第6話 駅ビルの客は若かった
駅ビルの客はみな若い。それは相対的な若さではなく、わたしが若かった当時から、駅ビルの客は若かったという意味だ。そして当時からわたしがこの駅ビルで購入する品物の種類はまったく変わらなかった。ファストフード。文具。本。そして、ちょっとしたプレゼントだ。しかし、ちょっとしたプレゼントを客層の若い駅ビルで見繕うという行為が、一周回って許される年齢になったのか、という感懐にふけりながら、窓に張り付いた上りエスカレーターに身を任せた。エレベーターよりエスカレーターが好きだ。移動の感覚が確かで、進行方向が明確で、同時に運ばれている人々がみな、ある程度の能動性をもって統一されている気がするからだ。たとえば、エレベーターでこういった連帯を感じることはない。満員電車とエレベーターは似ており、エスカレーターに似ているのは路線バスだろう。問題は、内向性なのだ。たとえば、エスカレーターは常に突然到着する。スキーリフトと同じく、その際には緊張感を伴った行動が要求されるため、完全に内向するわけにはいかないのである。スキーリフトはもちろん、路線バスならば降車ボタンを押すか、押されたことを確認しなければらない。だから、メリーゴーランドは前者であり、観覧車は後者に類する。エスカレーターに同乗した人々の連帯とは、ひじょうにオープンであり、拘束感が希薄で、同盟関係の意識がまったく無いに等しいままに発生し、緊張感を伴ってエスカレーターを降りた瞬間に消滅する。たとえば、あなたが最も最近乗ったエスカレーターの前後に乗っていた人を、描写することはできるだろうか? エスカレーターの前後にのった人間が突如としてあなたにおそかかるリスクを想定しながら、あなたはエスカレーターを利用しているだろうか? ちょっとしたプレゼントを購入するのにふさわしい店は五階にある。渋谷LOFTという名前の店だ。ここにはラッピングさえすればそれなりに恰好がつく品物がたくさんある。また、そのような品物はもちろん自らが使用するものとしても、悪くはない。とりたてて今、必要な品物はないし、プレゼントの時期でもない。暇つぶしに見て回れば物欲に訴える物があるかもしれなかったが、そういう品物をいちいち買ってかえるほどの若さは、とうに過ぎ去ってしまった。最後に衝動買いをしたのはいつのことだったろう。 六階はイベントスペースになっていて、大量の若い女性が回遊している。この人たちはみんな、ワクチンを接種したのだろうか。もはや針を刺した部位は定かではなかった。案外、副作用は軽くするのかもしれないと思った。8階がレストラン街。その上が谷島屋という大きな書店で、エクシオールカフェという喫茶店と一体化している。開店当初は購入前の書籍をコーヒーなどを飲みながらゆっくりと読むことができたのだが、今はもうできなくなっている。購入前の本を飲食するテーブルにのせて読むなんて、緊張してしまってわたしには無理だ。本は鞄に何冊かもってきているし、手帳も常備している。だから、新たな本を補充する必要はなかった。しかし、せっかく本屋に来ているのだから、一回りしてこようと思った。大きな窓の彼方に入道雲のような雲の先端が鎌首をもたげている。
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