第4話 穴にハマる
ひとまず夕飯のことは保留にして、今夜泊まる部屋へ向かうことにしました。荷物も置きたいですし。
私に与えられたのは、ランクとしては下のほうの部屋、「ツーリスト」です。どんなお部屋なのでしょう。お値段的にあまり期待はできませんが、それなりであってほしい。そう願いながら、指定された場所に行ってみたら、そこは部屋じゃなかったのです。
穴でした。
幅1メートルほどの衝立というか壁というか、それに穴があいているのです。
穴の広さは1畳ぐらいでしょうか。中には布団と枕が用意してありましたが、ほかには何もありません。穴の壁には照明、ハンガーが二つ、コンセント、ドリンクホルダーと手のひらサイズの網棚(こんな小さな棚には何を置けばいいのでしょうね。おにぎりとか?)もありました。
たとえるなら新幹線の座席を水平になるまで倒して、壁に埋め込んだような感じの穴です。
この穴が、私の今晩の宿です。私は穴を与えられたのでした。
穴にはカーテンがついていました。寝るときや着替える際は、カーテンを閉めるわけです。それなりにプライバシーも守られている感じがして、なかなか快適そうな穴でした。フェリーといえば大きな部屋に雑魚寝というイメージがありましたが、この穴なら一応、個人の空間は確保できております。
ただ鍵がかかりませんから、そういうのが不安な女性のために女性専用エリアもあるようです。お金を払えば個室ももちろんあります。でも、ツアー客である私は、同じツアーの人たちと同じエリアの穴に収納されることとなりました。
私の隣はどんな人でしょう。ちょっと気になります。
ちらっと覗いてみたら、送迎バスで隣に座っていた脚広げオジサンが、私の隣の穴に収まっておりました。
なんでやねん。
脚広げオジサンの分際で、お花が好きだったなんて。それもスイセンチームだったなんて。なんとも複雑な気分です。私の心の中のフクロテナガザルも、複雑な面持ちです。
さて、自分の穴の確認も終わったので、さっそく船内探検に繰り出すことに。
船といえばやはり甲板でしょう!
しかし、強風のため出入り口は全て封鎖されていました。天候によってはこういうこともありますね。しょうがない。こういう抗いようのないことをすっと受け入れて、マイナスな気持ちをすぐに頭から追い払うことも、人生の波をやり過ごす秘訣ではないでしょうか。なんて、私もそううまく切り替えられることばかりじゃないですけどね。まあ、心構えとしてね。
甲板に出られるときは、橋の下を通過時、真下から橋を見上げることができるそうですよ。船からしか見られない景色を堪能できるんですね。
また街の明かりから離れていますから、夜は星もきれいに見えるのでは? 実際に星が見えるかどうかはわかりませんが、でも海の上で天体観測って素敵じゃないですか。なんとなくロマンチックな感じがします。おひとりさまでロマンチックになってどうするんだっていう気もしますが。でも、それはそれとして、いいじゃないですか、船上天体観測。
今回は残念でしたが、いつか再チャレンジしたいところです。
次に、船内の展望ラウンジに行ってみることにしました。
こちらはソファにゆったり腰掛けて、海を見ることができるようになっていました。照明は暗めで、壁には絵が掛かっていて、なんでしょう、モデルルーム的な空間とでもいうのでしょうか。マンションの広告チラシに載ってそうな雰囲気です。
わあ、ここは物思いにふけるのにぴったりです。
早速ソファに座って、外を眺めてみました。まだ出港していませんから、すぐ目の前の港で車や人が、吹雪の中、のろのろと動いているのが見えました。
外はとても寒そうです。なんせ吹雪いています。それはもうめちゃくちゃ寒いに決まっています。海面も黒く濁って、白い波が物々しい雰囲気です。それに比べてフェリーの中はあたたかくて、快適で、なんだか申しわけない気持ちになります。
こんな寒い季節に咲くスイセンはえらいなあ。もしも私が植物だったら、寒さで萎れているんじゃないでしょうか。九州の民だからでしょうか、私は寒いのは苦手なのです。暑いのも苦手ですけれど。……よく考えたら、みんなそうですよね、きっとね。
さて、出港を告げる音楽が船内に流れてきました。じわり、フェリーが動き出します。思ったより揺れが静かです。
海を見ていたら、小さな船がフェリーの船体を押しているのに気づきました。この小さい船はタグボートといって、フェリーの離岸のお手伝いをする船なんだそうです(近況ノートで教えていただきました。清瀬さん、ありがとうございます)。強風や海が荒れているときなどにしか見られないそうなので、ラッキーな気持ちになりました。荒天には荒天なりの、晴天には晴天なりの、良いことがあります。
タグボートのアシストもあって、あっという間にフェリーは新門司港を離れ、窓の外には、海と空しか見えなくなりました。
さあ、波に揺られながら、物思いにふけるのです……。
……。
……船内探索がまだ済んでないな。
……あと夕飯どうしよう。
ああ、もう。まだ船内探索が終わっていないことや夕飯のことなどが気になって、どうも集中できません。
私にとって好奇心というのは、わりと無視できない欲求なのです。もしかしたら悩み事より優先されるかもしれません。いろんなことが気になっちゃう。まあ、それはそれで。悪いことではない、と思うことにしましょう。
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