第2話

 放課後まで屋上のベンチで眠って――木曜昼はいつだってこうなんだ――吐きだされるように帰路につく女子生徒の群れへ紛れこんで、学校を後にする。


 わいわいガヤガヤと周りではひっきりなしに会話が行われていて、わたしみたいなボッチはほとんどいない。


 そっと群れから出ていって、住宅と住宅の間を伸びる細い道に入る。静寂と、時が止まったようなわびしさに包まれると、張りつめていた緊張がふっとゆるまる。


「……だる」


 からだを引きずるようにして歩く。なすがままになるというのもけっこう辛い。しかも、あんずは鬱憤うっぷんを晴らすかのように激しく求めてくるし。


 それに、求めてるのはわたしじゃないってのが、ね。


 何度目かもわからないため息をつき、地球をほんのちょっとだけ憂鬱ゆううつにしていたら、背後から足音が駆けてくる。


 瞬く間に、わたしはぎゅっとやわらかいものに包みこまれた。


 突き飛ばすものじゃなくて、押し倒すたぐいのものでもない。たまたま歩いていた妹を、これまた偶然見つけた姉が抱きしめたみたいな。


「エリちゃん」


 振りかえるまでもなく、その声は姉のものだった。


「……一華いちかさん」


「はい。あなたのおねえちゃん、一華ですよ」


 なんてにこにこ笑顔で言ってくる一華さん。その間もぎゅーっと抱きしめる力はまったく弱まらない。


「こんなところでなにしてるの?」


「帰ってるだけだけど」


 誰よりも薄っぺらい学生カバン(改)を手にして、ふらふら帰宅中ですとも、ええ。


 それも、一華さんに抱きしめられて一歩も進めなくなってるどころか、魂まで絞りだされようとしてるんだけどさ。


 横を向けば、そこには自分とそっくりと顔があってビックリする。顔があることにじゃないよ。そんな表情ができるんだってくらい、幸せそうに笑ってることに。


 できないな、そんな表情、わたしには。


 タコのような束縛そくばくから逃れようとしてみるけれど、質の悪いカズラみたいにしつこく絡んで離れてくれない。


 動くたび甘ったるい香りが、鼻についた。


「離れてよ……」


「ヤダ。逃げちゃうじゃん」


「逃げないよ」


 だってそんなことしても意味ないし。


 わたしは運動音痴。一華さんは陸上部のエース。月とスッポンという文字が頭の中でネオン管のようにけばけばしく点灯する。


 結局捕まるのなら、体力を使わないほうがマシだ。


「っていうかさ、私のことは『おねえちゃん』でしょ?」


「…………」


 なぜ、おねえちゃんなどと言わなきゃいけないのか、わたしには理解ができない。実の姉だからって、わたしも一華さんも高校生だ。


 黙っていたら、耳元に吐息を吹きかけられた。くすぐったいよりも、生理的嫌悪感の方が先に来る。生温かくてむしむしした梅雨つゆ時の熱気のような気持ち悪さが。


「さんはいっ」


「なんでささやき声なの?」


「こういうのが流行はやりだってネットで見たよ」


 ASMRだろうか、って思ってたら、おねえさまはゼロを連呼していた。


 それまた別のやつだし、んなもん聞いてるのか、この人は。


「生徒会長さまがこうして女の子と抱きあっててもいいんですかね」


「生徒会長である前に一人のおねえちゃんですから」


 ふんすと自信満々に言う一華さん。そのすぐ横をおばあちゃんが通りすぎていく。わたしたちのことをまるで仲のよい姉妹のように見ているらしく、しわくちゃの目は細まっていた。


 恥ずかしいよ、ホントに。


 ひとしきり抱きしめたところで満足したんだろう、一華さんがやっと離れていった。


 眠くなるような香りが弱まって、せいせいする。


「なんでそんなに怒ってるの?」


「……怒ってない」


「ホントかなあ。いつもより目つきが悪いよ」


 それは生まれつきのものだからほっといてほしいね。


「それに、また屋上で寝てたでしょ。悪いんだー」


 わたしのスカートをパンパン払いながら言う。たぶん、変な折り目かホコリでもついてたんだろう。そういうところ、一華さんは目ざとい。


「見てないくせにてきとう言わないで」


 チッチッチと指を振る。なんだその芝居がかったしぐさは。


「6限の終わりくらいからさ、屋上でたそがれてたでしょ。全部見ちゃったんだなあ」


「……やっぱりこっち見てたんだ」


「もちろん! 私はお姉ちゃんなんだよ? エリちゃんが見てることくらいわかるってば」


 わかってたまるか。


 いやでも、一華さんはわたしに抱きついてきたってわけで……うん、これ以上考えるのはよそう。


 自由になったことだし、わたしは歩きだす。その瞬間に、ぎゅっと手を掴まれた。


「待って待って」


「なに」


「姉妹なんだからわかるでしょ?」


「わからない。言ってくれなきゃ何も」


 例えば、誰かさんみたいに、一緒に歩かないと殺すから、みたいな。その方が分かりやすくて助かる。好きかどうかは別として。


「一緒に帰ろうよー。お姉ちゃんさみしいのです」


 よよよと泣く一華さん。切れ長のひとみからは涙の一滴も流れちゃいない。よくやるウソ泣きだ。


 演技だって長年の経験からわかっていてもなお、引っかかりそうになっちゃうくらい、真に迫ってる。


「勝手にすれば」


 そもそもわたしの手はすでに掴まれている。急に走ったって、振りほどこうとしたって、一華さんは手を離してはくれないだろう。


 どうすることもできないなら、早めに受け入れてしまった方が傷は少ない。


 わたしは何も抵抗しないことにした。そんなわたしの無条件降伏を一華さんは了承と捉えたらしく、ルンルンと元気よく歩きはじめる。


 わたしはその半歩後ろをもたもた歩く。はたから見れば、お注射を受けに行く子犬のようだったに違いない。


 後ろから見た一華さんは背筋をピンと伸ばしてシャキシャキ歩いてる。制服を改造することなく、折り目正しく美しく着こなすその姿は、まさしく歩く優等生。


 学生カバンには教科書やら手作り弁当やらがぎっしり詰まってて、はちきれんばかり。いつもなら着替えとかスパイクとかが入ってるリュックサックがあるんだけど、なぜだか今日はなかった。


「今日、部活なかったの?」


「もうそろそろ受験だからねー。控えめにしてるんだ」


「受験……」


 そうだった、一華さんは三年生だ。ちなみにわたしは二年生。


「じゃ、図書館とかで勉強でもしてよ。邪魔になるからさ」


 わたしはこれでと手を振りほどこうとしたが、まったく離れてくれない。瞬間接着剤でも仕込まれてるんじゃないよね。


 抜けないカブを引っ張るようにしていたら、春の日差しに負けないくらいの笑顔が、わたしの頭に降りそそぐ。


「邪魔になんかとんでもない。私はエリちゃんがいるから頑張れるんだよ?」


「…………そう」


「そうなのです。だからね、エリちゃんもちゃんと勉強するように。サボってばっかりだったら、進級すら怪しくなるんだからね」


「なんか先生みたいなこと言うね」


「人生の先生と言ってくれてもいいんだよ?」


 生まれてから20年も経ってないくせに、人生の先輩を名乗らないで。


 わたしが黙ってたら、一華さんはふふふと笑った。


 そんなことを話してるうちに、わたしたちは細い道を抜けて、大通りへと出る。


 オレンジ色の光に照らされた通りには、多くの人がうごうごしている。サラリーマン、主婦、学生、おじいちゃんおばあちゃん……。


 だれもかれもがわたしたちを、一華さんの隣にわたしを見ているような気がして、吐き気がする。


「それより、エリちゃんは寄りたいとことかないの? クレープとかドーナツとか」


「別に……」


 おなかに手を当ててみる。腹の虫は死んじゃったみたいに静かなものだ。


 そんなことより、早く帰りたい。


「そっか。じゃあドーナツを買いましょう」


「……わたしに聞く必要あった?」


「もちろん。エリちゃんの言うことは絶対ですからねー」


 絶対て。


 思ってもないことを言わないでほしい。


 絶対なのは、いつだってそっちの方だったじゃん。

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