世苦亡の宿の料理番

バルバルさん

素揚げ大根とロール豚肉 凍み餅の大根包み

 世苦亡の宿は冬は冬らしく、夏は夏らしい気候を楽しめる宿だ。

 今は如月も初め頃。水は冷たく、空気も冷たい。厨房を任されている身としては、この季節は中々に手が冷えて仕方がない。

 宿の中は暖房が効いているが、厨房はその恩恵を受けにくい場所だ。

 まあ、これも毎年の事。ぼやいても仕方がないのだが。

 そして食材の下拵えをしていると、『姐さん』がやって来た。

 紅い瞳、金でできた糸のような麗しい髪におでこの二本角。昔は大層やんちゃをしていたという鬼の女。

 宿の住人の中でもずいぶんと古株である彼女を、俺達は尊敬と畏怖を込めて姐さんといつも呼んでいる。

 

「よお、白露」

「おや、姐さん。まだ夕食には早いですが、何か肴でも入用で?」

「ああ、肴を作ってほしいんだが私にじゃない。もうそろそろ紅芯(こうしん)の奴とお客様が外から帰ってくる頃なんだが、その二人に何か作ってやってくれ」


 紅芯、紅芯……ああ、姐さんが最近気にかけている新入りの鬼の女か。

 そして夢を見せている相手は、中々に若かったと記憶している。


「承知しました」

「頼んだよ」


 そして、姐さんは厨房を去っていった。さて、何を作ろうかね……

 そうだ、今日は良い大根が手に入ったんだ。それと豚肉で一品作ってみるか。


◇◇◇

 先ず豚肉の薄切りを、端から筒状に巻いておく。

 そして大根は少し大きなサイコロ上に切っていく。

 この二つを、ごま油で素揚げ。

 そして揚げた豚肉を大根と同じ大きさに切って、松葉串に刺す。

 本当は大蒜があるとこの季節、体がもっと温まるのだが、今回は男女の席に持ってくのだ。抜いておこう。


◇◇◇

 俺は作った肴と酒を持ち、二人が帰ってきている部屋へと向かう。

 部屋の中からは、薄っすらと初々しい会話が聞こえてくる。どうやら、お客様の方はずいぶんと紅芯に入れ込み始めているようだ。

 そして会話が途切れたタイミングを見計らい、二度、三度と戸を叩く。


「失礼いたします」


 そして、部屋に入り、酒と肴の乗った盆を置き、深く礼。


「厨房を任されております、啓蟄白露と申します」

「あ、はい」


 顔を上げれば、場慣れしていない様子でおどおどする青年と、頬を薄く紅に染めた紅芯。

 何とも初心な二人の醸し出す空気に、らしくない笑みをこぼしそうになる。

 二人の間には折り紙だろうか。折り鶴が数羽折られていた。

 なぜこんなことをしているのか、なんて聞くほど野暮ではない。この二人は、二人だけの夢を見ているのだろう。

 この二人がより深く、より甘い夢を見れるように。酒と、肴を用意したのだ。


「酒と肴をご用意いたしましたので。長く深い夢の時間、まだ覚めることなく。どうぞごゆるりと」

「え、っと。これは?」


 青年の方は俺の持ってきた肴に興味を示したようだ。


「はい。四角く切った大根と、豚薄切り肉を巻いたものをさっと揚げたものです。暖かな部屋で、これを食べながら、あえて冷酒を飲むのはオツなものですよ」

「へぇ……いただきます。ほら、紅芯も一緒に食べよう」


 そして、二人の空間をこれ以上邪魔することも無いので俺は部屋を後にした。

 しかし、若い鬼の女と、若い男か。なんというか、微笑ましいではないか。

 だが、同時に……いや、やめておこう。

 ふと、脳裏に姐さんの顔が、何故かちらついた。

 なので、そのまま俺は厨房へと戻り、軽く準備をして姐さんの部屋へと向かう事にした。


◇◇◇

 先ほどの残りの大根をかつらむきにする。

 そして、正月に残った餅を凍みさせて保存したものを持ってきて、お湯でふやかす。

 むいた大根を、餅が包めるように切って下準備は終わる。

 ふやけた餅を大根で包み、蒸篭で蒸す。

 蒸しあがったら、ワサビと醤油を小皿に用意する。


◇◇◇

 部屋の中では、一人で酒を注いだぐい呑みを傾ける姐さんがいた。


「おや、白露じゃないか」

「こんばんは。酒は一人で肴も無く飲む物じゃないですよ」

「煩いねぇ。一人酒したい時ってのもあるのさ」


 そういう彼女の前に、俺は肴の乗った皿と、温めておいた酒の入った徳利を置く。


「おや」

「俺も、今夜は一人酒したい気分なので。姐さんの隣で一人酒させてもらいますよ」

「ふぅん、好きにしなよ」


 そして、俺は姐さんの隣に並ぶように座る。


「……これは大根かい?」

「ええ、今年の正月に凍みさせて保存しておいたお餅を、薄切りにした大根で包んでみました。わさび醤油と、燗をした酒でどうぞ」


 そういって、俺も酒をぐい呑みで飲む。

 奇妙なものだ。あの鬼の女と青年を見たら、なんだかくすぐったくて。

 なんだか、昔の自分を見ているかのようで。

 この宿に泊まるお客様で、相手が新入りとはいえ、あそこまで初心な空気を出せる男はそう居ない。

 きっと、姐さんも同じことを思ったのだろう。


「……なんか、久々な気がするねぇ。白露、アンタの隣で酒を飲むのも」

「そうですね」


 そのまま、無言の時間が流れる。だが、嫌な時間ではなかった。

 そう、記憶が掠れるほどに昔、こうして二人で並び、酒を飲んだ……そんな、夢を見た気がする。

 すると軽く、姐さんが体を傾けて頭を肩に乗せてきた。

 彼女の金糸の髪が、肩にかかる。

 一瞬、俺は何か口走りそうになり……止めた。

 何か、声という音を発した瞬間、今が壊れそうな気がして。

 ……そのまま、酒を飲み、餅の大根包みを齧り、夜は更けていくのだった。


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