第4話『否定される痛み』




 次の日の昼休み、僕はいつものように一人で机に座っていた。綾音が離れてから、これが当たり前になった。


 賑やかな教室の声が遠く感じる。

 それが僕に関係のないものだからなのか、ただ聞きたくないだけなのか、自分でもわからなかった。

 弁当を口に運ぶ。無味だった。


「なぁお前、最近あの子と喋ってないよな?」


 突然、横から声をかけられた。

 驚いて顔を上げると、“田口たぐち宏太こうた”がこっちを見ていた。


 ニヤついている。何か面白いことでも言ったつもりなのか。


「まぁ、お前もやっと気づいたんだろ? あの子、ちょっとお節介すぎるよな」


「……何?」


 咀嚼しかけていたものを、思わず飲み込んだ。


「いやさ、いつも誰かの世話焼いててウザいって思ってたんだよ。お前も疲れたんじゃね? やっと自由になれたって感じか?」


 カチン、と頭の奥で何かが弾けた気がした。


「……お前、今なんて言った?」


 自分の声が低くなるのがわかった。


「え? いや、だから――」


「ふざけるな!!」


 立ち上がっていた。

 思い切り机が揺れて、教室が静まり返る。

 ざわめきがすっと消え、視線が集まるのがわかった。


「……綾音を馬鹿にするな」


「は? いやいや、お前だってそう思って――」


「違う!!」


 僕は田口の言葉を遮った。

 心臓がうるさいほど鳴っている。


「綾音は、お節介なんかじゃない! ただ、純粋に優しいんだ!!」


 胸の奥から言葉が溢れた。

 止まらなかった。


「どんなに僕がひねくれたことを言っても、綾音はずっとそばにいてくれたんだ! そんな綾音のことを、何も知らないお前なんかに、悪く言われたくない!!」


 言い切った瞬間、息が詰まるような感覚に襲われた。脳裏に昨日の先生の言葉がよみがえる。


 ――否定してるだけではいけないよ。闇雲に否定することは、誰かの“好き”を傷つけることになるからね


 今、僕は「好き」を否定されたんだ。


 僕にとっての“好き”――それは、綾音だったんだ。


 その“好き”を否定されたとき、胸が焼けるように痛くなった。無性に悔しくて、悲しくて、怒りが湧いた。


 ――それって、あの日の綾音と同じじゃないか


 僕は綾音の好きな音楽を、技術がどうとか歌詞がどうとか、そんな言葉で否定した。

 僕が今感じている、この胸が引き裂かれるような痛みを、あの日の綾音も感じていたんだ。


「……っ」


 何かを言おうとして、言葉が出なかった。

 唇を噛みしめる。悔しかった。


 田口が息をつく音が聞こえた。


「なんだよ、あの子のこと好きだったのか?」


 笑い混じりの声。

 僕は何も言わなかった。


 だけど、わかってしまった。


 ――僕は綾音が好きだ


 だから、田口の言葉に腹が立った。

 綾音のことを悪く言われるのが、どうしようもなく悔しかった。


 なのに――

 僕自身が、綾音の“好き”を否定してしまった。

 綾音の気持ちを踏みにじり、傷つけたのは、僕だったんだ。


 今さら後悔しても、もう遅いかもしれない。


 でも――


 それでも、謝らなきゃいけない。

 もう二度と、綾音の好きなものを否定しないために。そして、僕自身の“好き”も否定されないために。


 やるべきことは、ひとつしかない。


 ――僕は綾音に謝る


 静かに席に戻ると、田口はもう何も言ってこなかった。

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