第4話 頭痛の理由

 雨の降る前の頭痛の理由を知っている。

 駅へ戻る屋外通路は、ところどころにどこかに繋がっているくらい自動扉のモーター音を陰鬱に響かせていたが、そのいずれの自動扉の内側にも生きた人間の姿をみとめることはできなかった。まったく、横たわる死者のようなビルだと思った。わたしはワクチンの接種にきたはずだったのに、思いがけず通夜に招かれていたのかもしれないと錯覚させられるかのような光景と臭いにすれ違った。

 屋外喫煙所だ。

 この死体の内部に働き口をもつ生き物たちが、煙草を吸うときにだけ密集する空間が、とくに風の吹き抜ける場所に設けられていた。とはいえ、その設えは腰の高さほどの直方体の灰皿が五基か六基、てんでんに配置されているというだけのことだった。みえるものといえば、道路の反対側のアパホテルの窓と、その奥にまとめられている合同庁舎などの区画のみである。アパホテルと合同庁舎との間は東西に100m、南北に300メートルほどの空地で、ペイブメントや立体交差歩道。公園と石像と街路樹が点在していたが、けっきょくはスケートボードで遊ぶことを禁ずる立札が無意味に乱立するだけの緩衝地帯といった趣なのである。そこへ、十二名の喫煙者が吐き出す煙が広がっていくのだ。合同庁舎内には地方裁判所がある。裁判員制度開始以来、まだ裁判員に選出されたことはないし、召喚状が届いたこともないので、裁判所がどうなっているのかは、ときおり夕方のニュースにとりあげられる法廷画家のスケッチで知った断片的な形式しかしらない。そこに描かれる人物はたいていみな沈痛な面持ちで俯いている。わたしは、そのように感情表現するのを嫌悪している。感情を生のまま描く、ということが下品で恥ずかしいと感じるからだ。絵画ならば、シュールレアリズムかキュビズムといった方法こそが望ましいと思う。病気を分子レベルに分解して、その構造に働きかけて内部から破壊するのが、ワクチンだ。法廷画家のスケッチにはそうしたクレバーさが微塵も感じられない。目の前の喫煙者の群れがまさにそれだ。カレーの市民。といかいう彫刻を教科書か何かでみたときも同じように思った。選ばれた十二名の裁判員の苦悩もおそらくは、全く同じだろう。だからわたしは選出されても絶対に応じないし、応じざるを得ないとなれば、死刑しか求めない。わたしの貴重な時間を奪うのは、わたしをその時間だけ殺すことに等しいからだ。

 わたしはかつては喫煙者であり、潜在的な刑事被告であり、死ぬまでの執行猶予を生きる者である。その意味で、地方公務員試験に合格しなかったのは救いだったのだ。少なくとも、土砂降りの自転車置き場で昼休みに懸垂の数を競うような生き方をわたしは望まないのだから。

 私の望みは昔からずっと書くことだ。

 幼稚園に図書室があって、本を読むことに逃げてからずっと、実体としての自分は本の中にあると思って生きてきた。本とは小説であり、文であり、体験であり、生きる世界であった。自分の生きる世界を自分で作ること。おそらくそれが書きたい動機であり、おそらくは頭痛の理由のひとつなのだろう。

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