第3話
相田奈緒の家の近くにある公園のベンチに腰かけ、門田はスマホを操作した。彼女の家と門田の自宅は意外にも近く、ここまで何度か送って帰ったことがある。一人の自宅にまっすぐ帰る気になれなくて、彼女の好意に甘え、二人で小一時間ここで時間をつぶしたりもした。
着いたよとメッセージを送って五分足らずで、奈緒は息を切らせて門田の元へ駆け寄ってきた。
「こんな風に会うの、初めてだね」
斜陽の中、はにかむ彼女の頬が桃色に染るのが見えた。奈緒は、少し間を開けて門田の隣に腰を下ろす。
「あのね、これ、家にあったのなんだけど……」
と、間に置いた保温バッグを開く。
「肉まんとピザまん持ってきたんだけど食べない? 夕飯前のこの時間って、ちょっとお腹空くから」
二つのスライド付きの保存袋を取り出して門田に見せる。
「……ごめん。門田くん、もしかしてこういうの苦手だったりする? うちからコンビニちょっと遠くて……」
「ううん。大丈夫。ありがとう。相田さんはどっちにする?」
「あ、私はさっき食べたの! だからこれ門田くんに。って、もうなにか食べてきた?」
「いや、まだ」
「よかった。あー、でも、なんか勝手に用意してごめんね。さっき弟と一緒に食べてて、門田くんもお腹すいてるかもとか思って……。私、おせっかいなオバサンみたいだよね」
「そんなことないよ」
「本当? 迷惑じゃない?」
「全然。おれ、相田さんのそういうとこに救われてた」
「なんか、顔色悪いよ? 具合悪い? 貧血?」
「大丈夫」
門田は奈緒に掌を差し出す。
「これまだけっこう熱いかも」
奈緒は袋の端っこを持つように門田に渡す。
「蒸し器で温めたの。レンジだと固くなって嫌だから」
門田は袋から取り出した肉まんのシートをめくり、かぶりついた。
「スーパーに売ってるのってコンビニのより大きくて。あ、でもピザまんはそんな変わらないかも。弟がね、ピザまんが好きで……。門田くんはどっちが好き?」
「どっちも」
「わかる。私もどっちにしようか迷うもん。どっちも美味しいよね」
「だから二個持ってきてくれたんだ」
「あと、門田くん大っきいから一個じゃ足りないかもって思ってさ。う。コレ、おせっかいオバサンっぽい?」
「相田さんって、常におれのこと気遣ってくれるよね」
ふかふかとした生地が水分を奪って喉に詰まりそうになる。それでも肉まんを押し込むように飲み込んで、立て続けにピザまんを口に押しつけた。
「待って待って。喉に詰まるよ。はいお茶」
と、保温バッグから小さいステンレスボトルを取り出し、蓋を開けて門田に差し出す。
「大丈夫?」
奈緒がステンレスボトルを持って門田を心配そうに見上げている。その姿をみた瞬間、涙が出そうになった。
「門田くん?」
食べかけのピザまんを持ったまま門田は俯いた。これ以上食べることができない。ありもしない大きな塊が胸につかえて苦しい。じんわりと温かくなった腹の中が浅ましい。
「相田さん、ごめん。別れてほしい」
「……えっ」
奈緒の手からステンレスボトルが落ちて、門田の膝と足元を濡らした。
「ああっ、ごめん、熱くなかった? ごめんね門田くん」
軽くパニック状態の奈緒は手で門田の膝にかかった水分を払う。
「ごめん……、ああ、ごめんね、門田くん……」
門田は奈緒の手を握る。小さな手は震えている。
「大丈夫……だから」
「あ、あの、門田くん、やっぱり私、迷惑だった?」
「迷惑じゃなかった。だから、付き合った。けど」
「けど?」
「……おれ、相田さんのこと、これからどんどん好きになっていくんだろうなって思ってた。でも、玲が戻ってきた」
「レイ……?」
「おれの幼なじみ。TS症候群って聞いたことある?」
「あ! あの?」
「玲はそれなんだよ。そのせいで精神状態がおかしくなってて、玲、おれがいなきゃだめなんだ」
「……絶対、別れなきゃダメ……?」
「ごめん」
「元々男の子だったんだよね? 女の子になったからって、そんな……」
「おれね、バスケやってたんだ。小学校の頃から少年団で」
「……知ってる。私、そこの女子チームに入ってたもん。井上まりなちゃんとか、斉藤美希ちゃんとか覚えてる?」
当時のキャプテンとチームで活躍していた女子の名前だ。門田は驚いて奈緒を見た。
「結構人多かったでしょ? 二人みたいに活躍とか全然できなくて、いつも補欠で練習試合でたまにちょこっと前半に出してもらえるくらいで。頑張って練習してたけど、あんまり上手くなれなかった。だから中学校入る前に辞めちゃった。門田くんはあの頃から活躍してたよね」
「でも、もうできない」
「できなくても門田くんは変わらずかっこいいよ。私にとって門田くんと付き合えたのがキセキって感じ」
今にも泣きそうに涙を溜めたまま奈緒が笑顔をつくる。
「相田さん……」
奈緒は門田から顔をそらし下を向いた
「あーやっぱり振られちゃったなー」
「ごめん」
「謝んないで。ごめんなんて言わないで」
顔を上げた奈緒は泣いていた。
「バスケできなくなったから何? その子が戻ってきたからって何? 門田くんはその子のこと好きだったの? その子が女の子になったから付き合いたいの?」
奈緒は立ち上がり、門田を睨みつける。
「なんか……、それ、気持ち悪い」
そう言って水筒と保温バッグを手にすると足早に去っていった。
一人になったとたん、急に胃の中のものが逆流してきた。両足の間にぐちゃぐちゃなった肉まんやピザまんの欠片が散らばる。嘔吐しながら誰かの足音を聞いた。
「大丈夫?」
玲の声が降ってきた。
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