春、勿忘草を残して消えた君へ

戯和時

大好きだよ

「こんばんわ!私は君の恋を応援するために天界からやってきた愛のシシャだよ!」

 自らを愛のシシャと名乗った少女は白い狐の仮面をつけていた。

 自分の見ている光景が夢かと思って目を擦ってみても、見える光景は何も変わらない。どうやらこれは現実らしい。

 季節は秋、時刻は深夜。マンションのベランダで空を眺めていた俺は、不思議な少女に出会った。

「ねー、なんか反応してくれてもいいじゃーん」

「……夢かと思って」

「えー。ま、とりあえず外は寒いから中に入ろっか。ってことでお邪魔しまーす!」

 呼び止める暇もなく少女は俺の家の中に入っていった。それに続いて俺もサンダルを脱いで暖かい屋内に入る。

「君は……」

「あっ、そうだね。改めまして、私はハナ。君の恋路を応援する愛のシシャなのだよ!」

 ハナは意気揚々とここに来るまでの経緯を語ってきた。要約すると、俺の人生があまりにも可哀想だったからわざわざあの世からやってきた、ということらしい。少しイラァッときた。

 ハナと名乗った少女はシャツにスラックスという恰好をしていて髪は肩ぐらいまである、何処かで見たことあるような少女だった。けれど決定的に普通の人と違うのは頭の上に天使の輪があるということだ。

「とりあえず作戦の決行は来月!てことで今日から宜しくね!」

 こうして俺の生活にはハナがいることが当たり前になった。



 たまに俺とハナは一緒に出掛けるようになった。

「ねえ!あれ美味しそう!」

 ハナはそう言って俺をぐいぐいと引っ張っていった。こうなると俺に拒否権はない。

「誠はきっとこのチョコスイーツを頼むんだろうね」

「なんでわかった」

「私にはわかるのだよ~」

そうして二人してチョコスイーツを食べた。ハナは終始食べている俺を観察して幸せそうな顔をしていた。

「……調子狂う」

 チョコスイーツ巡りをしたりと、ハナのいる生活は意外と充実したものだった。



 ある日の深夜、俺たちは夜遅くまでゲームをしていた。

「誠、これって」

 唐突にハナは写真の前に置いてある猫のペンダントを指差す。

「……高校時代の彼女に貰ったやつ」

「まだあるんだ」

「ああ。大事なものだからな」

「そっか。……誠はその子と一緒にいて、幸せだった?」

「幸せだった、と思う」

 この日はそれ以降、会話が続くことはなかった。



 時間というものは速いもので、一ヶ月はあっという間に過ぎた。

「誠の運命の相手に会いに行こう!」

 そう言ってハナはある図書館に俺を連れてきた。

「ここで待っていれば運命の相手はきっと来る!……はず」

「自信ないのかよ」

その会話を交わした後、ハナは黙りこんでしまった。静かに時間だけが過ぎてゆく。しばらくして、ふと前を見ると床に本が落ちていた。

「誠!あの人だよ!」

黙っていたハナが大声を出す。

 俺はハナが指差した女性を追いかけた。

「あのっ!本、落としましたよ」

「えっ、あ本当だ。ありがとうございます」

「い、いえ」

なんだか気恥ずかしい空気の中、先に口を開いたのは女性だった。

「お礼がしたいので、よかったらお茶でもどうですか?」

その誘いに戸惑った俺はハナに助言を乞おうとしたが、そこにはハナの姿はなかった。

「あの、どうでしょうか」

「あ、はい。じゃあお言葉に甘えて」

俺とその女性が仲良くなるのにそう時間は掛からなかった。だがその時間にハナの姿はなかった。



 時は経ち、数ヶ月が過ぎた春。俺はついに結婚した。

 そしてある日の昼下がり、俺はなんとなく鏡の前に立っていた。

「誠」

聞き覚えのある声に後ろを振り向く。

「ハナ?」

「うん、ハナだよ。今日は最後の挨拶に来たんだ」

 ハナが仮面を取る。

「改めて。結婚おめでとう、誠!」

ハナは、いや“花”は泣きながら笑っていた。

「……花?」

「うん」

「幻覚とかじゃなくて、本物の?」

「本物だよ。……ごめんね、先に死んじゃって」

 その言葉で思い出すのは高校二年の冬。花が死んだと告げられたあの日、俺は急に世界が色褪せていくように思えた。

「俺、頑張ったんだよ。ちゃんと大学行って、就職して、働いて」

「うん」

「本当に、頑張ったんだよ」

「うん」

花は優しい手つきで俺の頭を撫でる。

「頑張ったね、誠」

その一言で涙が溢れて止まらなくなった。

 しばらくして涙も枯れてきた頃、俺は花を精一杯の力で抱きしめた。

「そろそろ、いかなきゃ」

「やだ」

「誠」

「やだ」

「でも時間なんだぁ」

花は涙をこぼしながら俺の腕をすり抜けて後ろに下がった。

「まだ話したいことが沢山ある!」

「そうだね。じゃあ誠がちゃんと生きて、こっち側に来たら話聞いてあげる」

花はいたずらっぽく笑ってそう言った。

「花!」

 精一杯手を伸ばす。

「またね。大好きだよ、誠」

 そう言い残して花はいなくなった。花がいた場所には勿忘草が一輪あって両手でそっとそれを掬う。

「花言葉は……」


“私を忘れないで”


「……忘れるわけないだろ、ばか」

 窓の外に広がる青い空を眺める。

「またな、花。大好きだよ」

そっと、勿忘草に一つ口づけをした。

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