傘を忘れた日


 放課後、校門を出た瞬間、ぽつりと冷たいものが頬に落ちた。見上げると、どんよりとした空から小さな雨粒が降り始めていた。


 「あ、やば……」


 私は鞄の中を探る。折り畳み傘は――入っていない。朝は晴れていたから、持ってくるのを忘れていた。どうしようかと校門の前で立ち尽くしていると、横からひょいと傘が差し出された。


 「傘、ないの?」


 低めの声に振り向くと、そこには神崎悠馬(かんざき ゆうま)が立っていた。クラスメイトで、バスケ部のエース。私とはほとんど話したことがないけど、クラスの女子の間では人気の人だった。


 「あ、うん……忘れちゃって」


 「じゃあ、一緒に入る?」


 私の返事を待たずに、彼はすっと傘を傾ける。遠慮する間もなく、私は傘の中に引き込まれた。


 「駅まで?」


 「うん、そうだけど……」


 「じゃあ、途中まで一緒に行くよ」


 彼の声は自然で、特に気負いも感じられない。こんなふうに普通に話しかけられることが意外で、私は少しだけ緊張しながら歩き出した。


 隣を歩くと、悠馬の傘は意外と小さいことに気づく。私がぎりぎり端に寄ると、彼が無言で傘をこちらに傾けた。


 「……濡れるよ?」


 「いいよ、俺、部活で慣れてるし」


 「そういう問題?」


 彼はクスッと笑った。こんなに近くで見たのは初めてかもしれない。整った顔立ちをしているけど、それよりも、無邪気に笑う顔が意外だった。


 「……なんかさ」


 「ん?」


 「こんなふうに話すの、初めてだよな」


 「うん、たぶん」


 「でも、お前のことは知ってたよ」


 「え?」


 「授業中、よく真剣な顔してノート書いてるよな」


 思わず立ち止まりそうになった。そんなところ、誰も気にしていないと思っていたのに。


 「もしかして、俺のこと知らなかった?」


 「いや、それは知ってるけど……」


 「じゃあ、お互い様か」


 彼は笑いながら傘を少し傾ける。気づけば、雨は少し強くなっていた。


 「ほら、もっとこっち寄れって」


 「でも……」


 「俺、結構こう見えて優しいんだよ」


 冗談めかした口調に、思わず笑ってしまった。そのまま駅まで歩き続けたけど、会話は自然と途切れることなく続いた。


 改札前で立ち止まる。


 「じゃあ、ここまでか」


 「うん……ありがとう」


 「うん。また明日な」


 彼が軽く手を挙げて歩き出す。その背中を見送りながら、私は自分の頬が少し熱いことに気づいた。


 傘を忘れたせいで、雨に濡れるはずだった。だけど、それ以上に心に降った何かのせいで、私はまだ、どこか温かかった。


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