第2章 「教祖と信者」

02-01

 イルミンスール記念会館、大ホール控室前の廊下。

 父親を探しに来た藤原ルイは、数ある部屋のうちのひとつから光が漏れ出ていることに気がつく。


 開いている扉の前には花束が落ちていた。

 怪訝に思ったルイはそれを拾うと、扉の隙間から控室を覗き込む。


 部屋の中では、床に倒れた父親が青年にナイフを何度も突き立てられ、めった刺しにされていた。

 辺りには血しぶきが広がり、返り血を浴びた青年の全身は真っ赤に染まっていた。


 青年はナイフを刺しながら父親を怒鳴りつけたり、話しかけたりしていた。

 その内容を聞いたルイは青年が何者で、控室の中で何が起こっていたのかを察する。


 そして、その光景はルイに、とある覚悟を決めさせるに至る。

 ルイの目にはその青年が、神からの遣いにしか見えなかったのである。


 故に、ルイは青年を恐れなかった。

 故に、ルイは青年と接触することにした。




◇◇◇◇◇




 ナユタを殺すのに必死だったチヒロは、ふと我に返ると背後に気配を感じた。

 振り返るとそこには、ルイが静かに立っていた。


「……教祖の、息子か」


 マズい、見られた――。

 そう思ったチヒロだったが、一瞬で考えを考えを改める。


 一度溢れ始めたら止まらない負の感情。

 この殺意をルイにも向けてしまえばいいのだと。


「ちょうどいい。お前も殺してやるよ」


 ナイフを力強く握り直すと、鋭い視線でルイを睨みつけるチヒロ。

 片や、一切の感情を読み取れないほどに冷たい視線でチヒロを見下ろすルイ。


 交わる視線は、冷静と情熱。

 チヒロは、これは運命の出会いに違いないということを感じていた。


 飛んで火に入る夏の虫。

 今日という日のうちにイルミンスールの現教祖を殺し、次の教祖と謳われている息子までも殺すことが出来るのだから。


「ここまで来たら一人殺すのも二人殺すのも一緒だ。親子ともども俺が殺してやるよ。そしたら次の教祖いなくなるよなぁ? 教祖がいなくなったら困るよなぁ? なんなら信者も殺せるだけ殺して、こんなクソ宗教ぶっ潰してやりてぇなぁ! おい!」


 チヒロはゆらりと立ち上がり、血走った眼でルイを見つめる。

 狂いに狂った笑顔のままに、ナイフを振りかぶるとルイに襲い掛かる。


「死ねや、おらぁ!」


 張り上げる声は裏返り、もはや奇声。

 ナイフを振り下ろし始めた刹那、チヒロの視界は闇に閉ざされる。


 ルイは持っていた花束をチヒロの顔面に投げつけ、一瞬の隙と死角を作り出す。

 勢いのまま振り下ろされナイフは空を切り、チヒロの視界が開けた時にはルイの立ち位置は大きく変わっていた。


 刺し殺す対象を失って前のめりに体勢を崩し、よろけたチヒロの横に回り込んだルイ。

 構えた拳を隙だらけのチヒロの下顎に叩き込み、頭を大きく揺らす。


 脳震盪。

 見えている全ての輪郭がボヤけて歪む。


 チヒロは白目を剥きながら血塗れの床に倒れ込む。

 聞こえるルイの足音すらもボヤけ、体は微塵も動かせない。


 数秒の間、辛うじて意識を保ち、自分に近付くルイを睨む。

 しかし抵抗虚しく、徐々に視界は暗くなり、チヒロは意識を失った。






 閉じていた瞼を開くと、真っ黒な視界に光が差す。

 最初に目に入ってきたのは、見知らぬ天井。


 ヒカリは目を覚まして意識を取り戻すと、自分が横たわっていることに気がつく。


「目が覚めたみたいだね」


 男の声が聞こえた方向に顔を向けるヒカリ。

 そこには足を組んで椅子に座り、本を読むルイの姿があった。


「大丈夫かい? 無理に起きようとしなくていいからね」


 ルイは優しい微笑みを浮かべ、ヒカリを諭す。

 しかしルイの言葉に反してヒカリは上体を起こすと、辺りを見渡し状況を確認する。


 赤を基調とした和風な造りの部屋。

 映画で見た遊郭のようであるとヒカリは思った。


 その内装から察するに、少なくとも自分は控室とは別の部屋にいるということが分かる。

 他に得られた情報は、自分はその部屋にあるベッドの上にいるということ。


 そのベッドが大きなサイズであり、自分の左側には兄であるチヒロが目を閉じて横たわっているということ。

 その兄が血塗れであるということ。


 ヒカリは自分の手を見ると、自分も血塗れのままであることに気がつく。

 そして、記憶がフラッシュバックする。


 兄が教祖を刺し殺したという記憶が。

 鮮明に思い出したヒカリは再び気分が悪くなり、吐き気を催す。


「これ使って」


 ヒカリの様子を見ていたルイは横から洗面器を差し出す。

 それを受け取ったヒカリは、洗面器の中に思い切り胃液を吐き出した。


 ルイは立ち上がるとヒカリの背中をさする。

 ヒカリの気分が落ち着くまで、優しく、ゆっくりと。


 ひとしきり胃の中身を吐き出し終えたヒカリは顔を上げる。

 それを見たルイは洗面器を受け取り、代わりにタオルを差し出す。


「よかったら、これも」


 タオルを受け取り、顔を拭くヒカリ。

 ――ありがとうございます。


 そう言おうとして、ヒカリは違和感に気がつく。

 声が出ない。


 ルイを見て口を開けるが、発声が出来ずに戸惑う。

 喉に手を当ててみるも、特に怪我などの異変は感じられなかった。


「君、もしかして声が出ないの?」


 ルイからの質問に、ヒカリは首を縦に振る。


「そうか。スピーチでは流暢に話してたし、もしかしたら精神的なショックで一時的に声が出なくなっているのかもしれないね」


 再度、ヒカリの脳内で惨殺の記憶がフラッシュバックする。


「ちなみに、立って歩けたりする?」


 ヒカリはルイに促されベッドを降り、立ち上がってゆっくりと歩いてみせる。


「どうやら症状は失声だけのようだね。でも、歩けるなら良かった。ここから逃げ出せるから」


 ルイの「逃げ出せる」という発言に疑問を持つヒカリ。

 しかし声が出ないので、その疑問を伝えることが出来なかった。

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