05-01 拳と掌

「うん……こっちに回してもらえる? A地区……設備管理口の正面。総理は確保済みで一般人二人は執行済み。後は……ふふ、そう、あの子たちだけ。対処は私に任せて、ええ、いいのよ、大丈夫だから、ふふ、そういうこと」


 耳を押さえながらスーツの襟元に向かって話すと、ヒールの爪先で総理をこつん、と軽く蹴飛ばす。


「さて、どうしようか?」


 頭を蹴られ、意識はないながらも軽く息を漏らした総理に満足したのか少し笑い、雨咲は僕らにその笑顔を向けた。相変わらず、ギリシャ彫刻みたいな美人だった。百八十センチ近い身長と合わせると、モデルかなにかと思ってしまいそうだけど……。


 関与した犯罪は一万を超え、関与した殺人は十万を超え、金銭的な被害は総計百億以上というテロ組織の、首領なんだ、こいつは。


「え、へ……え? ええ……?」


 ひたすら困惑した顔の一絵。まだ状況が、よく飲み込めてないらしい。僕は彼女にそれとなく説明するためにも、雨咲に問いかける。


「……いつから? ……いや、どうやって? 他人にかけられる変身系の異能、それもその相手の異能も使えるようになる、なんて……大戦中にもなかったようなオーバーパワーのチート異能……」

「ふふふ、さて、どうやってでしょう」


 雨咲はいたずらっぽく笑うだけ。


「異能自体をいじくった……もしくは、そういう異能をゼロから作った……? あの、イカれ博士が……?」


 〈三つの願いモンキー・マジック〉なんてふざけた異能をゼロから作り出せるあの博士なら……そんなことも、不可能じゃないはずだ。そこに何人の命が使われたかは、知りたくもないけど。


「正解。うちの幹部のチカラで、変身してた、ってこと。本物の谷原さんは今頃、ウチの本部で丁重な説得を受けてる最中。ふふ……かなり手こずったそうだけど、所詮プロ異能選手なんて、ステージの上でしか強くない人種だから」


 一絵が息を飲む。

 僕は彼女の手を取り、握る。


「…………なんでそんな……回りくどいことを……」

「私たちの目的は異能主義ヒロイズムの撲滅、人間主義ヒューマニズムの回復」


 陶然とした顔の雨咲。

 その顔はまるで……一面の桜並木を見上げ、ため息を漏らす人のようだった。視線は熱っぽく、どこか遠くを見つめている。


「この世界に人間性復興ルネッサンスを」


 そう言うと、再び僕らに目を向ける。

 目つきは穏やかで、けど、決然としてて。


「私たちは、本気なの。各地の異能主義者ヒロイストによるテロを、人間主義者ヒューマニストが人権の名の下に打ち倒す。そして総理大臣を洗脳し……この国の歴史に、折り目をつける。曲がり角を作る。そういうこと」

「……これが、最初から……これが目的だったのか……」


 僕は開いた片手で額を叩いた。




 完全に、やられた。




 鬼丸で窪さんの手を塞げば……彼なら、総理、そして新人の僕たちの保護はK5さんに投げる。それを見越してK5さんに変身し、会場に紛れ、うまくここに……逃走用の車か、転移異能持ちを用意してある場所に連れてくる。それが雨咲たちの、真の目的だったってことだ。




 僕らはまんまとここに連れてこられたんだ……!




「さて、太陽くん」


 雨咲が一歩歩み出て、僕を見る。


「君にもう一度だけ、選ばせてあげる」

「…………一度だって、選んだ記憶は、ありませんが?」

「あら、せっかく世界で唯一の異能をプレゼントしてあげたのに、あのバカ女の手引きで逃げ出したのは……私たちを選ばなかった、そういうことじゃなかったの?」

「僕は別に……」


 口ごもると、楽しそうにくすくすと笑う雨咲。


「ふふ、まだ十七だもんね、進路のことは、そりゃ悩んじゃうか。うん。でも……あはは、私は五歳の頃から、心に決めてたよ。この世界に……異能は、異能者は、いらないって」


 口調はやっぱり、まったく、普通だった。

 朝ご飯に焼き肉はいらないよ、なんて、当たり前のことを当たり前に言うような。


「持って生まれただけの異能が、何よりも価値のあるものだと判断される。自分で選べないことが、自分の価値を決めてしまう。そんな社会は絶対に間違ってる。それだけを信じてここまでやってきた。太陽くんならきっと、わかってくれると思うんだけど、な」


 もう、一歩、踏み出す雨咲。

 距離はおよそ、五メートル。

 こつり、彼女のローヒールの音が響く。

 僕は、ますます堅く、一絵の手を握る。

 ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅぅ、と三回。


「……だからといって人を殺すのは間違ってる、とか、そんな方法じゃ社会は変わらない、とか……結局私怨じゃないか……とか、言ったら、どうなります?」


 僕は湧き上がってくる恐怖を誤魔化したくて、そんなことしか言えない。

 何が一番怖いかって。




 ……僕には、彼女が間違ってるとは、どうしても思えないこと。




 異能が人を踏みにじってくのを見た。

 無能が人を人でなくしてしまうのも見た。

 僕に思えるのはただ、人間はクソだ、ってことだけだ。




「あはは、そんなこと、君自身思ってないくせに。私自身、復讐の思いがあるのは否定しないよ。なにせ、私の初体験は十一歳の時、近所のいじめっ子たちが、魔女のあそこを見せてみろ、って言ってきたところから始まったからね。ふふ、犯罪異能グレなんて、大抵そんなものだけど……異能が何もないのと、恐怖される異能を持つのは、どちらが辛いんだろうね?」


 …………そんなん、知るか……。


「実際……なかなかのやり口だ、とは、思いますよ……うん」


 僕は仕方なく、ため息をついて言った。一絵が少し息を呑んだのが聞こえる。僕はノックするように彼女の手を握る。ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ。なんとか、伝わってくれ。


「あら、褒めてくれるんだ?」

「そりゃまあ……鬼丸さんをあなたの異能で洗脳して、異能主義のテロを起こさせる。EQがそれを止める、そうして人間主義を大衆に知らしめる……その間、総理をこっそり誘拐して、洗脳して、彼に人間主義を推し進めさせる……ええ、ウマいやり口ですよ。でも、それに参加しないか、って言われたら……逃げざるを得ませんけど」

「どうして?」


 ……どうして?


「……どうしてもこうしても……僕はあなたたちにさらわれ、一万人をすり潰して作った、なんでも願いが叶う異能をむりやり詰め込まれたかわいそうな少年ですよ。両親が死んだその日に。そんな僕が」


「うそ」


 雨咲は無感情に言った。


「そもそも無能だった君は、誰よりも異能を願ってた。無能の君を踏みつけてきた、この世界に復讐するための異能を。私たちはそれを作ってあげた……ふふ、感謝されると、思ったんだけどな」

「そんなこと……」

「本当に、ない? 胸に手を当てて、こんな異能なんていらなかった、って言える?」




 言える、わけがない。 




 ……僕は、どうして?


 ……あいつらを、ぶっ殺してやりたいんじゃなかったのか?

 僕をクソみたいに扱ってきた奴らを、今度はクソにしてトイレに流してやりたかったんじゃないのか?


 けど、僕が口ごもってると、今度は一絵が、手を握り返してきた。

 きゅっ、きゅっ。二回。




 そうだ。


 僕は思った。




 この手が暖かいからだ。

 暖かくて、柔らかくて……




 あと……。




 わかった、の合図だからだ。




「ぶっ飛ばすぞ!!!!!」




 叫んで、僕は雨咲に向かって駆け出した。同時。




「ばかっぱや号!!!!!」


 ギャギャギャギャギャギャギャギャッッ!!!!




 すさまじい音を立て、数秒で一絵の元に駆けつけてくる自転車。


 こういうホテルは駐車場の一角に駐輪場が、申し訳程度に備えてあるものだ。もっともそれは普通、ホテルに通勤してくる人たちのためのもので、来客が使うモノじゃあないだろうけど……警備の人に、パーティの参加者なんですけど乗ってきた自転車どことめたらいいですか? と尋ねた時の顔は、まったく見物だった。




「あら……残念。なら……君も説得しなきゃ、ね」


 そう言って意味深に微笑む雨咲。僕は突っ込んだ勢いのまま、思いっきり拳を振りかぶり、飛び上がって、雨咲の横っ面にパンチ……するフリをして、そのまま彼女の横を通り過ぎる。僕とのコンボ技が欲しい、なんて言ってた一絵を満足させるため、使うあてはなかったけど一応作っといた合体技。僕が目くらましに特攻し、けどすぐに横に逸れ、その背後から一絵が……。


「当たり屋アターーーーーーーーーーック!」


 ……名前はともかく。

 雨咲とすれ違った僕と入れ替わるように一絵が突っ込んできて、全速力の自転車体当たり。だが。


「ふふ、かわいらしいね、一絵ちゃんは……」




 ひらりっ。




 余裕を見せながら、突撃を躱す雨咲。実際問題、一絵の攻撃は、そうして躱すのがベストだ。だが。


「からのひきにげボンバー!!!!」


 そうやって躱されることは想定済み。ラリアットのように伸ばした手が、少し裂けて肩口まで見えるようになっちゃったイブニングドレスから伸び、雨咲の首を刈る。この距離なら、絶対に当たる。まさしく数十センチの事故の距離。一絵の距離。だが。




 ぶぉんっ。




 ぶん殴り気味のラリアットが、見事に宙をスカる音が、間抜けに響いた。その場にいたはずの雨咲が消え……そして。


「お姉さん、ますます、太陽くんのことが欲しくなっちゃった。ふふ、自分じゃなくて、彼女に異能を作ってあげるなんて……君って、本当に優しいんだね……聞いてた通りで、嬉しくなっちゃう……」


 僕の目の前に、いた。




「アマさん……今回はしょうがないですけど、トップが前線におりてくんのは、オレ、マジでどうかと思いますよ」




 いつかのツーブロックスーツ男、EQから逃げ出した僕を追ってきてた、人着型の転移異能を持ってたはずの男が、一絵の前にいた。

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