、しまっといてくれ」
月比古向けて、思いっきり刀を投げた。
「あぶなっ!普通さ、刀を投げないだろ!どうなってんだよ、姉さん!」
叫ぶ月比古を無視して、私は手を上げもう武器を持ってない事をアピールした。
話し合いをしようという合図だ。
その事を分かってもらえたのか、私はテントの中に案内された。
テントの中はかなり暗かった。
中央には炉があり、壁側にはベットが三つと家具が置かれている。
夫婦は落ち着いた態度だが、子供たちはそうはいかないようだ。
娘のヤヨイは私を睨んだままだ。
「それで、何故私を襲ったのですか?」
ダークネスシャイン帝国の兵士と誤解されたとしても、いきなり不意打ちというのはあまり穏やかではない。
確かにダークネスシャイン帝国の評判はかなり悪い。
ダークネスシャイン帝国の兵士が話題に出ると、決まり文句のように「かの邪知暴虐の」という言葉が付いてまわるほどだ。
だがいくら治安が悪いとはいえ、やってきた自国の兵士をいきなり奇襲するのは妙だ。
「そら姉さんが殺意マシマシで全員ぶった斬るとかいってたし」
「姉じゃないと言ってるだろ、斬られたいのか」
「刀は僕が持ってるもんね!」
「言っとくが、私は拳で熊を倒せるぞ?」
テントに入ってきた月比古が軽口をたたく。
「先ほども言いましたが、私達は熊紋章民族なのです。ユサールは確か翼紋章人の住まう国でしたな。他民族は住んでいないとか」
「いないわけではないが・・・、いや今はいないかもしれないな」
数年前まではユサールにも他民族が住んでいた。
東の隣国である大津国との国境付近に百合紋章人が多く住んでいた。
それを追放したのは
いや、よそう。
今はダークネスシャイン帝国の話だ。
「姉さんの国は有名なんだね。1700kmも離れてるのに」
「そうだな、列強国の一角と言われてるぐらいには有名だと思うが」
「へぇ、不思議だね」
そういって月比古は黙り込む。
またあの顔だ。
言葉の話をしてた時に急に黙り込んだ時と同じ顔。
この男が信用できないのはこういう所があるからだ。
ずっとふざけているのに、いきなり真剣に何かを考えこむ。
「続けても?」
「あぁ、すまない」
ブンジは自分達の現状を語ってくれた。
それによるとダークネスシャイン帝国には多くの紋章人が住んでいるらしい。
だがそのほとんどは奴隷として扱われており、逃げ出した紋章人達はここブリガンテ平原で遊牧民として暮らしているのだという。
生活のスタイルとしてではなく、いつでも逃げれるように定住できない。
時々、ダークネスシャイン帝国はブリガンテ平原に派兵して奴隷狩りをおこなう事があるという。
私達は奴隷狩りの先兵と勘違いされたようだ。
なるほど、かの邪知暴虐のという言葉は間違いなかったようだ。
「なるほど、事情はわかりました。確かに不用意に近づいた私達にも非があるな。幸い、どちらも傷ついていない」
「僕はボコボコなんだけど?」
「私も、子供をもう殺めたくはない」
「だが飯は欲しい!!いでぇええええ」
月比古を思いっきりぶん殴った。
せっかくダークネスシャインの兵士ではないという誤解は解けたのに、それでは同じ略奪者と言ってるようなものではないか。
確かに最初は略奪もやむなしと考えたがそれは敵兵だった場合だ。
この家族から食料を奪うなどと、この阿呆には人の心がないのか。
「姉さん、殴らなくてもいいじゃんか!ジョーダンだよ、ジョーダン」
「姉じゃない、シグリッドだ。何度言えばわかるんだお前は・・・。それに前々から言おうと思っていたが、私はどちらかといえば妹だ」
「マジかよ、姉さん」
「妹だと言ってるだろうが!」
ギュルルル。
月比古の胸倉を掴んでいると、お腹が大きな音を立てた。
阿呆に当てられたのか、気が緩んだのか、どちらにしても恥ずかしい。
「お詫びを兼ねて馴鹿をご馳走しようと思うのですが、いかがでしょう」
「やったぜ姉さん!飯だ!」
まったくため息しかでないが、食事を頂けるのは嬉しい。
今は空腹が最大の敵だ。
だが、一つ気になった。
「馴鹿とは?まさかあのテントの周りにいた巨大なヤツを・・・。食べるのか?」
あの巨大な角を持つ鹿のような生き物、あれを食べるというのだろうか。
いやむしろ食べられるのか?
「あれは大きい方ですね。そして私達にとって家族同然、生活を支える大事な仲間です。食べる事はありません。しかも怒らせれば実に恐ろしい。あの角で突き上げられでもしたら、人はなすすべもなく宙を舞い、あとは怒り狂った群れに踏み潰される。ですが、どうでしょう?貴方様なら、もしや勝てるのかもしれませんね」
確かに大人しそうな生き物に見えたが、あの立派な角に突き上げられたらひとたまりもない。
いくら家畜とはいえ、大人しく屠殺に応じるとは思えない。
おそらく突進力はあるだろうが、横移動はどうだ?
熊ほどの旋回性があるようには見えない。
熊を斬り捨てた事がある私なら、ひょっとしたら勝てるのではないか?
私がどうすれば、あの巨大な馴鹿に勝てるかと真剣に考えていると、ブンジは「はは」と乾いた笑いを見せた。
「私達が頂くのは、もっと小さな種類の方ですよ。大きいのは、移動や荷運びのための大切な力ですから」
どうやら、からかわれた様だ。
私とブンジが話している間に、妻のチトセと娘のヤヨイが手際よく炉の鍋から何かを木の器によそい、私と月比古の前に差し出してくれた。
フミツキと呼ばれた少年も、おずおずとしながら小さな木の杯に白濁した飲み物を注いで運んでくる。
ヤヨイの方はまだ少し警戒しているようだ。
こちらの方をじっと見ている。
一方のフミツキの方は目が合うとビクリと肩を震わせた。
差し出されたのは、大きな骨付きの肉塊と、たっぷりの汁。
これが馴鹿の肉か。
見た目は武骨で、香辛料の香りなどはほとんどしない。
ただ、肉と骨から溶け出した脂の匂いが、私の空腹を強烈に刺激した。
傍らには白く濁った温かい飲み物と、石のように硬そうな乳白色の塊が添えられている。
「・・・っ」
肉のスープを口に入れると濃厚な獣の出汁と、強い塩気。
そして表面に浮いた脂が、渇ききった喉と胃に熱く染み渡っていく。
それからナイフを借り、骨から肉を削ぎ、口に運ぶ。
思った通り、肉質は硬い。
よく噛み締めると、繊維の間から野生味あふれる滋味が滲み出てくる。
味付けは恐らく塩のみだろう。
白濁した飲み物にも口をつけてみる。
「これは・・・、またすごいな」
甘い茶を想像していたが、舌に触れたのはやはり意外な塩味だった。
乳のまろやかさと、独特の茶の風味、そして塩気。
添えられた乳白色の塊は、乾燥させた乳製品だろう。
石のように硬く、奥歯で力を込めて砕くようにかじる。
口の中でゆっくりと溶かすように味わうと、強い酸味と凝縮された乳の風味が広がった。
「お口に合いませんか?」
私は貴族と名乗ったのだから、おそらく心配してくれているのだろう。
どう擁護しても、普通の貴族なら怒り狂う味と言わざるを得ない。
「いや、北部を思い出す味だ。とても懐かしい味だよ」
食べなれているというのもおかしな話だが、軍人の食事とはこういうものだ。
最近は宮廷に出入りしてたし、レブル公国も飛州国も美味しいものであふれていたから、すっかり忘れていた。
それに空腹は最高のスパイスと言ったのは誰だっただろうか?
ほとんど無我夢中で肉を食らい、汁を全部飲み干してしまった。
私の食べっぷりが面白かったのか、子供たちは目を丸くしてこっちを見ている。
ヤヨイとも打ち解けられそうだ。
「ご馳走様。本当に感謝する」
器を置き、深く頭を下げた。
一方の月比古は酷い顔をしていた。
どうやら天上の人間であっても、出された食事を残さないという礼儀は共通してるようだ。
食事の後に、斬り落としてしまった槍の修理を申し出た。
ただで食事を頂けるほど、私は図太くない。
まぁ修理と言っても、穂先を新しい棒に付け替えるだけだが。
テントの外で棒を借りたナイフで削ってると、好奇心を抑えられないのか子供たちが寄ってきた。
女の子は・・・、確かヤヨイという名前だったか。
初めはまだ睨まれてるのかと持ったが、どうやら目つきが悪いだけのようだ。
先ほどまで瞳にあった恐怖心や憎しみといった色は消えている。
男の子の方はまだ私が怖いようだ。
「へぇ、姉さんは槍を直せるのかい?」
「私は槍兵だからな」
といっても直すのは専門外だ。
鍛冶屋がやってるのを何度か見た事があるだけだが、多分私にもできるだろう。
なんたって私は、ユサールで一番うまく槍を扱える女だからな。
爵位だってそれを証明している。
私の爵位であるリンゲン伯爵とは、王妃近衛重装長槍騎兵第一連隊の連隊長に与えられる爵位だ。
そして連隊長には、槍術に最も秀でた者が任命されるのが習わしとなっている。
先代のリンゲン伯爵である姉ような例外もいるが、基本的にはリンゲン伯爵とは槍術の達人なのだ。
その私が、常に槍に触れてきた私が、直せないわけがないだろう。
「姉さん、なんか隙間できてね?削りすぎたんじゃね?」
槍には先端となる穂先と呼ばれる部分を木の棒、柄に付けるのだが。
その付け方は茎式と袋穂式の二通りある。
つまりは穂先の根元を柄の先端に差し込むか、ソケット状になっている根元をかぶせるかの違いだ。
「姉さん、実は不器用なん?」
余談だが飛州国では、差し込む方を槍と呼び、かぶせる方を矛と呼ぶそうだ。
ユサールでは、突く事のみに特化した穂先が付いているものを槍と呼び、幅広で両刃の剣状の穂先を取り付け、突くだけではなく斬る事にも使えるものを矛と呼ぶ。
ユサールでは槍も矛もかぶせる袋穂式だ。
「あー、そんなに削ったらまたバランス崩れちゃうって」
ブンジの槍は、細く鋭く突く事のみに特化した袋穂式だ。
飛州国の基準では矛になり、ユサールの基準では槍になる。
「あーあ」
ただ飛州国ともユサール国とも違う点は、観賞用の武器かと見間違うほど丹念に打たれ磨き上げられているという事だ。
もう一点気になるのは、この槍には朝倉の銘が打ってあるという事だ。
私の刀を打った刀匠と同じ名前とみて間違いないだろう。
だとすれば、この槍は扶桑国の朝倉なる者が作ったという事になる。
「だからバランスよく削らないと入らないってー」
ブリガンテ平原の北西には、おそらく扶桑国があるのだから、隣国に朝倉の槍があったとしてもおかしくはないといえる。
実際私がユサールで使ってた剣は、隣国で製造されたものだ。
初陣の時に支給された剣が折れたので隣国の兵から拝借し折れるまで使っていた。
切れ味が物凄く悪い剣だったが、多くのユサール軍人と同じように私も武器にこだわりを持っておらず、折れるまで修理する事もなく使い続けた。
それこそ槍なんて、ほとんど使い捨てだ。
だが、それでも一介の遊牧民が銘入りの槍を持っているのは不自然ではないか?
これほど丁寧な作りをしてる槍が使い捨てとも考えにくい。
本来は私の刀のように。
私の刀のように?
そうだ、私の刀は国宝なのだ。
国宝を打った職人の銘が入ってる槍を持つ遊牧民というのは・・・。
「あちゃー、姉さんどんどん短くなっちゃうよ」
「お姉さんは槍直すの苦手なの?」
「あ、あの僕が直しましょうか?」
深く考えても分からないものは分からない。
まずは、月比古を殴るか。
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