第2話

 キーンコーンカーンコーン。


 昼休み、友人の一太いちた謙太郎けんたろうと一緒に昼食を取り終え、怜央は一人教室を後にする。

 教室を後にして向かったのは、先ほど白熱の試合が行われたテニスコート。

 体育の授業が終わった直後――


『昼休み、いつものように付き合いなさい!』


 っと、怜央のスマホへ一通のメッセージが届いたのである。

 テニスコートへと続く、葉桜となった桜並木の階段を上っている最中――


 バコッ! バコッ!


 っと、小気味良いラケットでボールを打つ音が聞こえてくる。

 階段を登り切り、金網越しにテニスコートの中を見やれば――


「ふんっ……! はぁっ!!」


 ダブルス美女ペアの一人、小桜愛菜がラケットを片手にサーブ練習に打ち込んでいた。


 先ほどまでの体育の授業のような活気はなく、コート内には愛菜がサーブを打つ音だけが寂しく鳴り響いている。


「ぐぬぅ……!」


 それでも愛菜は、熱気十分に打点の高い力強いサーブを打ち込んでいた。


 相手コートに見事なサーブが突き刺さった直後、愛菜は眉間に皺をよせ、悔しそうにキュっと唇を噛み締める。


(やっぱりな……)


 やれやれといった様子で、怜央はコートへと入っていく。

 すると、愛菜がこちらに気が付き、鋭い視線を向けてくる。


「やっと来たわね。ほら、時間ないからとっとと手伝いなさい」

「へいへい、分かってますよ」


 愛菜に素っ気ない態度で急かされて、怜央はつまらなさそうにブレザーのポケットに手を突っ込みつつ、コートに散らばったテニスボールの回収を始めていく。


 パコッ! バコンッ!


 その間に、愛菜はサーブ練習を黙々と続けていく。


 テニス部が誇るダブルス美女コンビの一人小桜愛菜こざくらあいなは、こうした影の練習を欠かさない


 休み時間や空き時間は、もっぱらテニスの事ばかり考えているテニス脳女子。

 中学の頃は、部内でも実力も下から数えた方が早かったとのこと。

 しかし、その並々ならぬ努力によって才能が開花。

 今ではテニス部屈指の実力者となり、テニス部をけん引している。


 そんな愛菜の象徴でもある見えない努力の練習の一部を、怜央はボール拾いという形で昼休みに手伝っているのだ。


 最初は、怜央の方がたまたま見かけて手伝い始めたのだが、最近は愛菜の方から『手伝いなさい』っと毎度のごとく頼まれていた。


 学年二大美女である愛菜の練習にと言えば聞こえはいいかもしれないが、実際の所は愛菜に都合のいいようコキ使われているだけ。

 なぜかと言うと、この昼休みの時間以外、怜央と愛菜がクラスで話すことも顔を合わせることも、ほとんどないからである。


 愛菜は着替えるの時間も面倒だったのか、制服姿のまま練習に励んでいた。

 

 サーブを打ち込むたび、激しくスカートの裾が揺れ動き、小麦色に日焼けした血色の良い太ももが惜しげもなく晒される。

 

 もう少し激しく動いたらパンツが見えてしまいそうで、怜央は内心ヒヤヒヤして視線が泳ぐ。


(まあ、下にアンスコ履いてるだろうけどさ……)


 見えない愛菜の絶対領域。

 もし仮に、怜央が故意に覗き込もうと屈んだら最後。

 愛菜の鋭い殺人サーブが、怜央の脳髄を突き刺すこと間違いなし。


 怜央は愛菜を出来るだけ視界に入れぬよう、黙々とボール拾いに専念していく。

 すると、不意にコート内から音が消えて静寂が訪れる。


 どうしたのだろうと愛菜の様子を窺えば、怜央のことをじぃっと見つめてきていた。


「どうした?」

「別に、何でもない!」


 怜央が声を張り上げると、愛菜は腕を組みつつプィっと視線を逸らしてしまう。


(少しぐらい意識しなさいよ……)


 首を傾げて疑問を呈する怜央に対して、届かぬ思いを吐露する愛菜。

 呆れ交じりにため息を吐き、愛菜はサーブ練習を再開していく。


 そんな愛菜の胸の内も知らずに、怜央は視界が逸れた隙を見計らい、こっそりサーブ練習を覗き見る。


 真剣な眼差しでサーブを放つ愛菜の姿は、見とれてしまいそうなほど華やかで美しい。

 後ろでポニーテールに結んだ黒髪が揺れ、キラキラと光の粒子を纏っている。

 その姿はまるで、コートを支配する女王様のよう。


「顔は良いんだから、もう少し可愛げがあればいいんだけどなぁ……」


 ビュンッ!


 怜央がぼやいた直後、顔面すれすれを物凄い速さでテニスボールが通り過ぎて行く。


「何か言った……?」

「いえ……何も……」


(怖ぇぇよ! アイツこれを殺す気か!?)


 愛菜の殺人サーブの威力に戦慄する怜央。

 見ての通り、小桜愛菜はクールで相手を寄せ付けない気難しい性格。

 鋭い目つきから放たれる、相手を突き刺すような冷たい言葉は、背筋が凍り付く恐ろしさ。


「次変なこと言ったら当てるから……バカ」


 最終宣告を言い渡され震える怜央をよそに、愛菜はサーブ練習を再開していく。

 その愛菜の姿を眺めながら、怜央はあること気が付いた。


(にしても今日は、いつにもまして機嫌が悪いな……)


 愛菜から放たれるサーブ。

 いつもは威力に加え、鋭さやキレのあるサーブが特徴的なのだが、今日は勢い任せに放っている印象だ。


 やはりこれも――


「星宮に最後フォローされたのが、そんなに悔しかったのか?」


 ビュンッ……!


「ってうぉぉぉい!?  あっぶねぇな!?」

「うっさい! あんたは何も言わずにボールを拾ってなさい!」


 確信を突かれたのが癪に障ったのか、愛菜はラケットで怜央を差しながらボール拾いに専念するよう促してくる。


「うっす……」


 完全に気圧された怜央は、おずおずとボール拾いを再開する。

 どうやら愛菜は、夏姫の足手まといになってしまったのが相当悔しかった様子。


 小桜愛菜がだとすれば、もう一人のダブルス美女コンビである星宮夏姫ほしみやなつめは、

 夏姫は幼少期から数々のテニスのジュニア大会で優勝を収めてきた、いわばテニス界の絶対王者。

 

 それに対して愛菜は、どん底から実績を積み上げてきた雑草魂の苦労人。


 幼少期からテニスでの実績の積み上げ方も違う夏姫と愛菜。

 加えて、どちらも美貌でも1、2を争う美少女と来た。


 実力も美貌も、どちらも張り合える愛菜も相当凄い持ち主だが、彼女はこうして他の人から見えないところで死ぬ物狂いの努力をしているからこそ、必死に食らいついているだけだと本人は言う。


 だからこそ、例え体育のお遊びだったとしても、夏姫の足手まといになってしまった自分自身を許せないのだ。


 見ていて、報われない不器用な性格だと感じている。

 それでも、弱音を吐くことなくひたむきに努力し続ける彼女の実直さは、称賛に値するだろう。


「そろそろ終わりにしようぜ。午後の授業が始まっちまう」


 昼休みも終わりが近づいてきたため、怜央が愛菜に声を掛ける。


「……あと五本だけ」


 そう言って、愛菜はより集中力を高めてサーブを打ち込んでいく。


「ったくよ、あと五本だけだぞ」


 怜央は呆れ交じりのため息を吐きつつ、愛菜が満足するまで練習に付き合ってあげることにする。


 最後の一本を打ち終え、愛菜は額に掻いた汗を拭う。 

 既に予鈴のチャイムが鳴り終え、午後の授業がもうすぐ始まろうとしていた。


「お疲れさん。ボールは俺が片付けておくから」

「いいわよ。私がやるわ」

「汗掻いたから、タオルとかで身体拭きたいだろ?」

「……変態」

「いや、俺普通の事言っただけだぞ?」

「冗談よ……ありがとう」


 珍しくクスっと笑みを浮かべ、感謝の意を述べてくる愛菜。


「じゃ、片付けは任せるわ。またよろしく」


 そう言って、愛菜は後ろ向きで手を振りながらコートを立ち去って行こうとする。


「なぁ、小桜」

「……何?」


 愛菜の言葉を聞いて、思わず呼び止めてしまう怜央。


「どうして俺を毎回誘うんだ? 俺以外でも頼んだら手伝ってくれる人ならいるだろ?」


 愛菜は学年二大美女。

 頼み込んだら、手伝ってくれる男子なんていくらでもいるはず。

 最初に偶然見かけて手伝うようになったとはいえ、非モテ男子代表の怜央をわざわざ選ぶ必要はないのだ。


「……それ、本気で言ってるワケ?」

「えっ?」


 刹那、愛菜の目の色が変わり、鋭い眼光を飛ばしてくる。

 その時点で、怜央は質問の地雷を踏み抜いてしまったことを悟った。


「あんたじゃなきゃ、ダメなのよ」

「……どうしてさ?」

「そんなの……自分で考えなさい!」


 そう言いのけると、愛菜は踵を返してスタスタとコートを後に――


 ビュゥーン!


 しようとした時……神様のいたずらか、テニスコートに突風が吹き荒れた。


「キャッ!?」


 ふわりと捲りあがるスカートの裾を、愛菜は咄嗟に抑え込むものの時すでに遅し。

 日焼けした健康的な太ももと絶対領域が露わになる。


 当然ながら、愛菜は下にちゃんとアンスコを履いていた。

 流石にそこは妥協しなかったらしい。


 風が収まると、愛菜は顔を真っ赤に染め上げ、スカートの裾を摘みながらこちらを睨みつけてくる。


「み、見た……?」

「えっと……別にアンスコだから見られても問題ないだろ?」

「……から」

「へっ?」


 怜央が聞き返すと、愛菜はさらに顔を真っ赤にして鋭い眼光を向けてくる。


「今はアンスコ履いてないから! エッチ!」


 そう吐き捨てて、愛菜は踵を返して逃げるようにテニスコートを後にしてしまう。

 テニスコート内に一人取り残された怜央は、ポカンと呆けたまま立ち尽くしてしまう。


「……へっ!?」


 そして、ようやく見てしまったのが愛菜のパンツであることを理解した怜央は、驚きに満ちた声を張り上げる。


 キーンコーンカーンコーン。


 直後、午後の授業開始のチャイムが鳴り響き、無事怜央の遅刻が確定する。


「……黒か」


 春のよそ風に靡きながら、怜央の消え入りそうな声が呟かれるのであった。

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女子テニス部のダブルス美女コンビは、なぜか非モテな俺と二人っきりになりたがる さばりん @c_sabarin

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