05-02 自営業者と営業
「えー……ホントに、だいじょぶ、なの……?」
一絵さんに僕の作戦を説明すると、彼女は少し、不安そうな顔をした。まあ、無理もないかもしれない。十六歳の女の子に、あんな、四十代の酔っ払いのおじさんの相手を……。
「私、加減できないから、マジで、おじさんに、怪我させちゃうと思うけど……そういうのも、いいの? ほら、無免許異能だし……」
しかし、僕がしなきゃならない心配は別の方面だった、ってことに気付いて吹き出しそうになってしまった。
「表向きは
僕がそれだけ言うと一絵さんは、にっこり。
「よしっ! りょーかいっ!」
それだけ言うと自転車に跨がり、ハンドルを握る。
お嬢様っぽいセーラーワンピースとツインテールには、果てしなく似合ってないウーバーのバッグと、ガチ目なスポーツタイプの自転車。けど、その姿は何よりも目立つし……どこか、奇妙な魅力があった。一絵さんの顔とスタイルの良さってのはもちろんあるんだろうけど。
「っざけやがってよぉ……おい……なあ……おいこらぁぁぁ! 無能は人間じゃ、人間じゃねえってか、おい、なああああああああ!」
おじさんはまた、どうやら手製爆弾らしい体にまきつけた箱を一つむしりとり、あらぬ方向に向けて投げる、人垣が割れる、今度はドラッグストアの店頭棚の根元に着地し、爆発し……詰まっていた詰め替え用シャンプーがいくつも破裂、あたりにフローラルな香りをまき散らし、カメラを構えている人たちがさらにくすくす笑う。おじさんはそれにさらに腹を立てて、だんだん、地面を蹴飛ばす。それでまた、笑われる。
心が、痛くなる光景だった。
さながら……怒り慣れてないイジメられっ子が生まれて初めてぶち切れ、涙と涎と鼻水を垂らしながら怒り狂ってるのを、その怒りの原因となったクラスの一軍連中がヘラヘラ、せせら笑ってるような。
「オレが人間じゃねえってんなら、ぁんなんだよオイ!! おめえらなんなんだよオイ!!」
ぐるぐる。さながら檻の中でノイローゼを起こしてる動物みたいに、その場を回りながら、おじさんは叫ぶ。
僕は心の中で答える。
たぶん、もう、きっと、この世界に、人間なんて、いないんだよ、おじさん。
みんな……無能でも、異能もちでも、人間以外の、何かになってるんだ、きっと。
だって……思い出してみなよ。
僕らみたいな無能を助けようってヤツは、誰もいなかっただろ。
そこまで思って、ちらり、EQが頭をよぎった。
けど……それはあの日、僕の元に駆けてきた一絵さんの姿にすぐ、上書きされ消える。
「よ~~し……じゃ、行くよぉ~~」
と、僕が考えに耽っている間。
一絵さんは商店街のアーケード天井まで届く、ガス灯風街灯の根元にまで自転車を移動させていた。
「……一絵さん、練習通りやれば、絶対できる」
「だいじょぶ! まかせて!」
どん、と胸を叩き、そして。
「〈
僕が彼女に異能を作ってから二日。
まず徹底的に教え込んだのは、これ。
異能を使う際は必ず、名前を言うこと。
闘う広告塔であるプロ異能選手が異能名や必殺技名を叫ばない、なんてのは、まったく商品名を言わないCMみたいなものだ。そういうやり方もあるんだろうけど、基本じゃない。僕にどれだけ知識があったって、一絵さんにどれだけ体力があったって、僕らは異能業界じゃ素人そのもの。なら、王道をまっすぐ進むのが一番いい。
「よ~し……」
そして一絵さんは躊躇いなく、自転車を漕ぎだす。
まったく当たり前のこととして、自転車はタイヤに導かれるまま、前方へ進む。街灯にぶつかると……。
ぺたり。
タイヤが柱に張り付いたようになって……するする、自転車が、街灯を上って く。
〈
自転車の重力方向操作。
今や一絵さんは、壁だろうが天井だろうが、そこを走っていける。いつものあのスピードと、まったく変わらない調子で。重力方向自体を操っていて、それは運転者にも及ぶから、スカートもちゃんとしたまま。任意で切り替えも可能だから、空に向かって落下死する可能性も薄い。他にもいろいろ力はあるけど、一絵さんはこれを一番喜んでた。きっつい上り坂でも、下り坂にできるのだ。
野次馬の数人が、重力を無視して直立する街灯を上っていく自転車と、そのおかしな運転者に気付いて訝しげな目線をこちらに投げるけど……すぐにおじさんに視線を戻す。
ほとんどすべての人が異能を持つこの時代、この程度はとりたてて、珍しい光景じゃない。渋谷の交差点を歩けば、腕が四本ある人、顔が常に燃えてる人、頭が二個ある人なんかも珍しくないのだ。おじさんを取り巻く野次馬の中にだって、明らかにムカシのアニメじゃ猫型の獣人って表現されてた感じの、猫耳をつけたふさふさな毛並みの人がいる。ちなみに獣人って表現は差別用語に近いので、
「……よっ……ほっ……」
街灯のてっぺんにまで到達した一絵さんは、そのまま、軽く車体をホップさせ、アーケードの天井へ。逆さに張り付き、そろそろと自転車を進めながら、おじさんのいる空間の上空へ進んでいく。
アーケード商店街の天井を、セーラーワンピースのお嬢様が自転車に乗って、ウーバーのバッグを背負いながら進んでいる光景は、この異能時代にあってもなかなか見られない光景ではあった。僕は野次馬の最後方に陣取り、視線を気取られないようにしながら、ニヤニヤ笑いを抑えるのに必死だった。
が。
「……んだよ、おい、なにニヤニヤしてんだよ、おい、なあ……! おい!」
おじさんと、目が、あってしまった。
一単語ごとに怒りのテンションが増し、ずんずんと僕に歩み寄ってくるおじさん。人混みは当然の如く、僕に割れていき……おじさんと、正対してしまう。
「……へ?」
僕はその場の流れに乗り遅れ、おじさんと数メートルの距離で正対してしまう。周囲の空気が変わり、にやついてスマホを構えていた人たちもこれはマズイ、という顔になるけど……やっぱりスマホを構えたまま。まあ僕でもそうするな、とは思うけど、当事者となった今は、スマホでの撮影に夢中で人助けをしない彼らをスマホで撮って「現代社会の闇」的な文章をつけSNSに上げたい気持ちで一杯だった。
「ナメやがってよ、なあ、ナメてんよな、なあ! にやにやしやがってよ!」
くだらないことを考えてる間に、距離をつめたおじさんが僕の胸ぐらを掴む。どアップになるおじさんの顔。無精髭に、きったない肌に、血走った目と、ところどころが黒ずんだ黄ばんだ乱ぐい歯の間から漏れる、きっつい口臭。
きっと僕は将来、こうなるだろうな、と思ってた想像図が、そこにあった。
無能年金にぶら下がりながら生き、社会に対する憎悪を募らせ、それでも何もできないまま、怒りと呪いをまき散らしながら一人で死んでく。僕がリアルに考えてた、将来の僕の想像図。
「早く総理を呼んでこいっつってんだろ! なあ! こいつ殺すぞ!」
がっちり、僕の頭を脇の下に抱え込み、おじさんが再び周囲をぐるぐる回って叫ぶ。どうしてかべちべちと僕の顔を叩いてきて、マジで痛いし、手がむちゃくちゃ臭い。まあでも、スマホカメラから顔が隠れるからこれは行幸と思おう……そうしてると、おじさんの垢がたまった指の股から、天井にいる一絵さんと目があった。
あからさまに怯えてた。
事前の作戦じゃ、上空背後から忍び寄ってどすん、って感じだったから、僕が人質にとられることは完全に想定外。あわわ、あわわ、と実際に口に出してる様子が、見て取れる。
だから、僕は叫んだ。
「た……助けて……助けてください……!」
これは、チャンスだぜ。
そういう思いを込めながら、一絵さんを見た。
…………それでも彼女は、どうしようどうしよう、わかんないよう、みたいな顔のまま。まあ……彼女に察するとか、そういうことを期待した僕がバカだった。だからまた、叫ぶ。
「黙って突っ込めバカ!」
びくんっ! と、彼女の背筋が伸びたのがわかった。そして、答えるように叫んだ。
「それなら毎日やってますッ!」
ギャリィィィッッッ!
その叫びと、天井からは絶対にしないであろうタイヤの音に、その場の全員が頭上を仰ぐ。
「〈
ぎゅおんっっ! と、擬音が見えそうな加速で、天井から飛び出す一絵さん。
彼女の貯めていた速度が、一挙に放たれる。
〈
運動量……速度を貯めておき、任意でそれを放出できる。
早い話、ブレーキを使わず時速三十キロから停止できて、それを放出すれば再び時速三十キロになれる力。二回貯めて二回分放出すれば六十キロにもなれる、という……物理法則ってなんだっけ……? と真剣に首をひねりたくなる力。
でも、それが異能ってもんだ。
時速百キロ近いスピードで天井から落下してくる一絵さんに、おじさんは気付いたモノの、反応はできるわけもなく。
「ローリング・ひきにげ・アタック!」
ぐおんっっっ!
おじさんの手前まで落下した自転車が突如、横方向に逸れ、後輪を振り子のように回す。重力方向の切り替えは、空中でも可能なのだ。速度と落下の運動エネルギーをすべて受け取った後輪が、すさまじい勢いでおじさんの背中に、見事、ぶち当たる。
どぐむんっっっ!
みたいな鈍い音が響いて、おじさんが吹っ飛ぶ。脇に抱えられてた僕はおじさんの手が緩み、盛大にすっころぶ。顔が隠れるからちょうどいいや。
そして。
ずしゃっっっ!
すべての重力を正常に戻し、それまでの速度と着地衝撃はすべてしまいこんで、見事な着地を決める一絵さん。
まあしまいこまなくても、大丈夫なんだろうけど。
〈
自転車は、概念的に破壊不能。
そして乗ってる間、一絵さんの身体能力的なヤツは十倍になる。
どれだけ走ろうがパンクせず、チェーンは切れず、ブレーキもギアもゴキゲンなまま。九時間ぶっ続けで走ってもニコニコしてる体力も十倍。百倍、千倍ぐらいにしようかと思ったけど……強すぎても人気は出にくいから難しいところだ。僕らは異能バトルリーグで優勝するんじゃなくて、人気を掴んで大金を稼ぐのが目的だしね。
そんな目的のために、今まさに事件を解決して、カッコイイ感じで着地した一絵さんが、決め台詞的なヤツでも言ってくれれば僕の計画がさらに……と思ったところで。
「だだ、だ、大丈夫!? ねえ、怪我しなかった!?」
泣きそうな顔で自転車を飛び降り、僕の方へ駆け寄ってきて、あわてて僕を抱き起こす。僕は彼女の体の、柔らかな感触といい匂いに包まれながら……まあ、むしろ、こっちの方がいいかもな、なんて思い、あちこちから向けられるスマホのカメラから顔を隠そうと、彼女の胸元に顔を埋めた。
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