第5話

 昨日、昼食を食べた保健室に、別の欲求を満たそうとする声がかすかに響く。


 今日は木曜日。


 あんずと肌を重ねなきゃいけない日。


 これでもう何回目なんだろ。たぶんもう足の指も使わなきゃ数えられないくらいかな。


 これまでで一番穏やかで優しかった。


 なんというか、いつものあんずは快楽をむさぼるだけ貪り、わたしに似たものに対して、わたしを通じて愛をわめらかしてるって感じなんだ。


 でも、今日は違った。なんていうか、丸くなったってやつなのかな。


 その病的なまでに白いからだはいつもよりかは血の気があって、顔にも生気が満ちている。


 キスだってついばむようで。


 なんでこんなに優しいんだろうね。……考えるまでもないか。一華さんと話をしたからに決まってる。


 いつもよりもゆったりしたペースで事は終わった。


 あんずが、わたしの隣にコロンと横になる。


 上を向いた顔には幸せしかなく、その口からは長い吐息が漏れていた。お風呂上りみたいに満足そう。


 今なら、話しかけてもおどされたりしないんじゃないか?


一華いちかさんとは、どんな関係なの」


 言ってみて、気がついた。あまりにも唐突すぎないか。脈絡とかあったもんじゃない。だからって、わたしたちの仲で「やあやあ今日はお日柄もよく……」なんてやりとりもなんだか想像できない。


 のぼるべき階段を何個も飛ばしてるんだから、このくらい直球でもいいのかも。


 そんなことを思いながら戦々恐々せんせんきょうきょうとしていたら、あんずの手がわたしの胸に伸びてきて、ふにふにんでくる。


「なんで言わなきゃなんないの」


 ハサミではなく言葉が返ってきたことに、わたしは感動を覚えていた。


 ありがとう一華さん。今はじめて、わたしは姉という存在に感謝しています。


 でも、このままだと会話はそれだけで終わってしまいそうで。


「好き……とか?」


 言った途端、ギュッと胸をしぼられて思わず声が出ちゃう。わたしはホルスタインじゃないんだぞ。


「ご、ごめん」


「や……」


 でも、その反応を見るにそういうことね。


 隣に寝そべるあんずは生娘きむすめみたいに顔を真っ赤にさせ、口元に手をあててソワソワしてる。


 あんずは一華さんのことが好きなんだ。


 ……わかりきってたはずのに、なんだろう、この胸に空いた穴のようなものは。どんなもんなのかなって腕を突っこんだらそのまま吸いこまれちゃいそうなほど深くて広い穴。


 どうしてそんなものがあるのかもわからない。


 いつできたのかさえわからなかった。


 第一、一華さんもあんずのことだってどうでもいいのに――。


「い、痛かったなら、謝るわ」


 気がつけば、あんずの顔がいっぱいに広がってる。体を起こして心配そうにわたしのことを覗きこんでいて、やっぱりいつもと違う。


 そう思うと、胸の奥が何かを求めている気がする。


 瞳の中のブラックホールが、わたしの胸の中に引っ越してきたみたい。


 でもそんなこと認められるわけないし、表にも出せるわけがなかった。


「ぼーっとしてただけだから……」


 わたしがそう言っても、あんずは不安そうな顔をやめない。そんなにわたしが怖いのか。それとも、わたしと顔が似てるやつに嫌われると思ってるとか?


 やめやめ。


 それ以上考えたって特に意味はない。


 ツンっとあんずのわき腹をつつけば、悲鳴とともにあんずの表情が崩れる。次の瞬間には、怒りモードになってるんだけど。


「刺すよ」


「ごめんて」


 冗談に聞こえない声音だったので、ホールドアップ。でも、あんずはハサミを取り出そうともしない。


 やっぱり、昨日、みんなでご飯を食べたからか。


 ふーむ。


「あんなののどこが好きなの」


「あ、え、ハサミのこと? それならね、これはシンプルで持ちやすくて」


 確かにあんずの持つハサミってみんなが持ってるのと違う。滑り止めとかなくて、刃は細長くて鋭い。握って振り下ろせば、わたしのレバーにいい感じの穴が開く――じゃなくて。


「いや一華さんのことだけど」


 言った瞬間、プイっとあんずの顔がそっぽを向く。


 その横顔はぷっくりとしてるけど、人間味を感じさせない。でもそれが、ビスクドールとかみたいでかわいかったりもする。


 ……どうやら本格的に頭がおかしくなってきてるらしい。


 脅迫してきてるはずのこの下級生のことを、好意的に見ているってさ。病気にでもなっちゃったに違いないよね。


 わけわかんない。なんでだろう。


 所在不明、原因不明の感情を追い回してたら、がばっとあんずがのしかかってきた。


「今日はもうちょっとだけ……」


 珍しく二回戦がはじまろうとしている。それもやっぱり、一華さんのことを思いだしたからなのかな。


 そうかもなあ……一華さんはわたしよりもずっと綺麗だし、頭だっていいし。


 わたしなんかとは全然違うんだから。






「今日は鍋ですよー」


 そんな宣言とともに、机に土鍋がドンっと置かれる。フタを開くと、むわんと湯気とともにダシの香りが鼻腔びこうをくすぐる。


 たぶん、水炊きってやつなんだけどさ。


「野菜多すぎ……」


 ぐつぐつに煮立った鍋の中には、長ネギ、大根、絹豆腐、シイタケ、春菊、人参……肉と呼ばれるものがパッと見存在しない。


「ええっこれでも少ない方だけどなあ」


 一華いちかさんは、小鉢に具材をよそっていく。やっぱり野菜だらけじゃん。


「……嫌がらせじゃないよね?」


「まさかそんなことしませんよ。エリちゃんの栄養バランスを考えたら、たまたまこうなっただけで」


 ちなみにわたしは野菜があまり得意ではない。あのセリ科の植物も、草みたいなやつも苦手、しいたけは最も嫌いだ。きんの塊をからだに取り入れるなんてどうかしてると思う。


「いいから食べる、ね?」


「…………いただきます」


 これしかごはんがないのだから、食べるしかない。うわっ人参だよ……。


 こんな調子で食べてるから、自然とペースは落ちてくる。いつもなら、食べ終わってる時間なのに、全然ごはんが減ってかない。


 逆に一華さんのペースはかなり早くて、もうごはんをおかわりしてる。この人、嫌いなものがほとんどないからなあ。


「わたしが嫌いなものは、エリちゃんに危ないことをしてくる人ですから」


 ニコッと笑う一華さん。はいはい、いつものやついつものやつ。


「一華さんはいつも楽しそうでいいね」


「エリちゃんと一緒にいられるからねー」


 わたしが草食動物みたいに野菜を食ってるところの、どこが面白いんだろう。


 一華さんの考えてることはこれっぽっちもわかんない。


 野菜の層を掘り起こして、やっとつくねを見つけた。絶滅危惧ぜつめつきぐ種となってる、一華さんに食べつくされてしまったからに決まってる。


「今度、あんずちゃんを呼びましょうか」


 思わずはしを止めてしまった。顔を上げて一華さんを見れば、ハフハフと豆腐を食してる。


「呼ぶってうちに?」


「ここ以外にどこにあるの」


「いやだって……呼ぶのはいいけどさ、何するの」


「そりゃあ、女の子にありがちな話をしたりさ、映画を見たり、ご飯を食べて、お風呂に入ったり」


「それ前も言ってたけど、ほかの人にはしない方がいいと思う」


 特に、あんずにはよろしくない。この前のことを思いだすに、話はろくにできず、映画を見るんじゃなくて一華さんをじっと見てそう。ご飯は喉を通らずに、お風呂なんかはあんずの鼻血で真っ赤に染まっちゃうところが目に浮かぶ。


 最悪、爆発しちゃいそうだ。


「断られちゃうかなあ」


「……わたしに聞かないで」


「だって友達でしょ?」


 だから友達じゃない――言おうとしてやめる。口の中いっぱいに野菜を詰め込んで誤魔化す。


 不思議そうな顔してる一華さんに、質問されたくなくて。


 なのに、一華さんは言葉を続ける。


「友達じゃなくてもいいからさ。とりあえず、ダメかどうか聞いてみてくれない?」


 手を合わせて、わたしにお願いしてくる。


 お願い。


 わたしはその言葉が大嫌いだ。


 拒否権がないものがお願いっていうのは、おかしいじゃないか。

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