第14話 生きている時間
生きている時間を意識するのは案外難しい。人間の体は筋肉なら一か月余り、骨でも3年ほどで全てが入れ替わっている。いいかえれば我々はそういった寿命を更新しながら存在を保っているのだといえる。村上春樹が、『細胞分裂するアメーバの時間感覚』というようなことを書いていた記憶がある。そういえば、脳細胞は入れ替わらないと聞いた。ただ、可塑性はあるのだという。新陳代謝という現象とくくってしまっていいものかどうかわたしにはわからない。皮膚の細胞が入れ替わるとき、ある傷は修復され、ある傷は継続する。獲得形質は遺伝しない、という学説も覆されたようだ。記憶は傷なのだ。脳細胞が新陳代謝を行わない理由は、脳は日々、一度限りの傷を刻み込み、変化を記録していく器官だからだと思う。と思うことにより、この瞬間にもわたしの脳は新に傷ついていく。もう少し穏便に表現するならば、皺に似ている。皮膚は入れ替わっても、ベースとなる部分についたたたみ皺のようなものは残る、ベースとなるのは筋肉だろうか。筋肉が入れ替わる時、このたたみ皺がリセットされれば、おそらく皺はなくなるのだろう。だが筋肉が同じような運動を何回となく繰り返すことによって、結局似たような部分でたたみ皺が生じることになるのだろう。一か月ごとに表情がころころ変わる人間など信用できない。表情とは感情の表出機なのだ。特定の感情には特定の表情が割り当てられる。純度100パーセントの感情というものを抽出できないため、純粋な笑顔や純粋な泣き顔などは特定すべくもないが、それらの混ざり具合に応じてミックスされる表情がもつれあう感情をどの程度的確に反映しているかと考えると、それは相当な再現度なのではなかろうかと思う。昨今のカメラの精度向上によって、かつては様々にセンサーを組み合わせなければならないと考えられていた測定が、カメラ画像のみで済むようになってきている。心拍、脈拍、体温はもとより、特定の病気の診断や、感情、本心、となれば、ポリグラフだってすでに画像診断が可能なのではないかと思う。AIに学習させることで、それらの判断が可能になるのだ。人間が経験と成長によって培った反復的な習得と修正の成果は、多種多様な犬種を「犬」と判断し、それがいかに「猫」に似ていようとも「犬」だと直感できるまで訓練されるように、AIはさらなる学習頻度と判断の正確さによって、人間では判別できない事象をも明確に分類できるようになるだろうし、分類不能なグループを的確に名付けることすらできるようになるだろう。
AI生成作品を頭から「盗作」と判断するのは誤りだ。なぜなら人間による創作もまた、AIと同様の学習と経験と修練の過程を踏むからである。あくまでも作品毎にそれは判断されるべきなのである。一方、AIには「盗用」の意思があったかも検討されなければならないだろう。AIによってこれまでの作家の職業が奪われるという主張は、それがとくに作家であるから、表現者であるから、という意味で優遇されるものではないと思う。芸術を享受する側としては、おもしろいものや感動できるものが提供されるのであれば、それが誰のものであるかはさほど気にしないし、たとえ盗作であっても、受けてしまった感動を事後的に消し去ることはできない。むしろ、そのようにして得られた感動という傷を、罪としてとらえねばならないことこそが、新たな傷として脳を損傷することになる。
われわれは生きることを日々発明する必要はない。生きることは発掘することに他ならないとさえ思う。全ては過去に埋没しており、それを日々新たに掘り出すことこそが生きることなのではないかと。
生きている時間を意識するのは案外難しい。数時間前、わたしに組み込まれたあらたなmRNAにより、すでにわたしは書き換えられている。だがそのことに対する恐れはない。生きている時間、という以前に、生きている自分を自分と同定することも、とても難しいものなのだから。
今日はギターを弾かない日(仮) 新出既出 @shinnsyutukisyutu
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