鯛の蒸しもの 赤飯

 如月も半ばを過ぎ、春分という春の香りが微かにしてくる節気となった。

 とはいえ、今年の春分の気温はまだまだ春には遠いようで肌寒い。暑さ寒さも彼岸までは、今の時代に合う言葉ではなくなってきているようだ。

 とはいえ、せっかく春の字の入った節気が巡ってきたのだ。これはご馳走を作らねばと包丁を握る手にも気合が入る。

 今日も世苦亡の宿には俗世に苦しみ人非ざる者へ夢を求める者たちで盛況だ。

 そんな彼らの夕食に、今日は尾頭付きの鯛でも用意して大きく夢を盛り上げようではないか。

 今日は鮮度の良い鯛を海坊主どもから仕入れることができたのだ。


◇◇◇


 タイの鱗を落とし、腹を裂いてワタを抜く。

 頭と尾は落とさず、酒と塩をふる。

 横の身に切れ込みを入れ、熱の通りと味のしみ込みをよくする。

 鯛の腹にエノキ茸を詰め蒸す。

 そして皿に乗せ、飾りに刻み葱と柑橘を……


◇◇◇


「ん?」


 飾り用の葱を刻んでいると、後ろから視線を感じる。

 この厨房に宿のお客様が入り込んでくる事は無い。

 という事は、この宿の同朋なのだが、酒の肴でもせびりに来たのだろうか?

 だが、今は鯛の蒸し具合の確認と葱を刻むのに忙しい、後にしてくれ。

 そう言おうと後ろを振り返れば。


「なんだ、童じゃないか」


 厨房の入り口に立っていたのは、幼い風貌で目を隠す長さのおかっぱ髪。手に手毬を持った人形じみた少女。

 座敷童、俺達は童と呼んでいる少女妖怪だ。

 元々は外の世界の妖怪なのだが、住んでいた旅館が潰れてしまい途方に暮れていた彼女をこの宿の「爺」が拾ったという過去を持つらしい。


「どうしたんだ? まだ飯時じゃないだろう」


 そう聞くも、返答されることに期待はしていない。童は言葉を発せないのだ。

 そして想像通り、童は返事を返さず、じっと髪の奥から俺を見ている。

 何だが視線がむずむずするというか痒いというか。

 とにかく、彼女に用事が無いのなら、俺にも用事は無い。

 俺は葱に向き返り。


「用が無いなら、俺は仕事に戻るぞ」

「――ぉ」

「え」


 何か、声が聞こえた気がした。だが、ここには俺と童しかいない。

 驚き俺は振り返る。

 すると童は、悪戯が成功した子供のように、緩やかに唇を動かして笑顔を作ると。


「ぉ、なか、すいたの」

「お、お前?」


 ゆっくりと、言葉を紡いだ。

 仰天して、危うく葱の乗ったまな板を落とす所だった。

 童が、喋った?

 長らくこの宿に住んでいるが、初めての出来事だ。


「お前、喋れるのか?」


 そう問えば、こくんと頷かれる。


「一体いつから?」


 そう問えば、ニコニコと指を三本立てられる。


「三日前から?」

「う、ん」

「そ、そうか。姐さんや爺達は、知っているのか?」


 それには、首を横に振られる。


「知らないのか」

「う、ん」

「なら何故、俺に一番に伝えてきたんだ?」


 普通、俺じゃなくて、この宿の古株である姐さんや管理者である爺に初めに伝えそうなものだが。

 その問いには、開花した桜の様な満面の笑みを浮かべて。


「ひ、み、つ」

「なんじゃそりゃ」


 秘密とは拍子抜けだが……まあいい。

 とにかく、鯛が良い感じに蒸しあがる時間だ。

 俺は蒸篭の中で蒸しあがった鯛たちを皿へと。

 刻み葱と、今回はダイダイの実を切ったものを添える。

 我ながら、鯛をここまで見事に蒸しあげられるとは……と、内心自画自賛していると。

 そして、皿を大広間へ運ぶために、小姓小鬼達を呼ぶ笛に手をかけると。


「ま、って」

「え」

「ひとさ、ら。てつ、だう」


 そう童は言うと、履物を厨房用の履物に履き替えて入って来た。


「お、おいおい」


 そして、ちゃんと手を清め、尾頭付きの鯛の蒸しものを一皿、持って行こうとする。

 流石に、それには待ったをかけた。


「待て待て、童」

「ん」

「理由くらい聞かせてくれ。一体いきなり、どうしたんだ」

「わ、らし」


 そして、彼女の言う理由に俺は再び仰天する事となった。


「おき、ゃく、さま、とる」

「は、はぁ?」


 童がお客様を取る?

 妖怪とはいえこんな幼いのに?


「童、それは……」

「りゆう、いったから」


 そして俺が仰天している隙に、童は一皿持って行ってしまった。


「ま、待って!」


 俺は慌てその後ろを追いかけるが、どこからそんな速さが出るのか、追いつけない。

 そして、後でしこたま怒られること間違いなしだが、童との追いかけっこは、宿の奥の奥、さらに奥の間につくまで続いた。

 こんな奥の間まで来るのは初めてだ。

 この宿は、俺の認識外の広さをしていて、知らぬ部屋も多いのだが……


「はぁ、はぁ……」


 息を切らす俺に、童は涼しい表情のまま。


「お、きゃく、さまー」


 そう言って、礼をして客室に入ってしまった。

 客室に入られたら、俺には料理を運ぶ以外に入室する権利はない。

 だが、戸は完全に閉められていないので、中を覗くことはできた。

 内部からは、冷えた空気を感じる。意を決し、そっと、中を覗いた。

 

◇◇◇


 内部には、幼い、人や何かの形を保つことさえできないほどに幼い霊魂が沢山浮遊していた。

 これは、水子の霊?

 そう驚いていれば、その霊魂たちの中央に童が立ってた。


「お、きゃく、さまがたー。よ、くぼのやどに、おこしいただき、ありがと、ございますー」


そう言いながら、鯛の蒸しものを箸でつまみ。


「こよいは、わらしと、ゆめをみてくださいましー」

「……」


 俺は、そこで室内を見ることを、やめた。

 なんというか、言葉に出来ない感情に苛まれる。

 そのまま、俺は厨房へと向かい、鯛の蒸しものを大広間へと運んでもらった。

 そして、気が付けば俺はもち米と、花豆を用意していた。

 そこに、通りかかったのか姐さんが顔を出す。


「おや、どうしたんだい?」

「あ、姐さん」

「その材料は……赤飯だね?」

「ええ、今日……立派に、お客を取っている彼女への祝いの赤飯ですよ」

「?」


◇◇◇


 もち米は元々赤飯を作るつもりで昨晩から漬けておいたものを使う。

 だが、まさか童に赤飯を炊く日が来るとは!

 もち米を炊く……というより、ふっくらと煮含ませる感じ。

 そして花豆と共に蒸し上げれば……


◇◇◇


 俺は、童がお客様と夢を見る部屋へ再び向かった。

 二度、三度戸を叩き、戸をゆっくりと開ける。

 瞬間、幼い魂魄から、様々な感情未満の冷たい気を当てられる。どうやら、歓迎はされていないらしい。

 中央にいる童は、不思議そうに俺を見る。


「ど、した、の?」

「童、そしてお客様方。今宵の夢のお供に、赤飯を炊かせていただきました。どうぞ、鯛の蒸しものと一緒にご賞味ください」


 そして、赤飯の入った子供用の器のたくさん乗った器を置き、礼をして部屋を出た。

 出る瞬間、童が。


「あ、りが、とー」


 その言葉に、曖昧な笑みしか返せなかった。


「白露」

「姐さん」

「あの部屋、入ったのか?」

「はい」

「……そうかい」


 そして、廊下で出会った姐さん。どうやら、あの部屋の事は姐さんも知っているようだ。


「……男にも、女にも辛い部屋だよ、あそこは」

「ええ」

「ま、何に使われていた部屋なのかなんて言いたくもないが……まさか、童が入り浸っているなんてね」

「立派に」

「ん?」

「童はお客様に夢を見せていたよ」


 その言葉には、悲し気に姐さんは視線を落とし。話はここでおしまいだと去っていった。

 そして、俺も夜食作りに食器洗いにやることは山ほどあるので、厨房へ。

 後ろから、子供の楽し気な笑い声が聞こえてくる気もするが。

 きっと、気のせいだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世苦亡の宿の料理番 バルバルさん @balbalsan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ