第3話『否定の代償』




 それから、僕は完全に一人になった。


 もともと話しかけてくる人なんて綾音くらいしかいなかったし、彼女と揉めたのをクラスメイトに見られたせいで、僕は完全に孤立した。


 昼休みになっても、一緒に食べる相手はいない。誰かの会話に入ろうとしても、みんな遠回しに僕を避ける。話しかけられるのは、授業中に必要なときだけだった。


 こんなに広い教室の中で、僕だけが透明人間になったようだった。


 最初は「別に気にすることじゃない」と強がっていた。もともと群れるのは好きじゃないし、独りでも平気なはずだった。


 ――でも、つまらなかった


 授業中、ふと横を見ても、誰も僕を見ようとしない。綾音とは、あれから帰り道が一緒になることもなくなった。それどころか、廊下ですれ違っても、彼女はそっと視線を逸らすようになった。


 今まで当たり前だったことが、突然消えてしまった。


「僕は、何を失ったんだろう……?」


 そんなことを考えているうちに、放課後になった。

 気づけば、教室にはもう僕しか残っていなかった。


 夕焼けが窓から差し込み、机の上に長い影を落としている。学校って、こんなに静かだったっけ。誰もいない教室で、一人ぼんやりと座っていると、不意に後ろから声がした。


「ゆうま!」


 驚いて振り向くと、佐々木ささき先生が立っていた。国語の先生で、生徒の相談にも親身に乗ることで有名な人だ。眼鏡の奥の目が、じっと僕を見ていた。


「何をしているんだ?」


「……別になにもしてないです」


 そっけなく答えると、先生はゆっくりと教室に入ってきた。


「最近、元気がないな」


 何気ない言葉なのに、なんだかイラっとした。


「……そんなことないですよ」


 先生は、少しだけ眉をひそめた。


「生徒が放課後に一人で黄昏れてるなんて、何かあったんじゃないのか?」


 心臓がドクンと鳴った。


「どうなんだ?」


 正直、言いたくなかった。でも、このまま黙っていたって、どうせ先生は何か言うだろう。


 ――だったら


 僕は全部話した。


 僕の否定癖のこと。クラスで孤立していること。綾音と揉めたこと。


 先生は黙って聞いていた。


 話し終わると、しばらく沈黙があった。そして、先生はゆっくりと口を開いた。


「否定することは、決して悪いことじゃない」


 思っていた答えと違っていて、思わず顔を上げた。


「科学の発展だって、誰かが『これは違う』と否定することで進歩してきた。それに、人が間違ったことをするのを止めるためには、誰かが否定してやらなくちゃいけない時もある」


「……じゃあ、僕は間違ってないってことですか?」


 先生は少しだけ首を振った。


「でもな、否定するだけではいけないんだよ」


「……どういう意味ですか?」


「悠真、お前は誰かの考えを否定して、言い負かすことには長けてるのかもしれない。でも『その先』がないんだ。否定するだけじゃ、何も生み出せないし、誰かの心にも響かない。それどころか――誰かの“好き”を傷つけることになるかもそれないぞ」


 心臓がギュッと締め付けられた。


「人は好きなものを否定されると、悲しい。好きなものを貶されると、心が傷つく。お前は、綾音の大切なものを否定してしまったんだ」


 反論が思いつかなかった。


「でも……僕は正直な感想を言っただけです。好きじゃないものを、無理に好きだなんて言えません」

「そうだな。それはお前の自由だ」


 先生は、優しく笑った。


「だけどな悠真――『好きじゃない』と言うのと『相手の好きなものを否定する』のは、全く違うことだぞ」


 心臓が跳ねた。


 否定しなきゃと思った。でも、できなかった。


「……僕は悪くない」


 言葉が漏れて、そのまま教室を飛び出した。


 先生の声が後ろから聞こえた気がする。


 でも、振り返らなかった。


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