第5話 父

 森を抜けた僕たちは、街の端、生活感はあるものの、ひと気の少なそうな場所に出た。




「これは、何と言うか……」


「……普通ね」




 何のことは無い、貴族街より質素になっただけのただの普通の街、いやむしろしっかりと栄えていると言ってもいい。そんな街が広がっていたのだ。


 人間を、何らかの場所、人に献上していると決めつけて来たものから、もっと劣悪でどろどろした、とても人が住める環境ではない……そんなものを想像していた。


 ところがどうだ、糞尿や死体のような特段汚らわしい物が転がっているわけでもなく、むしろその逆で、清掃が行き届いているとさえ思える。


 空気もきれいだし。




「そっか。少し考えれば当然のことなのかもしれないわね」


「……って言うと?」




 レシィはなるほど道理だとでも言うようにうんうんと頷く。


 この状況に合点がいったらしい。


 僕は少し考えたってわからなかったですけどね。




「いくつかポイントはあるけど、第一に、劣悪な環境にするのは効率が悪い。せっかく育てても、環境のせいで疫病が蔓延してしまったら収率が落ちるし、そこから元通りに運用できるようにするためのリソースが無駄。だから環境を整えるのは大前提。でね、そうするためには端から設備を整備、徹底管理して家畜みたいに飼育する法と──」


「今のこの街の状況、ある程度の自由度は残して自分たちで環境を整えさせる法、か。そのために指導、実行させればいいのか、たぶん他にもあるんだろうけど、要はそういうことでしょ?」


「ええ、これらを単純に比較するなら初めに大規模な施設投資もいらない、維持管理を続ける義務が生じない後者が優秀だと、私は思うわ。まっ、ともあれ少し歩いてみましょう。ここにいても始まらないわ」




 それらしいことは話しているが、全部僕たちの妄想に過ぎない。


 記録だってもっと別の何かのことを言っているのかもしれないし、第一それが当初考えたものだとして今も続いているとは限らない。


 あの街も、ただ普通に一般人が暮らしているだけの街かもしれない。


 それを、この目で見るために来た。




「その通りだね」




 そうして二人は、人々の住む街へと歩みを進めていった。




 石畳で整備された表通り、貴族街のそれと比べるとやや小さいものの十分に風雨を凌いでくれそうな家屋、服装にみすぼらしさのない人々。




 すれ違う人々は怪奇の目で見てくるが、別に変だとは思わない。見覚えのない人間が、風変わりな服装で歩いていたら、自分だって訝しいと思うはずだ。


 当初あれほど疑って意気込んでいたのがバカみたいに思えてきた頃。




「こんにちは、お二人さん。何かお探しですかな?」




 初めて話しかけてくる人間と出会ったのだ。


 白髪、長身、杖は備えているが、腰の曲がっていない老人だった。


 驚いていたのもつかの間、かなり年老いているように見えるが、老人の目にギラッと一瞬鋭い光を見た。


 反射的に体が動いて護身用に持ってきていた短刀に手をかけようとした時だった。




「ええ、少し、人を探しに」




 レシィが老人の問いに答えた。




「ほうほう、そうでしたか。ならば、ごゆるりと」




 そう言うと老人はスタスタと去っていった。


 ほっとしたその時、僕の頬を冷たい汗が流れた。




「ありがとう、レシィ」


「丁度よかったからいいのよ。聞きたいことが聞けたわ。ついでに──」




 そう言ってレシィは近くにいた少女に話しかけた。




「キミ、いつもこうしてお外で遊んでいるの?」




 先ほどの老人がにこやかに話していたこともあってか、少女は少し戸惑うような素振りを見せたが、すぐに応じてくれた。




「ううん?いつもはおうち中で遊んでるけど、今日はいっこだけ好きなことしていいって。もう明日からは遊べないって言うから、せっかくだからお外で遊んでるの!」




 僕とレシィの言葉が止まった。


 僕はその内容が衝撃で、彼女は多分、思った通りの回答で、それぞれ詰まっていた。




「そ、またね」




 レシィがその4文字を捻り出すと、少女は手を振って再び遊びに興じ始めた。微笑ましいだとか、可愛らしいだとか、そんな感情はとてもではないが湧かなかった。


 僕の心中では、考えすぎだと思っていた疑惑が、再び息を吹き返していた。




「あの子供は明日、出荷されるのでしょうね」


「最後に好きなことをさせてやる習わしなのかね」


「そんなところでしょう。産んで、育てて、要望が来て、選ばれたら私たちとそんなに歳も変わらない子供が──」




 レシィの口が止まる。


 すると何の説明も無しに僕の手を取りつつ魔法の手帳を取り出した。




「……街の、街のね。維持管理をほとんど無しでこのシステムを構築するのなら、私なら、社会にそれを組み込むわ」


「急にどうしたの……?」


「相互監視型の社会を作ると思うわ。街の治安、環境、社会構造の維持を妨げる行為は身近な人間に監視させる。誰か、手ごろなリーダーにでもまとめさせたらいい。家族と言うシステムを利用して管理させたっていい。そしてそんな社会で、子を産み、集団で育て、監視し、実った時に収穫する。これが当然のものだと刷り込まれた集団だとしたら、そうやって、この人間牧場を作り上げたのだとすれば、私達、もう上の人間にバレてるわ」




 さしもの僕でもピンときた。


 初めの街の人間からの視線に、僕が思っていた以上に不審者を見たときのような感情が込められていたことも。


 老人がここらのリーダー的な存在で、だから彼が話しかけてきたのだということも。


 彼の目に見た光の意味も。


 何の疑問も無く、少女がそんな人生を歩んでいることも。


 街の全貌が分からなかったとはいえ迂闊だった




「戻ろう──」




 まだ間に合う、と言う寸前。


 その言葉は遮られることになった。




「ご明察だ。流石、レウスの娘と言っておこうか」




 反省や後悔、焦燥、いろんな感情の整理が追い付かない中、最も聞き覚えのある、最も……嫌いな人間の声がした。




「そして、よくもやってくれたな。我が息子よ」


「父、様……」




 部下4名を従えた、父にして、幻惑の森の警備隊長が待ち構えていたのだった。


 いつの間にか手帳の効果は失われてたらしく、こちらの姿は見えているようだった。


 しかし、そんなことに気を取られている余裕などあるはずもなく。


 僕の頭にあるのはただ一つのみであった。


 すなわち──。




「レシィ、これから君に魔法をかける。森へ走って帰るんだ」


「そんな勝手なこと」


「『敵を映し、悪意あればその身に通さじ──水鏡』行け!!早く!」




 トン、と背中を押す。


 食い下がるでもなく、レシィは行ってくれた。


 ……くれたと思う。


 トンと押したその時から彼女のことは僕にも見えていない。


 そういう魔法をかけたからだ。


 まあ、でも森の際に手帳が落ちているから行ってくれたのだと思う。




「ふん、そのくらいの甲斐性はあったのだな」


「今まで見ようともしなかったくせに!」




 見下すような父の言葉に食って掛かる。


 言葉が、文字が、一つ一つが心を逆撫で、苛立たせる。




「それで、どうするってんですか。殺すのですか。余計なものを見た僕は、もう、本当の本当に要らなくなりましたか。やっとで、要らないと言ってくれるのですか」




 戦うことになったら勝てるわけがない。


 ……ので、この際嫌味の一つも言ってやりたくなった。




「そうだな。報告が上がってきた以上、何も無し、では話が付かん。さて、最後に何か、一言だけきく」




 終わりの時は思いのほかすぐにやって来たらしい。


 呆気ないな。


 悪だくみに与して、中身が思っていたよりも闇深くて、実の父に殺されるのか。




「ダリアによろしく」




 次の瞬間、体ごと真横に吹き飛ばされた。


 ほうら、勝負になんてなりやしない。


 魔法の言葉も、予備動作も無しにこれだ。


 最後の最後まで父のことは好きになれそうにない。


 頭が割れるように痛い。


 地面に打ちつけられた場所が熱い。


 意識があるということはまだ生きているのだろう。


 けっこう容赦ないな。


 どうせなら一撃で死ねる魔法を使うか、剣で首を刎ねてくれたらくれたらいいのに。


 そんなに嫌われていたのか。


 あーぁ、命乞いでもしてみれば良かったかな。


 そんなにないよ、命乞いができる機会なんて。


 だってその後大抵死ぬからね。


 レシィは家についたかな。


 彼女のことは不問にしてくれるかな。


 最後の言葉、レシィを見逃してほしいって言ったらよかったかな。


 ……意識が遠のく。


 焦点が合わない。


 何も…かんがえられ……ない。




 ▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽




 フィルズの父、フロウは目の前で横たわる息子を眺めていた。




「──すまないが、ロイア、これをキラスティア山の奥に飛ばしてくれ」


「難儀なものですね。あなたは」


「放っておけ。我が家の問題だ」




 ロイアと呼ばれた男はまだ何か言いたげであったが、肩をすくめるだけにとどめた。


 そのままフィルズの体に触れると、次の瞬間、あったはずの体はどこかへ消えてしまった。




「逃げた娘はいかがしましょうか」


「さあ?誰か見たのかね?」




 とぼける男の目は、その口以上に雄弁に語っていて、その決定に4人がこれ以上口を挟むことは無かった。


 ただ一人、ロイアだけはニヤニヤと笑っていたが。




「戻るぞ。仕事は終わりだ」


「今夜ぁ、一杯付き合いましょうかボス」


「よせ。知っているだろう。酒など、もう13年も喉を通っておらん」




 そう言って帰路につく父親の背中は誰の目にも、息子を要らぬと言うには似つかわしくないほどに、沈んでいるように見えた。


 森の中から来た者たちの去った街には、いつもの風景が戻ったのであった。


 全てが終わった頃には、空はすっかり、こがね色に染まっていた。

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