世、妖(あやかし)おらず ーひとくち様ー

銀満ノ錦平

ひとくち様


 私が会社の昼休みに自作の弁当を食べていると一緒に食べていた後輩が私の弁当のおかずを物欲しそうに覗いてきた。


 この後輩…『喜美子』は良く


 「一口頂戴!」


と言いながら私のおかずを貰っていく。


 私は別にそれを嫌とも思ったことはないし不愉快と感じたこともない。


 一口渡せばそれで終わるし喜美子自身は悪い人ではないからだ。


 それに…甘いかもしれないが喜美子に一口上げた後に「美味しい!」と笑顔で言われるとついついあげたくなってしまう…。


 他の同僚にも「喜美子さんに甘いよね。」とか「甘やかせすぎはよくないよ。」とか大凡、社会で働いてる人の会話とは思えない事を言われたりして恥ずかしくはあったが、喜美子は別にその一口頂戴以外はちゃんと周りとの協調性は悪くなく、仕事もきちんと出来ているので、本当に注意してると言うよりは茶化して言ってきている事は承知している。


 それでもやめないのは多分私がこの娘の事を気に入っているのかもしれないと思っているからだ。


 それに…多分これが一番の理由何だが…それは喜美子さんはとても痩せているということである。


 げっそり…と言うほどではないがなんというか…健康的ではない…そう思える痩せ方をしている…様な気がしてしまう。


 これは私の主観で見た感想で、他の人に聞いても「そうかな?」とか「スタイルいいじゃないか。」など肯定的な感想が多いから私の気の所為ではないかという結論に今は至っている。


 ただ納得が少し出来ない。


 なんというか…元気にはしているが何処か…何かおかしいと感じてしまう。


 恐らく、他より私が喜美子さんを見ているから…ではないかと思っている。


 そんな凝視しているわけではないのだが…何故か表情に違和感を感じて仕方ない。


 笑っている顔も 仕事で忙しくしている顔も 気温に釣られて少し眠気を出している顔も 体調を崩して早退してた時の具合悪そうな顔も…。


 なんか違和感がある。


 顔の表面に薄く何か別の表情のようなものが貼り付いてるかのような…。


 揺れている。


 顔の輪郭が何処か揺れているような…。


 よくテレビの画質が悪かった時に人の輪郭がズレるような…言葉では中々言えないがそんな違和感を感じてしまっていた。


 そんな違和感を拭えず日々を過ごすのは辛かったんだと思う。

 

 とうとう私がダウンしてしまった。


 彼女…喜美子がここに入社して2年経っていたがこんな不安定な感情になりながら私生活と仕事を両立させて過ごしていたと思うと…よくもった方ではあったんじゃないかと思う。


 具合が悪く熱も出ていた。


 更に布団からも出られずにもう息も絶え絶えだった。


 仕事場に連絡をしたが電話越しからでも


 本当にこのまま死ぬんじゃないかと走馬灯が脳内を巡りそうな予感もしていた時…。


 ピンポーン  


 家のチャイムが鳴った。


 朝もまだ早く、誰も読んだ覚えもない。


 荷物にしても何も注文してはいない。


 唯でさえ熱で具合が悪い状態に追い打ちかの如く謎の人物によるチャイム音。


 私は恐怖してしまい、布団の中にうずくまってしまった。


 早くどっか行って!早くどっか行って!早くどっか行って!


 私は体調の悪さもあって、おかしくなりかけていた。


 チャイム音はその後も3度鳴った。


 ピンポーン ピンポーン ピンポーン


 私はずっと震えていた。


 このまま警察を呼ぼうかとようやく携帯に手を掛け、画面を見た…すると、メール着信が何度も来ていたのに気づきそれを見たら、中身は喜美子からだった。


 『先輩!大丈夫ですか!返信ください!今、玄関にいます!』


 この時になぜ喜美子が私の家を知っているのかという疑問など考える余裕もなく、知った人が窮地に駆けつけてくれたんだとしか頭には浮かばずに…速攻で連絡した。


 「ごめん…今から開けるね。」


 私はやっとの思いで玄関まで辿り着き、ドアを開けた。


 眼の前には心配しているのかとても不安げな顔をしている喜美子が立っていた。


 私の様子が尋常じゃないことが一目見て分かったからか、喜美子はすぐ私を病院に連れて行った。


 もう喜美子も私も救急車を呼んでる暇がないと焦ったのか私の肩を抱えながら車まで連れて行ってくれたので相当疲労した表情をしていた。


 そして病院に連れていき色々と検査をした。


 インフルエンザだった。


 どおりでキツイわけだった。


 私は少し点滴を受けた後に薬を処方され、そのまま喜美子に自宅まで送ってもらった。


 私はぜぇぜぇ…と息を荒げてはいたが朝よりかは幾分マシになったので自宅の玄関で止めて…と言ったが相当心配していたらしく、結局自宅に入って身の世話をしてくれた。


 「ごめん…伝染しちゃいけないのにここまでしてもらって…。」


 「何言ってるんですか!こんなきつそうにしてる世先輩放っては置けないですよ…!」


 「けど…よくわかったね。私の家…もそうだけどなんかタイミング良すぎるからちょっとびっくりしちゃってさ。」


 ちょっと軽いノリで話しただけだった。


 別に喜美子を怪しんでとかではなく…唯なんとなく聞いただけだった。


 その時…先程まで心配そうな顔をしていた喜美子の顔がいきなり満面の笑顔になり、私に向かって言葉を掛けた。


 「それはですね…!『ひとくち様』のおかげなんですよ!『ひとくち様』がですね?私に先輩が体調を崩しているって告げられたからですよ!!」


 この時ほど聞くんじゃなかったと後悔したことはなかった。


 「 『ひとくち様』はね?私に色んな事をお告げしてくれるの!例えば仕事とか!『ひとくち様』が言われた通りにすれば仕事が上手くいくんです!『ひとくち様』がお告げした人と付き合えばどの人とも良い関係も築けました!『ひとくち様』が1日の行動をお告げした通りに過ごしたら凄い良いことばかり起きるんですよ!『ひとくち様』が…」


 この後もずっと『ひとくち様』と呼ばれる聞いたこともない神様について聴かされた。


 私は愕然としてしまった。


 体調の悪さによる幻聴であってくれと思ったほどである。


 私の…私が大切にしていた後輩が実は変な神様を慕っているなんて…。


 別に何処の神様をどう慕っていようとそれは関係ない。


 私はそこに関しては興味なかったからだ。


 変に勧誘などしてこない限りは本当に気にしてなかった…。


 してはいなかったが…これに関しては何か恐ろしさを感じてしまった。


 私は…その後も何かを言おうとした喜美子に


 「ごめん…具合悪いからまた今度…ね?」


と帰るように促した。


 喜美子は満面の笑顔から先程の心配そうな顔に戻り


 「お大事にしてくださいね。また何かありましたら来ますね!」


と言いながら出ていった。


 帰ったのを確認した後速攻で鍵を閉めて布団に潜った。


 今まで私の体調を心配していた彼女がその『一口様』なるもの存在にお告げをされたと話していた時の顔…満面の笑顔で話し続けていて本当に怖かった。


 ホラー映画やお化け屋敷で怖がるのとはわけが違った。


 心の底から震えていた。


 体調のせいもあるかもしれない。


 しかしこの恐怖は…体の震えは確実に精神的恐怖から来ているものだと実感していた。


 けど…何より怖かったのがいつもはその笑顔を見せていたときだけ…いつも感じていた輪郭の歪みが無くなっていたことだった。


 正直、具合の悪さに拍車を掛けていたのは何時もの私の違和感…彼女の顔の輪郭が揺れているのを見てしまい、それに酔ってしまったというのもあった。


 何時も以上に揺れていたのでまともに彼女の顔も見れなかった…それなのに…。


 笑顔の時だけ…あの満面の笑顔の時だけ、その揺れていた顔が元に戻っていた…ような気がした。


 あの笑顔を思い出してしまうだけて体調悪化してしまいそうで忘れるように寝付いた。


 その後は喜美子から連絡は来ていたがどれも


 「大丈夫ですか?」「何か買ってきましょうか?」「本当に何かありましたら何時でも連絡してください!」とどれも普通に心配している内容ばかりでこの前のあの狂気じみていた様子は全く無かった。


 それでも…顔を合わせづらいなあと思ってしまう。


 ただ…もしかしたら本当に私の気の所為…熱による幻覚…それなら彼女に申し訳ない…。


 非ぬ悪い印象を勝手に当てはめてしまったのなら…私は後悔をしてしまうかもしれない。


 しかし…それでもあの笑顔が幻覚とは思えなかった…。


 私は充分に休養出来たおかげでなんとか職場復帰に成功した。


 同僚達も心配してくれて私もまた戻ってきたと安堵した。


 大変な仕事場ではあるけど、こうやって労いの言葉を掛けてくれる人がいるだけでまたここで働こうとなるから私も甘いんだと思う。


 肝心の喜美子も私に向かって来て戻ってきたことに安堵してくれていた。


 顔は…やはり輪郭が揺れているような気がする。


 「ほんと心配してたんですよ!私のメールにも連絡しないですし…。」


 「ごめんごめん。けど喜美子さんが来てくれたお陰で治るのも早くなったんだから感謝してるよ。…そうだ、今日は私が夜奢るよ。」


 「いえいえ!そんな…。私はただ当たり前の事しただけですよ。ん〜、何時も通りお弁当一口くだされば…!」


 「え、そんな…。それだけで本当にいいの?」


 「いいですよー。私、先輩の一口だけがお昼の楽しみなんですから。」


 「けど…そんなのでお礼になるとは思えないけど…。」


 「なりますよ!私はね?ここに入ってからとてもお世話してくれた上に一口くれた先輩を尊敬し惚れてるんです。もうずっと一緒に居たいくらいに…!」


 「そ、そうなんだ…そこまで言われたら…お言葉に甘えようかな…。」


 なんかこの辺りで流石に不審に思った。


 いくらなんでも固執しすぎなんじゃないかと。


 これじゃまるで雛鳥に餌与えてるのと同じなんじゃないかと…。


 それでこの後輩は私を親かなんかかと思い始めているんじゃないかと…。


 それならば懐かれていくのも納得できてしまう。


 雛鳥は餌を貰うために大きく口を開けたり、沢山鳴いてアピールをしている。


 今の喜美子は…なんか私の一口の為に頑張ってる様に見えて前の喜美子が言っていた『一口様』が脳裏を過った。


 あれは幻聴なんだ…具合が悪かったからきっと変な事を聞いてしまったように錯覚してしまったんだ。


 もしかしたら…少しノイローゼにもなっていたかもしれない。


 優れた後輩に一番懐かれてとても嬉しかったしそりゃこっちとしても鼻を高くしていた。


 他の同僚等にはここまで懐くような仕草などもせず、ましてや一口くださいなんて言われるのは私だけだったのだから…。

 

 気前良くしていても何処かでストレスを抱え込んでいたのかもしれない。


 …そろそろ喜美子の生活習慣を変えたほうが良いのでは無いのか…。


 昼も食べてるとはいえ、何故か少食すぎるような気もするし…。


 殆ど…私の一口の為に弁当を作ってきてるというか…。


 実は喜美子も何かストレスを抱えていてそれで変なその『一口様』とか言うものにハマってしまったのかと…。


 ただそれは私の幻聴…幻覚であって欲しいと頭を振りながら忘れようとした。


 私は思い切って喜美子を切り出した。


 「ねえ…じゃあさ、喜美子の家に行ってもいいかな?」


 「え?私の家ですか?」


 「うん、やっぱお礼はしたいから。私の手料理が好きなら作ってあげる。」


 結構話を無理やり持っていってしまったと思う。


 さっき喜美子の言葉に甘えると言っておきながら結局はお礼をしたいという話にしてしまったのだから…。


 喜美子は少し考えた後に


 「わかりました!先輩がそこまで言われるなら!ただ…いや、なんでもないです!じゃあ今日一緒に帰りましょう!」


 私は…ここで改めて喜美子の全身を見た。


 …やはり痩せ細っている様にしか見えない。


 スタイルが良いとかではなく何か…何か栄養を吸われているような。


 周りが何故それに気が付かないのかが余計にわからなくなってきた。


 栄養失調何じゃないかと…そう思えて仕方ない。


 ここで押し付けがましいかもしれないがもし何か抱え込んでたりストレスになっていたり…もしかしたら実は仕事で問題を起こしてそれを隠してるんじゃないかと…。


 それを解決…まではいかなくても私に本音を話してくれれば多少は良い傾向にいくかもしれない。


 より喜美子の顔色も良くなるかもしれない。


 喜美子のあの顔の輪郭の揺れも…なくなるかもしれない。


 私は自分で勝手に何かやってやろうという気持ちが溢れてきてしまっていた。


 この後輩を助けてあげよう。


 この後輩の抱えてる事を払拭させてあげよう。


 …何もかも私の勝手な思い上がりでちょっかいを与えてるんだと思う。


 それにやはりこれは私の為でもある。


 やはりおかしいのだ。


 この2年間後輩に一口を与え続けていたのが。


 社会人がやることではない。


 そんなもの本来は中高辺りで同級生がワイワイしながらする行為ではないのか。


 いや、たまになら社会人でもあると思う。


 ただ、2年間ずっとはやり過ぎだと…漸く気付いた。


 ならせめて…後輩の家で説得するしかない。


 ただいきなり辞めてと言えば後輩が余計にストレスを抱えてしまうかも…と私も頭を抱えてしまいそうで怖くなった。


 ただもう…一先ず一口についてはなんとかしよう。  


 説教…とまではいかないけどお互いゆったり話せるなら矢張りどちらかの家で話すしかないと…。


 今日は金曜だし遅く帰っても大丈夫。


 家は…本当は私の方に向かわせたかったが仕事場から少し遠いので比較的近い後輩の家にした。


 …寧ろそれで正解だったかもしれない。


 後輩がより話しやすくなれると思うから…。


 そして仕事も終わらせ、定時にお互い一緒に帰ることにした。


 流石に周りから奇異の目で見られたような気がするが来週からの明るい仕事模様の為に…と我慢をした。


 喜美子の家は仕事場から車で10分の場所にあった。


 先程まで都会の影がチラついていたがたった10分で田畑の多い田舎風情と早替りした。


 私は少し人の少ない場所に来てしまい、少し不安になったがそれはそれでここに住んでる人達に失礼だと思ったのでその考えはやめることにした。


 そして喜美子の家に着いた。


 一軒家の二階建てでそこまで特徴もない普通の家…という印象だった。


 喜美子はとても嬉しそうに私を家に案内した。


 中もそこまで印象的なものはなく、どこか昔遊びに行った祖父の家に似てるなあと思った位であった。


 ただ…なんか家中に酸っぱい匂いが微かにしていた。


 柑橘類の様な匂いでもない…レモンみたいな酸っぱさでもない…何故分からないけどその匂いに連れられて吐き気に一瞬囚われたが何とか治めた。


 一先ず何か食べようとなり、私は「失礼しますねえー。」と冗談めかして冷蔵庫を開けた。


 普通に一人暮らし分の材料があって驚いた。


 てっきり空っぽか期限切れていた食材ばかり何じゃないかと思っていたのでそこは喜美子に偏見してしまい申し訳なくてつい彼女の顔を見た。


 揺れていた。


 仕事場で見ていた時より揺れていた。


 私の頭がどうかしてしまったのかと思ってしまうくらいに揺れていた。


 輪郭がとても揺れていた。


 私は顔を見たのを後悔した。


 しかしそれでも作らなければならないと思い、簡単にオムレツとベーコン…そしてサラダを作り喜美子と一緒に食べた。


 いきなりがっつく物を食べさせたら胃が驚くんじゃないかと心配になり、比較的食べやすい献立にした。


 そして食べながら後輩の何か悩み事などを聞き出すことにしたが…。



 「私に悩みですか?ないですよ?もしかして心配してましたか?大丈夫ですよ!今一番充実してるんですから!心配ご無用…ってやつです。」


 別にストレスや悩み事を抱えている様子は一切なかった。


 ここまで断言されるなら私も特に言う事がなくなってしまう…なので一番聞きたかった事を後輩に問いた。


 「んー、じゃあさ…なんで私にいつも一口貰おうとしてるの?」


 この質問を問いかけた時…先程まで楽しそうに話していた喜美子の顔が一気に無表情になり、私の顔を凝視した。


 私はいきなりの表情の変化に驚き、次に言おうとした一言を飲み込んでしまった。


 喜美子はスッと立ち、私の顔を見つめたまま


 「着いてきてください。」


と感情の無いような声質で投げ掛け、そのままリビングを出ていった。


 私は…ここで逃げれば…と思いはしたものの、後輩の生活改善をしないと…という押し付けがましい気持ちからつい着いていってしまった。


 喜美子は2階に進んでいってたので私もそれに着いていく。


 たった30も満たない段数の筈なのに何故か永遠と歩いているような感覚に陥っていた。


 …そして2階に辿り着いた。


 左には特に何もなく物置用のタンスが置かれているだけであったが左に1つ扉が付いており、とても薄暗く不気味な雰囲気を醸し出している。


 しかも進むにつれて矢張りその酸っぱい吐き気のする匂いが鼻に付き始めてきた。


 鼻を摘む訳にもいかず、私は鼻の息を止めながら進むしかなかったが何故か口元にも匂いの後のような物がつきまとい始めて私は涙目になりながら喜美子の後ろに付くしかなかった。


 そして扉の前まで来た後、喜美子はそのドアの前に立ったままで私に話しかけた。


 「先輩…私はここを他人に…家族の人以外に見せるのは初めてです。ここを見せるということは…私と先輩は一心同体になるという程の覚悟になると思います。先輩…いいですか?」


 私はもう匂いに加えて、喜美子から聞いたことのない低い声に恐怖で身体が硬直してしまっていた…声も出せなかった。


 喜美子はそれを肯定と捉えたのか「じゃあ…開けますよ…。」と言い、その扉を開けた。


 「先輩…入ってください…。」


 硬直していた身体が私の意志と関係なく勝手に部屋の中に入った。


 ギギギギギ…と古い木材扉の音共に開かれた部屋の中は闇としか言え無いほどの暗さに奥側からの小さな光のみ…というシンプルながら不気味さがとても出ている一室だった。


 小さな灯火の光の元には大きな物体の輪郭が見えた…しかし全体が見えない。


 その物体も輪郭が揺れている様に見えた…。


 喜美子の顔は…見えない…見えないけど全身のシルエットが揺れている様に見えて仕方なかった…。


 喜美子は「本当はここは灯りつけちゃいけないんですけど…。」と言いながら照明をつけた。


 私は眼の前にあるその物体を見て腰が抜けてしまった。


 そこには、大きい仏壇のようなものがありそこの周りにはお供え物のようなものが一口サイズに供えられていた。


 そして祀ってある仏像を見て私は悲鳴を上げてしまった。


 仏像の顔が…顔の部分が大きく開いた口になっており、そこに白いどろっとしたものが口と思われる所から出てきていた。


 私は咄嗟に喜美子の顔を見た。


 あの時の…あの時の熱で体調を崩していて幻覚かと思っていたあの満面の笑顔をしていた…そしてあの揺れていた輪郭を収まっていた。


 喜美子は満面の笑顔で私にこの仏像らしき者について語りだした。


 「これが前、私がお話した『ひとくち様』なんですよ。昔から私の家系でずっと守り、祀っているものなんですよ。今は私だけですが昔はここ一帯は皆この『ひとくち様』を崇拝してたんですよ。だけど『ひとくち様』を祀るのはむずかしいんです。そしてとても厳しい…この『ひとくち様』に一口お供えを怠る事をしてしまった人が多くなっちゃって、罰を与えてしまった結果皆いなくなっちゃったんです。今この一帯は外からの入居者だらけなんですよ。私だけです、この『ひとくち様』をまだ崇拝していますのは…。」


 私はもう声も出ず立ち上がりも出来ずにただ、喜美子の顔を見ることしか出来なかった。


 喜美子は満面の笑顔で話しているが瞳の奥は何か取り憑かれているように瞳孔が開いていた。


 そしてその笑顔のまま、喜美子は仏壇に向かい小さい段差を1つ1つ丁寧に登り、その『ひとくち様』の隣に立ち止まると仏像に一礼し、何か呪文のようなものを言い始めた。


 「世、万物…生きとし生けるもの全ての始まりの咀嚼を頂きまして、私の一口から神である『ひとくち様』にお返しします。生物の食事の始まりはいついかなる時でも生存する為に必要な絶対的儀式であるように、『ひとくち様』の一口に置きまして、私が今から口移しを致します。そして、今宵は私の愛するべき先輩と共に始めたいと思っております。これは生物の生存本能の1つである、『性行為』の代わりとしまして『ひとくち様』のお口に、私が貯めてきた一口を差し出し致します。」


 私はもうわけが分からなかった。


 始まりの咀嚼? 一口を貯める? 性行為? 私を愛す?


 私は女だし確かに後輩であり仕事もできて明るい喜美子は好きではあるがそれは人として好きというだけで恋愛感情ではない。


 そんな混乱している中で、喜美子は人差し指を口の中に入れてえずき始めた。


 私は喜美子の行動がわからなかった。


 何をしているんだ…何故急にえずいているんだ?


 私は今がこの世にいるのかすらわからなくなった。


 そして喜美子は…その仏像の顔…大きく開いている口の部分に吐瀉物を放った。


 私はそれを見た瞬間、吐き気が一気に増してしまい吐こうとしてしましまう…だが何故か吐けなかった。


 喜美子が吐瀉物を吐き終わったあとに此方に顔を向ける。


 今まで笑顔だったのが何処か清々しくしていていつもの明るい喜美子ではなく異様に蠱惑な雰囲気を出している別の誰か…に見えた。


 喜美子は仏像の方に改めて向き直し、再び呪文のようなものを投げ掛けていた。


 「今宵も私の一口を受けていただいてありがとうございました。これでまた助言をくださることを期待しております。しかし…今回はあと一口だけ貰って頂いてほしいのです。そこにいます愛おしく愛している我が先輩の一口も受けて頂きたいのです。」


 そして喜美子が私の方に向かって私を立ちがらせ、仏壇の方に向かわせようとする。


 「先輩…私はあの職場に入ってから貴女が好きでした。ただ…ご時世に同性同士では添い遂げることなど出来ません。ましてや、貴女は私の前で男の話をしていました。私は笑顔でしたが内面ではとても嫉妬に駆られていたんですよ?だから私はこの『ひとくち様』にお願いしたんです。そしたら…


 『その者の 一口を 差し出すと良い』


と言われたんです。だからずっと一口を貰ってはこの『ひとくち様』にお渡ししておりました。ただそれだけでは駄目でした。最終的にお告げで


 『その者の口から渡せ』


と言われました。だからこうやって貴女を家に来るようにしました。」


 私は漸く声を発する事ができたため喜美子に言い返す。


 「こ、こんなの狂ってるよ!!なにあれ!?なんで吐瀉物を仏像に垂れ流すの!?そんなのでお告げなんか…狂ってる!おかしいよ喜美子!」


 「おかしくないですよ?私は私の崇拝してる神様に神言を承っただけなんです。そしてこの通り先輩を家にあがらせ、この『ひとくち様』の前に差し出す事ができました。これは必然なんです。おかしくありません。それに『ひとくち様』は一口さえお供えすれば何でも万物を思うままにすることができるんです。先輩と添い遂げることだって不可能じゃなくなるんです。先輩も今、苦しいでしょ?早くその喉元まで出てきている吐瀉物をあの仏像に捧げましょう。正直、『ひとくち様』は待ち遠しくて仕方ないんです…それに、『ひとくち様』は約束を破られるのが嫌いなんです。だからもし貴方の一口を捧げないと私に災難がやってくるのですよ。嫌ですよね?あんだけ愛してくれた私の不幸なんて先輩は見たくありませんでしょ?」


 「い、嫌だ!私は…そ、そんな訳のわからない神様の前に立ちたくない!自分が食べた物を出すなんてそんなキツイこともしたくない!喜美子もおかしいよ!私は…帰るから!」


 そう見えを張ったは良いが、身体も動かず無理やり立たされも藻掻く力も起きず…もう駄目かと諦めていた。


 小さい段差を丁寧に進まされる。


 そして…仏像の隣に立たされる。


 吐瀉物から放たれる酸っぱく気持ち悪い匂いにもう限界が来ていた…。


 この家に充満していた酸っぱい匂いがここで漸く分かった…分かったと共により背筋が凍りついた…。


 充満する程この様な狂った行動をずっとしていたのかと…。


 私は…無理やり喜美子に指を喉元に入れられそうになる。


 私は…何とか力振り絞って顔を動かし指が侵入するのを防いでいた。


 だが…すぐ力も尽き、その吐瀉物と喜美子の唾液の付いた指が喉元に入っていこうとした。


 その時に、


 ピンポーン


とチャイム音がなった。


 喜美子には予想外だったらしく入れようしていた指を引いた。


 その瞬間…力尽きていた筈の身体が動く様になり、私は思いっきり喜美子を突き飛ばして全速力で家を出ることにした。


 チャイム音が出たということは誰かがいるという事が分かり、それだけで安堵していた。


 そして靴も履かずに玄関扉を開けて外に出ようとした。


 そして私は大声で


 「すいません!!今から開けます!!」


といい、扉を思いっきり開けた。


 逃げれたと思った。


 眼の前に確かに人はいた。


 僧侶の格好をしており、網笠で顔は隠れていた。


 私は「助けてください!」と縋り付こうとして僧侶に駆け寄った。


 僧侶は全く動じずに私に質問をしてきた。


 「ここが…喜美子さんの家ですか?」


 私は、「そ、そうです!!け、けどおかしくなってます!!逃げたほうが良いです!!」とその僧侶に逃げることを勧めた…。


 すると僧侶は


 「わかりました…それでは。」


と喜美子の家に上がろうとした。


 私は必死に止めようとしたがそれを遮るように


 「彼女は約束を破るという我が教祖であり崇拝する『ひとくち様』の禁忌を犯してしまいました。あの部屋から貴女がでてしまった時点で彼女が『ひとくち様』と交わした誓約を無駄にしてしまったわけです。ここで成功しておりましたら…貴女との契りは必ず成功してましたでしょうに…。お労しやお労しや。」


 そう言いながら僧侶の姿をした何者かは家に入っていった。


 私は…呆然とするしかなかった。


 逃げようとしていた足も動かなくなっており、ただ外から喜美子の家を眺めるしかできなかった。


 そして…喜美子の家から女性の悲鳴が聞こえたが一瞬で消え、それ以降は喜美子も僧侶もでてくることはなかった。


 私は、そのまま喜美子の家の前で気絶していた。


 偶々近くを通った通行人の人が発見してくれ、病院に運ばれた。


 幸い、何の異常もなく『疲労によるストレス』で収まった。


 私は、この前唯でさえ休んでしまってたのにまたこの様な事で休んでしまったことに申し訳なく上司に辞めること前提で会話をした。


 しかし上司は温情で


 「最近、仕事も大詰めで忙しかったしまだ前の疲れが残っていたんだろう。ゆっくり休んで、また頑張ってください。」


と励ましの言葉もくれ、ゆっくり休職することにした。


 あの時の喜美子の家で起きたことは何だったのだろう…そんな疑問も日を進むに連れて何故か記憶が薄れていった。


 病院から退院し少し家の方で休んだあと、再び出社したが周りは何時も通りで…前以上に私を心配してくれた。


 しかしその場に…喜美子はいなかった。


 皆に喜美子のことを聞いたが


 「そんな人いませんよ?」


という返答が返ってきて驚いた。


 皆がいうには、私がいつも一口だけを弁当箱の蓋に置いて楽しそうに独り言を話していた。


 それは実は2年前からしていた事で、誰も何かの事情があって聞くに聞けなかったと…。


 それでとうとうこの短い期間で休んでしまったことに漸く、同僚達が私がストレスか病気かであんな行動をしてしまっているんじゃないかと心配していたそうだった。


 もしプライベートで不幸事が起きてそのせいなら、敢えて原因も理由も聞かないでそっとしておこうと…そして仕事は出来てるからもし何かあれば私から話を出してくれる筈…と思ってしまったことを後悔していたと皆に泣かれていた。


 上司も


 「早く君に相談を持ちかければよかった…。」


ととても後悔している様な悲しい顔で話していた。


 私は混乱した。


 じゃあ今まで私が話していた喜美子って…誰だ?私が一口あげていた相手って…存在していたのか?


 私はその後も仕事に就いたが喜美子という存在に全く仕事に集中出来ず、結局仕事場を辞めてしまった。


 皆は凄く悲しんでくれた。


 もしまた戻ってもいいってなったら何時でも会社に連絡してくれ…とも言われ私も泣いてしまった。


 ただどうしてもあの場にいたら混乱してしまい、集中出来なくなってしまってしまうので本当に私としても悔しかった。


 結局、喜美子は本当に存在していたのか…あれはやはり何か自分のストレスで現実と妄想が曖昧になっていたんじゃないかとか…ただ、あれが妄想ならその『ひとくち様』なんているわけ無いし…多分、なんかのテレビや漫画とかで見た内容が頭に入り込んでしまったんだろう…そう思い私は家で今は再就職に向けて仕事を探している。


 …そして、とある小さいながらもやり甲斐の有りそうな仕事に就職出来て、私は少し気力も取り戻してきていた。


 1年何とか頑張り、よい収入も得ることが出来て3年目には可愛い後輩ができていた。


 その時には全く過去の事など忘れていて後輩を可愛がっていた。


 良く仕事をしてくれるし、周りとの社交性も協調性も高いし周りからとても愛されていた。


 けど特に私にはよく懐いていた。


 私は嬉しく、とある日に後輩とご飯を食べることにした。


 後輩の弁当は少量で少しのご飯と少しのおかずだけであった。


 よく見ると後輩は少し痩せ細っている。


 そして後輩は私の弁当を見てこう言った。


 「先輩!一口ください!」


 私は後輩の顔を見た。


 揺れていた。















































  










































































































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