第4話

「今度いっしょにご飯食べない?」


 木曜、いつもの時間、いつもの保健室でやることをやった後のあんずに、わたしは聞いてみた。


 窓から降りそそぐあたたかな日光に裸体を泳がせるあんずはいつもとは違って、凶器の切っ先じゃなくて胡乱うろんな目をわたしへと向けてくる。


「は? なんでアンタなんかと」


 はい出ました、想像してた回答の一つ。そりゃそうだよね。食い気よりもヤる気って感じだもん……いやこれはあんずに失礼か。


「いや、わたしとじゃなくて。一華いちかさんと」


 わたしが一華さんの名前を出した瞬間、あんずの体ががばっと跳ねおきた。


「な、なに言ってるのよ急に」


 その手が枕の下に突っこむ。次の瞬間、その手にはハサミが握られている。アサシンかなんかか。


「どうどう落ち着いて」


「落ち着いてるわよっ」


 その割りには声は震えてるし興味なさげに触覚みたいな前髪をくるっくるさせてるけど。目だってこっちをチラチラ見てくる。意図は何なの、と訴えてるみたいに。


 いや、よかった。一華さんの提案そのままに家に誘わなくて。たぶん、脳のキャパシティをオーバーして、その場にぶっ倒れてたんじゃないだろうか。


 不満げな顔していた今朝の一華さんに、わたしはどうだい、と言ってみる。脳内で言ってみただけだから返事はないけれど、ちょっぴりいい気分。


「友達になりたいってさ」


「だれがだれと」


「一華さんが、あんずと」


 声にならない声が、あんずの口から漏れでてくる。楽譜がなくてでたらめに弾いてるリコーダーみたいにふにゃふにゃだ。


「ホントに? 嘘ついてどこかにおびき寄せようってわけじゃないよね」


 ハサミがこっちを向くけれど、残念そっちは持ち手だ。


「ってか、おびき寄せてなにするのさ」


「……別に。そうじゃないんならいいの」


 ハサミが下ろしたあんずはふうと大きなため息をする。なにかイヤなことでも思いだしたみたいに首をゆるゆる振っている。


「ウソだったら、アンタとやったことのすべてを屋上から叫んでやるから」


「それ、そっちも苦しむからやめた方が……」


 でも、あんずならやりかねない。目の前のやつに復讐ふくしゅうするためだったら、自分なんてどうでもいい――そんな破れかぶれな感じがする。


 ネコに追い詰められたネズミが、ライバルに対しておそいかかるみたいなそんな感じがさ。


 そっか。だから、わたしはこんな関係を許容きょようしてるのかもしれない。


 わたしという支えを失ったとき、このちっちゃな後輩がどうなってしまうのかわかったもんじゃないから。


「――というか、なにかあったの?」


 そう質問したのは思い付きからだった。直感っていうのかな。で、わたしが本能に従ってよかったことはこれまでの人生において一度だってない。


 あんずは何も答えちゃくれなかった。わたしのことをじっと見つめてきただけ。思わず震えあがっちゃうくらい冷たくてよどんだ目だった。


 誰しも話したくないことってあるよね。わたしにだってある。一華さんのこととか、家族のこととか。


 だから、それ以上は聞かず、逃げるように背をむけることにした。


 肌を刺すような静寂せいじゃくが保健室を包みこむ。


 音楽室から調子外れの合唱曲が、他人事のように聞こえてくる。


 どれくらい黙ってたんだろう。もしかしたら、わたしはまどろんでいたかもしれない。


「……わかったわよ」


 妖精みたいな小さな声が聞こえる。その返事に、針で刺されたみたいに心臓が痛んだ。いや、たぶん気のせい。疲れがたまってるのかも。


 なすがままになるのも意外と大変なんだ。


 振りかえれば、あんずと目が合う。でもその視線はすぐに明後日の方向へ飛んで行っちゃった。


「でも学食はイヤ」


「じゃあどこならいい。屋上とか中庭とか?」


 どっちも昼時になるとかなり混雑する。屋上とか、いられないくらいに生徒で多くなるから嫌いだ。なにより変な目で見られるしね。


 あんずが首を振る。ほかに食べるとこなんてあったかなあ。


「……ここなら」


「ここってつまり保健室?」


 あんずが小さくうないた。






 そんなことがあって、翌週の水曜の昼休み。


 保健室には消毒液の香りのほかに、なんともいたたまれないびみょーな空気が蔓延まんえんしていた。


 その原因はほかでもないわたしたちであり、あんずと一華さんにあった。


 ここには現在わたしたち以外に誰もいない。いたら、そいつの病状は悪化しちゃいそうだ。雰囲気が最悪になるのを事前に察知でもしたのか、保健の先生の姿さえなかった。というか、あんずと出会ってから一度も見たことないのは気のせいか?


 一華いちかさんとわたしによって運び込まれた2つの机を取り囲むように、わたしたちは席についている。


 一華さんはいつものように聖母のような笑みをたたえ、あんずはいつもよりもソワソワしている。いつもは死んでる目も、台風が来たときの空みたいにぐちゃぐちゃになっていた。気絶しないか心配だ。


 わたしはといえば、そんな二人を見て、ため息をついている。


「どしたのエリちゃん。話でも聞こうか?」


「いや別に懺悔ざんげしたいこととかないですから。それより――」


「あ、ごめんね。おねえちゃん、気が利かなくて。おなかすいてるんだよね」


 そうじゃないんだけど、わざわざ言ったってしょうがない。でも、早くご飯を食べたいという気持ちはあるよ。一刻も早く、こんな地獄みたいな空気から逃れたいんだもん。


 よいしょっとと言いながら、一華さんが学生カバンから巾着きんちゃく袋を2つ取り出す。1つがわたしの前に、もうひとつを自分の前に置いた。


「じゃじゃーん、今日のお弁当ですよー」


「バカにしてる?」


「してません。かわいい妹にそんなことできますかっ」


 どーだかと返して、あんずの方を見る。めっちゃ緊張してるじゃん。石像みたいにカチコチ。でも、目は酔っ払いみたいにフラフラしてる。


「具合悪い?」


「……そうじゃない」


 あんずの右手が動く。そこに仕込まれたハサミを取り出そうとして――寸前で止まった。流石に好きな人の前で刃物を取りだす勇気はないらしい。


 それに、その声はいつになくか細い。深窓しんそう令嬢れいじょうって感じだ。猫をかぶってるというより、めちゃくちゃ緊張してるな。


 ガチガチのあんずに一華さんが声をかける。


「えーと、あんずちゃん」


「は、はぃ」


 鳥肌が立っちゃうくらいしおらしい声。わたし、アイスピック並みに鋭い言葉しか聞いたことないんだけど。


「ご飯はどうしたのかな。忘れちゃったのかな」


「あ、あ、あ」


 壊れたキーボードみたいに、同じ文字を発音しつづけるあんず。ギギギギギという軋む音が聞こえるほどぎこちなく立ち上がり、ベッドへ行って戻ってくる。


 その手にはレジ袋があった。


「ああ、もう買ってきてたんだね。よかったあ、準備してないかと思っちゃったよ」


 んなわけないだろう。今日のこの時間を誰よりも楽しみにしてたのは、ここにいるあんずに違いないんだから。


「昨日から準備してましたっ!」


 今度は大声。緊張は、あんずの声のボリュームを滅茶苦茶にしちゃったらしいや。


 挙動不審そのものと化したあんずを見た一華さんは、ふふふと笑う。この人はこの人でなに笑ってんだ。


「面白い子」


 どっちもどっちだと思いますけどね、妹のわたしから言わせてもらえれば。


 でも、口に出しては言いません。2人から視線を向けられたくないしね。


「……一華さん」


「はいはい食べましょうか」


 わたしは巾着袋から弁当箱を取りだす。一華さんも似たようなものを取りだしている。言ってしまえばペアルック。いつもは一人で食べてるから意識しないんだけど、人前だとなんか恥ずいな。


 それもこれも、あんずがじっと凝視してきてるから。そんなに見ても、あげないぞ。


 一華さんは気にせずフタを開ける。うん、いつもの日の丸弁当だ。昨日の残りのから揚げに、卵焼き、常備菜のポテトサラダ。


 よし、わたしのも開けてみよう。パッカーン。


 ?


 見た瞬間、疑問符が頭の中を飛びまわる。え゛という声が隣の席から聞こえたけれど、わたしも同じ気分だから安心してね。


「あのさ、一華さん」


「だからおねえちゃん――って言ってる場合じゃなさそうだね」


 わたしが頷けば、一華さんが頭をかく。


「あちゃー。エリちゃんってば、桜でんぶって嫌い?」


「嫌いじゃありません。ちらし寿司なんかだと甘くて、むしろ好きなくらいです」


「よかったあ」


「よくない。なんですか、このハートは」


 白米の上に現れたピンク色のハート。それをわたしは指さし、見せつける。


 なにこれ。いや本当にさ、なんでこんなったことをしたのか。それもよりにもよってあんずと昼食をとるって時に、こんなことをした意図を教えてほしいんだけど。


 聞いてるのに、一華さんはくねくね揺れてる。チンアナゴか。


 隣からは、惑星よりも重そうなプレッシャーを感じる。邪念じゃねんというか、怨念おんねんというか、いろんな感情でぐつぐつのあっついやつ。


「いる?」


「…………いらない」


 長い間があったなあ。


 本当は欲しいんだろうなあなんて思ってたら、今度は一華さんの方から泣き声がしてきた。


「ひ、ひどい。エリちゃんは私の手作りお弁当を他人に渡しちゃうような薄情な子だったんだね……っ!」


 例によってウソ泣きなんだけど、隣からの視線はますます鋭くなった。むしろいつも通りに近づいてる気がして、ちょっとだけ嬉しいよ。


 わたしは視線をさまよわせて時計を見る。昼休みがはじまって15分が過ぎようとしている。こんなしょーもない会話で。


「もういいです。食べないと昼休み終わっちゃう」


「おっと。じゃ手を合わせてください」


 いただきます。


 やっとのことで、わたしたちは昼食を食べはじめる。






 真っ先にハートを切り裂いて、ごはんからかっ込む。こんな羞恥しゅうちしん心の権化ごんげみたいなもんは早々になくした方が精神衛生上、絶対いいしね。


「わお、やっぱりお腹空いてたんだねー」


 一華いちかさんが手を叩いて喜んでる。勝手に言っててくれ。わたしはもう突っ込む気力も余裕もないからさ。


 隣をちらりと見れば、あんずはメロンパンをかじっていた。一口一口が小さいから、なかなか減っていない。あ、目が合った。いや、隠さなくても取ったりしないから。


 あんずの視線は、ときおり、わたしのお弁当箱へと向いた。それから、わたしのことをチラチラ見てくる。


「なに」


「な、なんでもないんだけど?」


「いや聞いてるのはこっちなんだけど……」


 だまれ、と口だけが小さく動く。声を発しないのは、想い人が目の前にいるからに他ならない。


 うーん、やっぱりこの子怖いな。


 正面を向きなおれば、何が楽しいのか笑ってる一華さんの顔が目に入って、また別の意味で怖くなってきた。


「何が面白いのやら」


「面白いに決まってるじゃない。こうやってだれかとご飯を食べるだなんて機会そんなにないし」


「友達たくさんいるのに?」


「そりゃあたくさんいるけれど、みんな遠慮しちゃってさ」


 本当の一華さんを知らなければ、遠慮もするよね。あんずのことを見ててもそう思うもん。


 仕事はできるし頭がいいし、しかも顔がいい。見つめられるだけで、メデューサに睨まれたみたいに固まる子もいる。それこそ、あんずみたいに挙動不審になっちゃうやつだって。


 うちの高校での、彼氏にしたいランキング一位は伊達だてじゃない。


 でも、わたしからしたら、今この瞬間の一華さんが普通デフォというか。


 一華さんはみんなが思ってるような人じゃない。


「だから、ありがとね。あんずちゃん」


 後光が差してるかのような笑みを浮かべて一華さんが言う。あんずといったらすごい顔になってた。たぶん、幽霊が成仏する瞬間ってこんな感じなんだと思った。


 コクコクと頷くあんずは、赤べこみたい。顔も赤くなってるしね。


 それから、一華さんの顔がこっちを向く。なんだなんだ、またなんか言ってくるつもりか。


「エリちゃんもありがと」


「……いきなり何」


「いやだって、ホントあんずちゃんのことは心配しててさあ。どっかでお話したいと思ってたんだけど、エリちゃんが友達じゃなかったら、こういうこともできなかったわけだよ。感謝してもしきれないよ」


「だから――」


 友達じゃない。


 思わず発した言葉が、なぜか二重に聞こえた。


 隣を見れば、あんずもまたこっちを向いていた。どうやらシンクロしちゃったらしい。言葉だけじゃなくて行動まで。


「あらあらまあまあ」


 カップルを愛でるような目で、一華さんが見てくる。


 ……何にも言いかえせないのが腹立たしい。


「いつの間に仲良くなっちゃったのかにゃー? お姉ちゃんに教えてみ?」


 ねえ、ねえ、と一華さんが聞いてくるけれど、わたしは答えるつもりはなかった。


 というか、なんて答えればいいのやら。まさか、毎週木曜エッチさせられてるから仲良くなれました、なんて言えないし。


 地蔵みたいに黙ってたら、視線はつっとわたしの隣へ。


 あ、まずい。あんずなら答えかねないかも――。


 視線を受けたあんずはぴょんと飛びあがる。その小さなからだはガクガクと震えていた。冬の北海道にでもいるのかってくらいに。


「ごめんね。答えにくいならいいんだよ」


 ん? いつもならじっくりねっとりまとわりついてくる一華さんが、すぐに引いていくなんて。相手はわたしじゃないからってこと?


 いやなんでわたしだけなんだよ。


「そりゃあエリちゃんを愛してるからさっ」


「はいはい」


 何度聞かされたかその言葉。「一生のお願いっ」の次くらいに聞いてるよ。


 また殺人的な視線のビームが隣から飛んできてるし……。


「もちろん、あんずちゃんのことも好きかなー。かわいいし、あとかわいいしさ」


 可愛けりゃ何でもいいって聞こえかねないぞ、その発言。彼氏持ちのオンナが言うセリフじゃないだろ。


 って思うのにさ、何も知らないあんずはもうメロメロ。


 わたしの口からはマーライオン並みにゲロゲロため息が漏れていっちゃう。


「そうだ。今度は学食に行きましょうよ」


「あ、わたしは遠慮しとく」


 なんでって一華さんが不思議そうにしてるけれど、この人と一緒にいるだけで、視線が注目する。わたしなんか刺身の横にある白いやつと同じものだと思ってくれたらいいのに。


 わたしと一華さんの関係なんて、血のつながりしかない。


 逆に言えば、それだけしかないんだ。だから、見ないでほしい。


 比べないでほしい。


「……わたしはお弁当の方が好きなの」


「そっかそっかエリちゃんはわたしの手料理の方が好きか」


「今度一華さんと行ったら、あんず」


 あんずに話を振ったら、え、という声がめちゃくちゃ聞こえた。三日月みたいになってしまったメロンパンが、あんずのちいさな手からコロンと転がり落ちる。


「一華さんはあんずと仲良くなりたいんでしょ。そのために集まったんだから、今度は2人で行くべきなんじゃないの」


 嫌がらせとばかりに言ってみたんだけど、途中でムカついてきた。


 これじゃわたし、恋のキューピッドみたいじゃん。


「ってエリちゃんは言ってるけどさ。どう?」


 そう一華さんに聞かれたあんずは、顔を真っ赤にさせていた。今にも爆発四散してしまいそうなほどに。


 そして、考えておきます、とひどくうわついた声がした。

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