第9話 トンネル
我が家の近くにはトンネルが3つある。1番手前のトンネルを抜けると住宅街を抜ける。二つ目のトンネルを抜けると少し栄えた飲食店などが見える通りに出る。三つ目を超えたら中心街のすぐそばだ。地方の田舎から栄えている方へ景色はトンネルを抜けるたびに移り変わる。小さい頃は大いにわくわくしたものだ。
大人になった今は、トンネルとは排気ガスが充満しているし暗くてどことなくホラー感漂う陰気なもの、というイメージを持ってしまうが昔は真反対の印象を抱いていたのだから不思議だ。小さな頃は、あのトンネルの天井のシミや仄暗いオレンジ色のライトが気にならなかった。排気ガスをもくもく出しながら走るトラックだって格好よく見えたものだ。
歳をとるということは、見えなかったものが見えてくるということなんだなあとしみじみ思う。見えなかったものが見えてくると、これまでの固定概念なんてあっという間に覆されてしまう。今見えているものも来年見るとまた違う映り方をするのだろう。それはとても不思議で楽しいことだと思うけれど、寂しいなあと感じる部分もある。綺麗だと思っていたものがそうは思えなくなったり、憧れていたものが実は大したことがないと気がついたり。歳を重ねるということは何かを失うことなのだろうか。
あの1番手前のトンネルは、中学の通学路だった。春になるとトンネルの直前にある桜の木から花びらがひらひらと舞うのがとても美しかった。花びらが髪に絡まると、なんだか少女漫画の主人公のようで心躍った。わざと木の下で止まって花びらが落ちてくるのを待ったものだ。わざと髪に絡ませた花びらを見て、気になるクラスメイトの男の子に声をかけられないかな、なんて思っていた。中高では男子とあまり話さなかったので、親しくもない私にその男の子が話しかけてくることはついぞなかったのだが。今となっては、黒歴史である。
2番目のトンネルの入り口は、高校時代全然タイプじゃない男の子に呼び出された場所。私のことが好きなんだろうなあとわかってはいたが、確信的な言葉を言われた訳でもないので流していると誕生日プレゼントを渡したいから会いたいと言われたのだ。あの頃は仲良くもないのに、私の好きなものを知っていてそれを渡してくることに対し、思春期特有の潔癖さで気持ち悪いとしか思っていなかった。しかし、いくばくかの恋愛経験を重ね大人になった今は、あれだけ私のことを思ってプレゼントを選んでくれる人がどれだけ貴重だったか気がつく。
3番目のトンネルは、小学生の頃初めて母と中心街に自転車で出かけた時を思い出させる。詳しくは覚えていないのだが、街中にお菓子の材料を売っている店があって、そこに用事があるからといつもは車で行くのに何故かその日だけ自転車に乗って行ったのだ。何を買ったかも、季節すらももう覚えていないのに、いつも忙しくあまり遊んでくれた記憶のない母が自分との時間を作ってくれたことがとても嬉しかったから記憶の片隅に残っている。あれからすぐに歳の離れた妹が生まれ、手がかかるものだから車利用が常となり、結局母との自転車での冒険はそれが最初で最後だった。
幻想的に思えた桜の花びらも、あの時と同じようには美しく見えない。あの時私を思ってくれた人は上京して地下アイドルに貢ぎ体の関係があると言う。母は還暦目前となり、あの頃の溌剌さを失っている。昔は良かった、と言う人が多いのは何故だろうと思っていたが、私も今はそう思う。昔は良かったなあ。
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