第2話 B面 津方の休憩

津片はお昼休憩を取ろうかと背もたれに寄りかかって伸びをした。キャスター付きの椅子は情けなくきゅう、と鳴く。安い備品である。伸びの拍子に机から離れたがそのまま脱力して、足元にあるバックを漁る。朝に買ったコンビニ飯は、ちょっと贅沢した中華丼である。

さて、と膝をついて立とうとしたとき、机上の電話のディスプレイが点滅した。一拍置いて着信。番号表示に名前が流れた。八次である。

中華丼を脇に退けて受話器を耳に当てた。

「はい、津片です」

「良かった、お疲れ様です!」

切羽詰まった青年の声が届く。声の向こうで衝撃音が轟いていることに気が付いた。視界の端にあった中華丼をさらに遠ざけて、机と腹の間隔を詰める。緊急事態であることが予想でき、今回は何が起きたのかと力む。

「泥々が出ました!」

「えっほんとに?」

電話口を二度見した。また轟音が鳴る。正気になおって机上の分厚いファイルを開く。右から5冊目。

「緊急対応になるね。ちょっと頑張って。今どこかな、現在設定押して」

「はい」

「あれ、なんでそんなところにいるの?」

電話の電子版に表示された数字を、ブラウン管モニターに打ち込む。出てきた地図と地名を確認して津片は困惑した。

「とりあえず戦線離脱して、逃げて。そこなら離れても大丈夫だと思う」

対害指定天使が出たことで応援と指示を仰ごうと別のファイルに手を伸ばした。泥々が出た危険性は重々承知な上で、今は八次の身の安全が第一。そう判断して指示を出す。しかし電話口からは別の返答があった。

「いや、女の人が」

「えっ、一般人いるの?」

津片はマニュアル通り八次を避難させようとしていた思考が止まる。一般人が現場にいるというイレギュラー。

「交戦中?」

「そうです!」

「その人無事?」

「結界持って貰ってます!」

衝撃音が大きい。配布されている応急セットに含まれる結界紙は持続時間は5分前後。

そこで電話の先の音が気になった。やけに反響している。

「ごめん、屋内にいる?」

「地下鉄です。たぶん廃線になったところ、です!」

稀比は思わず涙袋を力ませて左上天井の隅の辺りに視線を置いて、瞬きを細かく刻んだ。天使云々の前に治安が悪い場所である。

情報が集まっていく中、事態は進むので対策を打ち出さなければいけない。ファイルを開くが非常事態でマニュアルはない。いつもであれば避難指示を出し地域封鎖の手順を踏んでいくのだが、そうも言っていられない。

津片は完全に慌てていた。背後の錆びかけた扉が開いた。

「お疲れ様です」

「鵺湯さん」

のっそりと大きな影が入ってくる。扉の枠より大きな黒いスーツ。異様なのは白シャツの襟ぐりから伸びるはずの頭部がなく、代わりに木彫りの翁の面が浮かんでいることである。

津片は困った顔で、しかしそんな不思議な人物に慣れた様子で挨拶を返した。

呼ばれた鵺湯という、人かどうかも怪しい風体の者は津片に近付く。屈むように津片を伺うような仕草をした。

津片が口を開く。

「泥々が出ました。交戦してるのは八次くんです」

「交戦?なぜ退避させないのです?」

ゆったりとした動きであるのに動作がはやい。鵺湯は津片の机上を覗き込んでいたが、返事に対しぐるりと顔を回す。目の位置に空けられた穴の向こう、部屋の壁が見える。眼球のない顔がじっと津片を見つめる。

「それが現場に一般人が。応急結界を張って凌いでいるとのことで」

「そうですか」

鵺湯は一言断って、津片の手から受話器を抜き取った。

「聞こえますか八次。抜刀を許可します。応戦して下さい。ええ、私が許可します。死ぬ気で踏ん張りなさい」

「だ、大丈夫なんですか?」

電話口から何やら騒ぐ声が聞こえてくるが、通話は鵺湯の手で切られてしまった。

「大丈夫ですよ。私が信用なりませんか?」

電話台は一般的な高さの机上にあるが、鵺湯には低かった。ググッと屈めた背を伸ばす。優雅な所作であった。

「私がしばき、いえ失礼。鍛え上げてきた子ですので、まず大丈夫だとは思います。不慣れで心細いでしょうから、紫波を応援に出してください。近くで油でも売ってるでしょう」

「えっ、はい」

「私も出ます。後処理の手配をお願いします」

颯爽と出ていく姿を見てすぐ、稀比は慌ててダイヤルボタンを叩いた。

後処理のためである。

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