第3話

 わたしは一華さんと2人で暮らしている。といっても、両親が謎の事故で死んだとか、転勤族で飛びまわっているからってわけでもなくて、ただ単に親元を離れて遠くの高校に通ってるから。


 両親が言うには、ここの女子高がいいらしい。理由はよくわからない。高校はどこでも高校で、そりゃ商業農業工業のちがいはあるかもだけど、うちは普通科しかなかった。


「エリちゃんが通いたいところならどこでもいいよ?」


 そう言ってくれたのは一華さんだけだ。もっともこの人の場合、好きな高校に進学したら、即刻学校を辞めてそっちへ転校してきそうだ。


 そうなったら、困るのはわたし。


 そういうわけで選択肢がなかった。でもまあ、無限にあったって選択しないだろうから意味ないけどね。


 一華さんは扉を開けて中に入る。続けて入ったら、わたしは抱きしめられた。ぎゅっと強く、まるでわたしをしばりつけるみたいに。


 それから離れたかと思えば、靴を脱いで律儀りちぎに並べたあとに、


「おかえりなさい」


 とわたしに微笑ほほえみかけてくる。


 こんなことに意味があるのかは、はなはだ疑問だけれども。


「……ただいま」


 話がループしちゃうから、そう言う。


 わたしも靴を脱ぎ、一華さんのものに並べる。わたしのよりもちょっと大きなローファーは、わたしのものよりも年季を感じさせる。そういえば、背だって違うし、おっぱいだってわたしよりも大きい。


 似てるのは顔くらいのもの。一番似なくていいものが似てしまったと神様を呪いたくなる。いや呪ったからこうなったのか?


「なあに、ジロジロ見ちゃって」


「なんでもない」


 わたしは一華さんの横をすり抜け、扉の向こうへ。背後から「見たいならいつでも見れるじゃん」なんてたわけた言葉が聞こえてきたけれど、無視だ無視。


 実家と比べると大きくはないリビングへ入り、部屋の真ん中にあるテーブルにつく。カバンを転がしたら、そんなのところに置かないの、とキッチンから飛んでくる。


 少しすると、一華さんがグラスを片手にやってきた。


 麦茶がなみなみ注がれたグラスが1つ。そこには赤と青のストローが2本突きささっている。


 わたしは無言で一華さんをにらむ。一華さんがウィンクしてきやがったので、ぎゅっとこぶしをつくる。でも殴るなんてことはできないから、立ち上がってリビングへ。


 食器棚にはグラスはある。冷蔵庫には麦茶もちゃんとあった。


 ホントあの人は……。


 ポットを取りだして、麦茶をグラスに注ぐ。こぽぽぽぽ。


「そういえば、聞こうと思ってたことがあるんだけど」


 向こうから、そんな声がやってきた。ちょうどいい、わたしも聞きたいことはたくさんある。さっきのストローの意図とかね。でもやめた。好きだから、みたいな火の玉ストレートが飛んでくるだけだもん。そんなもん黙って見送るだけだ。


「なに? さっき見たことなら謝る――」


「いやそれはいいし、もっと舐めるように見てくれたって私は一向にかまわないんだけど」


「彼氏いるのによくもまあ、そんなこと言えるね」


「それはそれ、これはこれだからね」


 にししと一華さんが笑う。


 驚くなかれ、この一華さんには彼氏がいる。なんで驚くのかって? わたしたちが通ってるのは女子高で、男子とは縁遠い生活を送っているからだ。


 ちなみに中学のとき告白されたらしい。少なくとも本人がそう言ってる。なんで教えてくれたかは今でも謎だ。どうせ自慢したかっただけなんだろうけど。


 わたしが一華さんの彼氏とかいう宇宙一かわいそうな役割を押し付けられた男の子のことを考えていたら、別の言葉がやってきた。


「エリちゃんってさ、あんずちゃんと仲いいの?」


「え?」


 あんず。


 その名前がまさか一華さんの口から飛び出してくるとは思ってなくて、つい聞き返しちゃった。


 すぐにミスったと気がついた。いつもみたくとぼけていたらよかったんだ。


 あら、あらあらあら、と一華さんがこっちを見る。その目といったら、いい音の鳴るおもちゃを見つけた子どもみたいに輝いていた。


「やっぱりそうだったんだ」


「そうだったって」


 なんだ? わたしとあんずが、肉体関係――しかも神聖な学び舎でやってる――にあると?


 まさか、見られたのか? そんな気はしないんだけど。少なくとも、一華さんには無理だ。この人無遅刻無欠席を地で行く皆勤賞かいきんしょうJKなんだから。


 あんずは決まって授業中にわたしを呼び出す。


「保健室から出てきたところを見たって子が生徒会にいてさ。なんか、楽しそうに話してたって」


 ……やっぱりか。誰か聞いてそうだよなあって思ってたんだよ。ケガした子とかさ、保健室なんだからたまに来るじゃん。実際、やることやらされてる最中に生徒が入ってきた時もあるし。いっつも先生がいないし、すぐ出ていってくれるから、今のところは醜態しゅうたいと肌をさらさずにはすんでるけど。


 あと、言っとくけど、別に楽しくない。楽しいのはあんずだけ。


 わたしは、おどされて流されてなすがままになってるだけ。


 思わずぎゅっと握りしめたグラスは、汗をかいていた。


「気のせいでしょ」


 苦しいけれど、言い訳してみる。


 誰がわたしのことを見つけたんだ。


「ううん、綺麗きれいな声が聞こえたって会計の子は言ってたよ。そんな声、私かエリちゃんくらいでしょ」


「そうかなあ」


 自分の声って大っ嫌いだし、聞きたくもないからよくわかんない。


 ちらりと一華さんの様子を見れば、じっとこっちを見ていた。ウッて思わず声が出そうになる。


「私はね、何もしかりたいわけじゃないんだよ?」


「……だとしたら警察向いてるよ」


 気分は取り調べみたいで息苦しい。


「じゃ、刑事さんになっちゃおうかなー」


 ばきゅんと一華さんの指鉄砲がわたしめがけて火を噴いた。


 この人ならホントになっちゃいそうで怖いんだよ。それだけの才能があるんだからさ。


「それに、叱りたいならとっくにしてるって。エリちゃんってば、先生の口に上がるほどくらいのおさぼりさんなんだから」


「それはそう」


「でしょ? でね、聞きたいことがあるの」


「聞きたいこと?」


「そ。あの子と友達なのかなーって。それだけでも教えてくれないかな」


 どうかなどうかなと、右に左に一華さんの首が揺れる。カチコチカチコチ、メトロノームのように。


 真面目に聞けないんだろうか、この人は。


 でも、そうだな。友達……友達か。


 ハサミを突きつけられなすがままになっているわたしは、はたしてあんずの友達と言えるんだろうか。どちらかといえば、フレンドの前に余計なものがつくタイプだと思う。


 セックスフレンド。


 うーん、どこに出しても恥ずかしい、最悪な響きだ。


「……話をするくらいだよ」


「へえ、話をするんだ」


「は、なんでそんなに嬉しそうなの?」


「そりゃあ嬉しいよ。あの子とはちょっとした縁があってね」


 一華さんが遠い目をして窓の外を見る。意味深な感じがするけれど、感じがするだけのこともあるからどっちかわからない。でも様にはなっているのがムカつく。


 ゴクゴクと麦茶を飲んでいたら、一華さんが唇を尖らせた。


「なんで質問してくれないのさ」


「いや……言いたくないのかなって」


「確かにそうなんだけどね。結構大変で……保健室登校中なの」


 で、一番奥のベッドを独占してるわけか。


 生徒の間で噂になっているのも、案外、中二病とかじゃなくて保健室にたむろってるからなのかもしれない。授業に出ないやつってのは悪いことをしていなくてもムダに目立つ。あとサボってるやつもね。


 一華さんは、ふむふむと何を納得してるのか、頷いてる。


「そっかそっか話をするんだね。じゃあ、友達だ」


「その計算でいったら、生徒会長さまは友達だらけってことになりますけど?」


 うちのどこに出しても恥ずかしくない我が姉は生徒会長だ。しかも顔はいい、成績もいいし、運動もできる。三物を手にする一華さんの元にはお手紙がひっきりなしなんだと。


 いつだったか、目安箱がラブレターだらけで困ってるって言ってたっけ。そんくらいの人気を欲しながら、彼氏がいることはみんなに隠してる。言っちゃえば、迷惑ラブレターも来ないだろうに。


 とにかくそういうわけで友達は多かった。わたしとは真逆だ。


「一度話せば友達なんじゃないの?」


「それは一華さんが変わってるだけね」


「とにかく。お友達のエリちゃんにはやってもらいたいことがあるのです」


 一華さんが何かものを頼んでくるときっていうのは、そのほとんどがわたしにとってイヤなこと。


 今回だってきっとそうに違いない。


 ぺろりと唇を舐めて、一華さんはもったいぶったようにゆっくりと頼みごとを口にする。


「あんずちゃんを家に招待してほしいなって」






 ジーンと痺れるほど熱い湯にぷかぷか浮かんでると、さっきまでやっていたやり取りを思いだしてしまった。


「はあ、なんで?」


「そりゃあ、妹のお友達とお知り合いになるためだけど」


 うそつけ。わたしとあんずが顔見知りだってわかったの、今の今だろ。


 ニコニコと笑みをたたえる一華さんのことが、わたしは何もわからない。わかろうとも思わないけれども。


「ほら、仲良くなるためにはさ。一緒にご飯を食べて、一緒のお風呂に入り、一緒の布団で眠る……そういうのが必要だと思うわけですよ」


「それ、わたしたちがやってるやつ」


 ちなみに仲良くなってるつもりはないよ。あっちが勝手に仲がいいと思い込んでるだけ。


 さっきだって、わたしがお風呂に入ろうとしていると知るやいなや、タオルを持ってついてきた。だから「今日は一人で入るから」と言ってやった。一華さんはガーンとうなだれてたけど、知るもんか。


「友達になりたいなら直接言えば――」


「ホントならそうしたいところなんだけどねえ」


 腕を組んだ一華さんは、いつになく神妙しんみょうそうな顔で考えこんでいた。ずっとそうしていたら、生徒会長の風格にあふれてるんだけどな。


 とにかくそういうわけで、わたしはあんずを家に呼ばなきゃいけない羽目になってしまったのでした。


 うん、めんどくさいな。


「しかし、友達かあ」


 首まで湯につかって、あんずのことを考えてみる。あの子は友達と言われてうれしいのか。どっちかといえば、一華さんと友達って方が喜びそうだ。


 いや、あの子は友達なんかじゃ満足できないか。より進んだ関係がいいに決まってる。


 じゃなければ、行為中に一華さんの名前を繰りかえしたりはしない。


 そもそも、あの子は何だって、わたしなんかを代替品にしたんだ。


 透明な水面を覗きこめば、わたしの顔が映りこんでいる。きれいでも何でもない表情にとぼしい顔。その額をかち割るようにチョップすれば、水面に波紋が生じて不景気な面はかき消えていった。


「なんだかなあ」


 考えれば考えるほど、面倒なことになる気しかしない。


 ちょっと状況をまとめてみよう。


 あんずは一華さんのことが好き(だよね?)で、その一華さんには彼氏がいる。つまるところ、あんずの恋が実ることはない……少なくとも通常においては。


 いや、通常以外のことを知ってるってわけじゃないけどさ。ふつーの恋だってしたことないし。


「なんでわたしが悩んでんだ?」


 ユルユル首を振って、余計な思考を振りはらおうとする。でも、できない。お風呂のおかげで肉体的な疲れは消えたけれども、その分、頭は無意味に空回りを繰りかえし、意味のないことまで考えはじめる。


 一華さんとあんずを会わせてもいいんだろうか。


 叶わぬ恋なんて期待させるだけ損じゃないだろうか。


 だからって、他人のことに首を突っ込むというのは、なんだか気が引ける。


 ま、他人かと言われるとまた別の問題があるんだけど。一華さんはあれでも一応血のつながった姉だし、あんずにはからだの関係を強要されてるし。


 なんて、クラゲみたいに浮かびながら疑問をつついていたら、扉の向こうからどたどた足音が迫ってきた。


 すりガラスの向こうに人影が現れる。シルエットを見るまでもなく、一華さん以外ありえない。


「ねえ、返事をしてっ。もしかして死んじゃったんじゃ――」


「死んでないから」


 入ってこないでとわたしが言うよりも早く、服を脱ぎさった一華さんが扉をバーンと開けて入ってきやがった。


 タオルで隠そうとせず、むしろ見せつけるように立つ一華さん。そのプロポーションはどこをとっても完璧で、街を歩けばすぐにでも声がかかりそう。というか、実際声をかけられてるところを見たことあったな。


 こっちは声なんかかけたくないし視界に入れたくもないから、湯に潜る。


 揺らめく水面の向こうから、シャワーの流れ出す音がかすかにやってくる。


 あの人はホントに……。


 このまま潜ったままでいてやろうか。それで死ねたら面白そうだけど、その前に、一華さんが助けるんだろうな。そんなの絶対にイヤだから死なないことに決めた。

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