古町彼方によるあとがき(塚浦正樹の日記より一部抜粋)

 その時、私はとにかく驚いたのを覚えている。初めは幻覚かと思った。私たちのバンド名がSNSのトレンドに乗っていた。バズった。それも、私たちのスタイルで。慌てて塚浦さんに見せると、彼は一瞬動きを止めて、すぐに喜んだ。目からは涙を流していた。大急ぎでみんなを呼んで、狂喜乱舞した夜は今でも覚えている。勘違いしないでほしいが、私は塚浦さんがいずれ世間に認められると確信していたから、喜びを噛み締めはしたが、狂喜乱舞まではしていない。

 それから、皆様も知っている通り私たちはありがたいことに有名になった。様々なライブに出させていただけるようになり、映画の主題歌もやらせてもらった。もちろん批判も来たが、それを上回るほどのたくさんの応援をいただいた。私的なことにこのあとがきの場を使わせてもらうが、どうか許してほしい。たくさんのご声援、本当にありがとうございました。

 私たちの起源は高校時代の文化祭にある。話すと長くなるからその全ては語らないが、とにかく私たちがバンドを結成したのも私がピアノを再開したのも、すべて塚浦さんのおかげだ。



 私たちが有名になって一年後、武道館でライブを開くことになった。とても嬉しかった。あの頃と違い、居酒屋で打ち上げができるようになっていた。あの日はとても楽しかった。居酒屋に行くと、ばったり高校時代の恩師に会った。塚浦さんは恥ずかしがって入口で待つと意地を張ったが、さすが恩師、入口で戯れ合う私たちを見つけてしまった。

 片平さんは特に恩師に恩を感じていたので、雑談の最中、笑いながら目が潤んでいた。多分、それはみんな気がついていた。山内さんはいつも通りの無表情だったけど、自分を誤魔化すように身に合わないお酒を飲んでいた。案の定、打ち上げが終わる頃には酔い潰れてテーブルに伏してしまっていた。

 帰り道の空には綺麗な星が光っていた、おそらく、私の人生であの時以上に輝いて見える星空はないだろうと思う。

 山内さんをおぶって帰ったのは片平さんだった。家が近いのもあるが、塚浦さんはどうやら、あの星空を見ていいフレーズとメロディーが思いついたらしく、一刻も早く家に帰りたがっていた。先に帰っていいですよ、と伝えると塚浦さんは走って帰っていった。

 塚浦さんがバイクに撥ねられて死んだのは、その夜だった。

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