02-02
スマートフォンは控室にある鞄の中に置きっぱなしであり、室内には紙やペンも見当たらず、筆談という選択肢を取ることが出来ないヒカリはひどくもどかしい思いをする。
今現在、何がどうなっているのか、何も分からないまま。
聞きたいことが沢山あった。
知りたいことが沢山あった。
ブレザーのポケットを探しても何も無い。
スカートのポケットにも何も無い。
ヒカリの仕草からそのことをを察したのか、ルイはマオカラージャケットの内ポケットからボールペンを取り出す。
そして持っていた本をペラペラと捲り、余白の多いページを見つけて千切る。
ペン、紙、本をヒカリに手渡すルイ。
「ごめんね、気が利かなくて。これで筆談が出来るかな」
ヒカリはルイから恭しく紙とペンを受け取ると、本を下敷きにして紙に話したい内容を書く。
『今の状況を教えてください』
手短に書き記した質問をルイに見せる。
「今の状況ねぇ。うーん、ちょっと待ってね」
そう言うとルイは椅子から立ち上がり、ヒカリの横で意識を失ったままのチヒロの顔を覗き込む。
にやりと笑ったルイは椅子に座り直し、ヒカリの持つペンを取り、紙に何かを書き込む。
『彼、起きてるみたい。でも、起こさなくていいよ』
しーっ、と人差し指を唇の前に当て、ペンを返すルイ。
ヒカリは筆談の内容にきょとんとし、チヒロを一瞥する。
先ほどから変わらず瞼を閉じ、眠っているようにしか見えなかった。
今や殺人犯と化した兄を起こすことも憚られ、首を縦に振り、ヒカリはルイに言われた通りに、敢えてチヒロを起こさないことにした。
「さて、何をどこから話そうか――」
顎に手を当ててルイは少し考え込む。
「それじゃあ、まずは時間から」
ルイは左手の袖を捲り、手首の腕時計をヒカリに見せる。
腕時計はアナログ式で、シンプルなデザインながらも高級感を漂わせていた。
「現在の時刻は午後九時五十七分。そこの彼が僕の父を殺し、君が意識を失ってから約一時間が経過している」
左手を下ろすルイ。
「次に場所。僕たちは今、父が〈満足部屋〉と呼んでいる隠し部屋にいる。位置的には、さっきまでいた控室に隣接していて、本棚の裏にある隠し通路から繋がっているんだ。ちなみに君と彼は僕がここまで運んで来た」
ルイの説明に対する理解の意思表示として頷くヒカリ。
「この満足部屋には主にふたつの用途があるんだ。そのうちのひとつは、ここは父が女性を抱くための部屋だということ。父は女癖が悪いからね。ラタトスクの中から気に入った女性を控室に呼んで、そこからこの部屋に来るって寸法さ。有り体に言うと、イルミンスール記念会館と満足部屋は、父にとってはラブホテルみたいなものなんだ」
ルイの話を聞き、ヒカリは自分が今いるベッドに対して強い嫌悪感を覚える。
「もうひとつの用途は、隠し財産と重要書類の保管庫としての役割だね。実はこの部屋のあちこちに大量の現金と、保身のための極秘な書類が隠されているんだ。写真や電子記録もあるよ。USBメモリとか、ハードディスクとか」
怪訝な表情を浮かべるヒカリ。
現金に関しては辛うじて理解出来たが、書類や写真、電子記録云々に関しては理解出来ずにいた。
「何のことか分からない、って顔をしているね。君はイルミンスールの悪い噂を聞いたことがあるかい? カルト宗教だとか、悪の秘密結社だとか、守銭奴だとか、そんな感じの悪い評判をさ」
思い当たる節があるヒカリであったが、肯定をしたくないという思いから悲しみの表情を浮かべ、俯くことしか出来なかった。
そしてルイは、それを是として察する。
「そう、君が見聞きしたことがあるように、世間一般におけるイルミンスールの評判は正直よろしくない。ただ、ぶっちゃけて言うと、世間一般のよろしくない評判はね、実は正しいんだ。僕たちの信仰している宗教は倫理的にも社会的にも悪とされる存在なんだよ」
教祖の息子が語る真実を聞いて衝撃を受けたヒカリは、顔を上げてルイを睨みつける。
少なくともヒカリは今までイルミンスールの神と教義を信じ、献身的な生活を送ってきたからである。
「信じられない……。いや、信じたくないって顔をしているね。でもね、金に囲まれて、欲に溺れて、保身に安堵して、好き放題に女を抱くような男が教祖なんだよ、この宗教は。まるで遊郭のような、この部屋の存在が何よりの証拠さ」
悲しみから怒りに変わるヒカリの感情。
ルイは目線をしっかり合わせると、怒りの視線を真っ向から受け止める。
「ごめんね。急にこんな話を聞かされて、それを信じろだなんて言われても困るよね。ずっとイルミンスールを信じて生きてきたのに、それをいきなり否定されたら、もう何を信じていいのか分からなくもなるよね。生きる意味も、生きてきた意義も、何もかもが台無しになっちゃうんだからさ」
ヒカリは目を細め、瞳に涙を溜める。
頬は怒りで赤く染まっていた。
「でもね、僕の話したことが真実であり、現実なんだ。イルミンスールは悪なんだよ。程度の差こそあれ、僕も、君も、まごう事なき悪なのさ。この高級な腕時計だって、君たち信者から巻き上げた金で買ったものだしね」
左手首の袖を捲り、着けている腕時計に視線を落とすルイ。
「これ、一千万もするんだってさ。でもね、そんな額のお金、すぐに集まるんだよ。君たち信者のお陰でね」
自分の存在が全否定されたような気持ちになり、ヒカリの怒りは頂点に達した。
感情に突き動かれるままにベッドから立ち上がると、ルイの頬に思い切り平手打ちをする。
肌と肌がぶつかり、弾けた音が響く。
ルイは、避けることが出来たはずのヒカリの平手打ちを、全力の怒りを、自身の身を持って真っ向から受け止めた。
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