第4話

 たった小一時間で憔悴してしまった門田の生気のない眼差しが、玲に向けられる。

 吐瀉物は両方の靴を少し汚したくらいで、服にはかかっていない。

「気持ち悪いって」

「だから吐いたの?」

「そうじゃなくて、玲を選んだおれのこと」

「負け惜しみだろ。ほら、あっちで口濯いで来いよ」

「ん」

 門田はのそりと立ち上がり、ふらふらと歩き、水飲み場の手洗い蛇口の前にしゃがみこんで、蛇口をひねった。

 玲はその様子を見送って、金網のゴミ箱に捨ててあったコンビニの袋を見つけて、中を確認すると、駄菓子の包装しか入っていなかったので、これ幸いとその袋を取り、吐瀉物をビニール袋ですくって、門田が残したピザまんの残骸もいれて入口を縛り、ゴミ箱に捨てた。

 あと二週間で冬休みになる。日も暮れてさらに冷え込んできたというのに、門田は口を濯いで顔まで洗っている。上着の袖口も胸元もビシャビシャに濡れている。玲も手を洗ったが指先が痛くなるほど冷たかった。

「あんな汚ぇモン片づけてさせてごめんな」

 門田はベンチのほうを見やり、申し訳なさそうに言った。

「風邪ひくよ」

 玲がいうと門田は水を止めて上着のジッパーを下げて、中のスエットで顔を拭った。

「別にいい。玲どうやってここまできたんだ?」

「普通に母親の自転車に乗って後を追ってきた。入口のとこでどうなるんだろーって見てた。あの子がこっち来た時には隠れたけど」

「夜道を一人でいるなよ。つーか、小四の時に車から声かけられたって言ってただろ。忘れたのか」

「あれは、道に迷ったっていうから。後から不審者だって知ったんだもん。近くに交番あるので案内しましょうか? って言ったら諦めてくれたよ?」

「女になったら尚更危ないんだから家で大人しくしてろよ」

「えー。傷ついた翔吾をいのいちばんに慰めようと思って来たんじゃん」

「楽しそうに言いやがって」

 言葉の割に門田はうっすら笑っている。

「だって、予想以上に傷ついてるんだもん。その傷口が見えるなら舐めまわしてみたい」

「怖いって」

「彰吾は女の子のあそこ、見たことある?」

「ねーよ。つーかなんだよいきなり」

「僕ね、見たよ。もちろん自分のだけど。鏡の前で裸になって。自分だけど自分じゃないから最初は興奮しちゃった。見てるのは男の感覚のままの自分だから、鏡に映ってる女の子の体は自分じゃないって感じで、でも、触ると自分だから、すごく変な感じだったな。それでね、やっぱ興味あったからあそこ見てみたんだ」

 門田はまるで怪談でも聞いているかのように不安げな面持ちだ。玲もしゃがんで門田と目を合わせる。

「そしたらなんか、むきだし、って感じだった。傷口みたい。だからね、僕の傷口は彰吾が塞いで」

 視線が、玲の両足の間に注がれる。

「彰吾のむっつりスケベ」

「うるせえ」

「今からする?」

「……そんな気分じゃない」

「ちぇ。彰吾ってつまんない奴」

 ふと門田のジーンズの前が大きく膨らんでいるのが見えた。目が釘付けになる。去年まで自分にもあった体の一部。

「あんま見んなよ」

「別にいいじゃん。ちょっと前まで僕にもあったんだよ」

「知ってるよ」

「あ。見せ合いっこしよーよ」

 ね、とまるでかくれんぼでも始めようとするような気易い言い方だった。

「正気か?」

「興味無いの?」

 興味がないはずがない。しかし、答えに詰まる。

「彰吾はむっつりだもんね」

 からかいを含んだ挑発的な微笑み。目の前にいる幼なじみの面影をふんだんに湛えた愛らしい少女。相手のことを充分に知っているはずだが全く知らない他人に見える。濡れた袖口や腹の辺りがひどく冷たくなっていき体温が奪われていく。玲の黒い瞳の奥を見つめながら、正しい答えを求めたが、邪な想像が邪魔をする。玲の視線が、血液と熱が集中してずくずくと疼く下腹部へ落ちてきた。

「なんか、彰吾のでっかくない? 背ぇ高くてガタイいいとそっちに栄養いくからチンコ小さいっていうの嘘じゃん」

 過去の自分のと比較しているのか、やけに悔しそうな声だった。

「僕だってそこそこあったのに、おっぱいは大きくなんなかったんだよねえ。彰吾もおっぱいは大きいほうがいいだろ?」

 否定はしないが、玲の顔立ちや体つきにしっくりくる大きさだと思う。

「別にいいんじゃね? レイ、元々細かったし」

「僕はもっとでっかいほうがよかった」

 拗ねた言い方に懐かしくなった。以前も身長と体格について比較しては拗ねていた。背が低くても俊敏でバスケの上手いやつはいる。そう教えてやったが、バスケしてないし。と余計に怒らせてしまったことを思い出す。だんだんと疼きも落ち着いてきた。

「帰ろうぜ。おばちゃん心配してるだろ」

 男だった時はだらだら過ごして、そのまま誰もいない門田の家に泊まったりもしていたが、今はそんなことは許されないだろう。

「カウンセラーの先生のところに行ってくるって言ってある。女の人なんだけど、何度か泊まりこみで話を聞いてもらったことがあるんだ。僕は特例だから」

 と、玲が勝ち誇ったように言う。

「だから今日はこのまま彰吾んちに泊まるから」

「なに勝手に決めてんだよ。バレたらどうすんだよ」

 玲がフフッと声を出して笑う。

「色々あってね。母さんもそこには干渉できないんだ」

 玲は言いながら暗い目をした。

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