04-02 働く人と待つ人
数分、ひょっとすると十数分。
ようやく体を離した一絵が、にぱっ、と笑って言った。
僕はひくついて、ひきつれそうになる喉をなんとか我慢して、答える。
「あ、ああ……うん。よろしく」
僕たちがくっついてた体の隙間に、ようやく空気が入り込んで、そこがすうすうと冷えて、妙な感じがした。でもそれでようやく平静な気分になって僕は答えた。
「にしても、ばっちり成功だったね、奥の手作戦、
「あー……ここで見せちゃったのは、ちょっとマズかったかもだけど……まあ対策はしづらいし……新技の開発はプロなら一生続けるって話だし、大丈夫だろ」
一絵の異能、その真価は、あらゆる速度、力学の支配にある。
そしてそれは、自分と自転車だけでなく……相手にも及ぶ。
つまり彼女は、相手の速度や運動量を奪い、自分のものにできるのだ。もちろんいくつか制限はあって、両手で触れなければダメだし、当然その間彼女はハンドルから手を離さなきゃならないので、身体能力ボーナスもなくなって、無防備な状態になってしまう。それに対象は人間に限るから弾技には使えないし、武器系の技にも無力。
けど、効果は抜群だった。
「でもさ、K5さんの最後のアレ、すごかったねー、あれってなんだったの? あの人、二つ……三つ? の異能を使えるってことだったの? 太陽、知ってる?」
「…………はあ!?」
め……目の前で闘っておいてなんでわかんねーんだよこのバカは!?
「知ってるもなにも……おい、映像何度も見せて解説したろ! K5さんは使い込んだ格ゲーキャラの力を使える、変身できるみたいなもんだって!」
「……う、うん、そうだね、見たね」
「じゃあなんで忘れてんだよ!」
「しょ、しょうがないじゃん一杯一杯だったんだって! そ、それに? 本気を出させるのには成功したんだから? よくない?」
「……そりゃ……疑わしいけどな」
「…………どゆこと?」
正直……。
プリンツより、シュラで来られてた方が、ヤバかったと思う。
というか……結局プリンツは、弱い相手を蹂躙するキャラで、本当に強い相手には大して有効じゃない。だからK5さんは、一部の試合じゃ出さないようにしてるんだろう。
フィンガーバレットはたしかな強力な技だ。でも……結局それは、格ゲーの弾技の常識の範囲内におさまってる。いや、格ゲーの常識からはだいぶ外れた技だけど……。
画面内に弾が残ってる時もう一発は出せないし、相手の弾で相殺される。だから一部の選手なら、フィンガーバレットは自分の弾技で相殺できるんだ。
ワープ突進技にしても出てくる場所は三カ所に限られてるから、カウンターを取りやすい。冷静に弾を消しつつ、向こうが焦れて突進してくるのを待てばいい。弾技がなければ、石ころを投げるのでもいい。概念的に相殺される。超必殺を溜めようとしたら弾で対処して、溜めモーションキャンセルの必殺技の、硬直時間に最大を叩き込む。対処は案外簡単だ。
一方……。
シュラの技は、相手の五感を奪う特殊効果がある。
ゲーム的には各種ゲージが見えなくなるだけだけど……目潰しや鼓膜抜き、エグすぎる技がメイン。おまけに鎖骨を砕いてパンチ系の技を出せなくしたり、くるぶしを砕いてキック系の技を封じたり。なのに基本、ベース性能はリョウゼンでオーソドックスだから、これをやってれば完封できる、ってことはない。
これが現実世界でふるわれた場合……まず、自転車に乗れなくされてた可能性が強い。そうされたらもう、勝ち目はない。
「ほへ~……そんな怖い人だったの、K5さん……?」
僕が解説してやると、素直に感心する一絵。うーん、明日には忘れてそう……。
「だったのって……君、直接闘ったろう……」
「う~ん、なんていうか……優しい人だな、って思ったよ」
「……優しい?」
「別に、そんなに手加減してたわけじゃないと思うんだよね。けど……なんか、なんかね」
「それはまあ……きっと……」
僕は少々考えてしまう。
彼が試合中に見せてた、穏やかな微笑み、その意味。
「……嬉しかったんじゃないかな、君が、有望な新人で」
「そーなの?」
「言ったろ、業界が盛り上がるのは、有望な新人が出てきた時だって」
「……なるほど!」
そう言うと彼女は、ころころ笑って言う。
「じゃ、有望な新人として……勝利者インタビューとか、受けてきますか!」
「ああ、窪さん、準備できしだいって言ってたから……」
と、その時。
「おねーーーーーーちゃーーーーーーーーーーんっっっっ!」
すさまじい勢いでドアを開けた二胡……さんが、一絵さんに飛びついてきた。
「お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃん! かっこいい! 超かっこいい! すーぱーかっこいい! すきすきすきだいすきお姉ちゃん!」
「ちょ、二胡っ! こら、こらっ!」
セミみたいに飛びついてぎゅうぎゅう、姉を抱きしめるその姿に天才の面影はまるでなく……なんとも年相応の子どもに見えて、僕は少し、嬉しかった。
「お姉ちゃん、怪我、大丈夫なの!? いっぱい、いっぱい、血が出てて、わ、私、心配で、と、途中とか、見て、見てられなかったけど……でも、お姉ちゃん、すごい、お仕事、がんばってるから、私も、見なきゃだめだ、って、思って……!」
への字口になって、涙を堪える二胡さん。けど、ぼろぼろ、大粒の涙が零れ、姉の服に吸い込まれてく。一絵はそんな彼女を見て少し笑い、涙を拭ってやって言う。
「あはは、大丈夫大丈夫、ほら、半年前の事故の時よりちゃんとしてるでしょ、お姉ちゃん」
「それは、そうだけど……」
「それに、お姉ちゃんわかっちゃった、私、ウーバーよりこっちの方が向いてるね」
「そうなの?」
「うん! だって、あんなにわーわー言われて、あ、今、一杯の人、喜ばせてるんだー、って思ったら、なんか、なんかね~……すっごい、嬉しくなっちゃって……それに……ウーバーよりお金がいいから、二胡ともっと、一緒にいられるよ?」
そう聞くと、ぱぁっ、と顔を輝かせる二胡さん。
それを見ると、へにゃっ、と表情を崩す一絵。
「大丈夫だよ、二胡。お姉ちゃん絶対負けないから。ふふ、これからもカッコイイお姉ちゃんを、ちゃんと見ててね。たくさん勝っていっぱい稼いで、絶対にいい学校、行かせてあげるから!」
「…………っ! うんっっ!」
そう言うとごしごし、涙を拭う二胡さん。改めてまた、姉に抱きつき、お腹のあたりにぐりぐりと顔を埋める。それを見て微笑み、優しく頭を撫でてやる一絵。見てる僕も頬が緩みそうな光景だったけど……。
「…………太陽!」
いきなり顔だけを向け、僕をにらみつける二胡……さん。
その顔はやっぱり、子ども離れした天才の表情で……てめえ、ぜんぶ、見てたからな……? なんて言ってるのが、人の感情の機微に少々疎い僕でもありありとわかった。
…………っていうか、じゃあ……僕らが抱き合ってたの、覗き見てたんじゃないのかこの子……? いやまあでも、アレはそういうヤツじゃなくて、なんつーか……監督と選手のヤツっていうか……いや、まあその……柔らかくていい匂いしたけど、いやでもさすがにあんな怪我したばかりの子に……。
「…………はいはい、二胡さん、気をつけるよ」
「へ? なにを? 太陽、何に気をつけるの?」
「……君を、怪我させないように」
「あぁ~、二胡、いいのいいの、お姉ちゃん、そういうお仕事なの、それに怪我してもタダで治してくれるんだから、心配しないで。ね、あ、そうだ、保険も解約しちゃおっか、そしたらお金もっと貯められるし」
「それは絶対だめ」
そんな会話を交わしつつ、ぽんぽん背中を叩き、二胡さんをあやす一絵。あやされてご満悦な表情を見せていた二胡さんだけど……時折、僕に向け油断のない視線を送ってくるのは忘れなかった。いやだから、アレは、そういうヤツじゃないからね……?
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