第11話 「索引」の威力
事前情報がない場合、本を手に取る動機は表題と帯だ。「奇書」「マジックリアリズム」「幻想」「奇想」とにかく「奇妙」なものなら手あたり次第に確認する。適当に本を開いて数行読む。それで惹かれなければ終わりだ。小説はさまざまな形式があり、一冊の中にも種々の形式が混在する。だからその一部だけをもっておもしろいかおもしろくないかを判断するのは乱暴なのかもしれない。かつては、辛抱しつつ読み進めた結果大きな満足を得られるタイプの小説もあるのではないかと考えていたし、とにかく「読んだ」という事実なくして、良し悪しの判断はできないと考えていた。これはある種の「研究」的な読書だったともいえる。今はすっかり視力も集中力も衰えたし、残された時間も少なくなっている。今更、何かの比較研究のためにつまらない資料を読み込むごとき読書に命を費やすこともないと考えている。そのこともあって、書店へ行くことも減っていたのだが、改めて書店を回っているとそれだけで何かを読んでいるような気分になれる。
高山宏さんが、大学の図書館の蔵書の検索システムをカードで作り上げた話を読んでから、「索引」の威力を認識するようになった。百科事典なり、全集なりの巻末についている「総索引」の巻ばかりを集めることに熱中したのはその表れだ。バラバラなものを体系的に整理し、迅速にアクセスできるようにすれば、そのバラバラだったものの集合は一冊の書籍をみなすことができる。インターネットはグーグルという索引をもって一冊の書籍をみなすことができるし、人間は名前をタイトルとする本と見做すことができる。この場合に重要なのは、「検索システム」の精度である。索引は作品のメタレベルに位置する。作品の内部に含まれる脚注とはそこが違っている。わたしは脚注だけを集めた本も好んでいるが、それはある限定的な分野における辞書に変わることはない。その点、索引は関係性のみで成立する小説の可能性を体現している。登場人物の系図のみで成立する話といえば、横溝正史の金田一耕助シリーズが思い起こされる。あれは全く、系図を物語に開いているだけで成立している。つまりは歴史の範疇に属するもので、その射程は現在から近未来を含む。人間は未来を創ることができるが、過去を変えることはできない。そして、記録者は自然な成り行きに介入してはならない。この二点から、金田一耕助は犯罪が完遂するのを見届ける歴史学者の位置にいると、わたしは思っている。金田一耕助は、事件の脚注であり索引でもある。
書店は書店として巨大な書籍を成すが、そこから何を抽出するかは人それぞれである。巨大な検索体系内部に自らを組み込むことによって、自己は拡大する。『攻殻機動隊』で草薙素子が「ネットは広大だわ」と呟くとき、そこに組み込まれた自我の拡大を予感している。だが、それはあくまでも疑似的な拡大であることを失念してはならない。検索システムを利用する我々は、バイアスがかかった歴史的な体系に組み込まれている。だから、思考する上で自分がいまどの歴史にコミットしているのかに自覚的でありたいとわたしは思う。
そんなことを考えながら海外小説の棚と。歴史の棚と、専門書の棚を通り過ぎる。現在のわたしには不要な歴史が眠る棚ばかりだからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます