第4話 森抜け
現在地は貴族街の西側、僕の家からほど近い警備隊の休憩所になっている小屋の陰。
「やっぱり衛兵が多いわね。ここは」
「もしも、が一番起こりやすい場所だしね」
中心部からは最も近く、森が最も浅い場所。
警備は最も厳しい場所から森を抜けようとしていた。
人目につかず行きたいのなら、少しでも警備の薄い北側を通るべきだ。
そうできない理由もあるのだが、それはまた後で。
「やっぱり自分とこの民と隔てるのに、こんな大袈裟なやり方不自然だわ。それに私達が向こうの様子を見るのも禁止、警備もこっち側にいる、おかしいのよ、絶対」
「行こう。魔法陣は持ってきてるよね?」
「当然よ」
コクリと頷くとレシィは、いつか見た透明になる魔法が書かれた陣……を、そのままではなく、手帳型の物体に転写させた魔道具を取り出した。
陣の性能の程は自分も良く知っている。
今日使うのはあれから何度か改良を施したものを、持ち運びやすいよう、破壊されにくいよう魔道具化させたものだ。
僕も、この日のために、間違いが起こらないことを一緒になって確認した。
「手を」
そうして差し出されたレシィの手を取り、小屋の陰を後にした。
ゆっくり、ゆっくりと進む。
警備の人間からできるだけ距離を取りながら。
……性能が分かっていても、緊張はするもので、普段こんなことではかかない汗がジワリと滲む。
ちらりとレシィに目をやると、緊張と不安、それから若干の高揚が見て取れた。
あと8歩も行けば森に差し掛かるところだった。
「っ──!!!」
レシィが躓いた。
僕は繋いだ方と反対側の手で支えると、急いで彼女の口をふさいだ。
この魔法は音まで完全に隠し通すことはできないし、本体から離れた物は隠せないからだ。
1分ほど経っただろうか。
呼吸を整えたレシィから手合図で再出発することが告げられた。
森に、入る。
幻惑の森と呼ばれる森。
草はあまり生えていない。
木々は高く、濃く、薄暗い森だ。
抜けるのは困難とされるこの森だが、僕もレシィもそこは心配していなかった。
時をさかのぼること13日。
最初の打ち合わせの日だ。
「まず、聞かせてほしい。どうして森を越えてまであちらを見たいの?」
「そうね。あなたはそれを知る権利があるわね」
そうして語った。
理由の全てを。
とある日、彼女は書庫の地下室、禁書の棚でとある記録を漁っていたらしい。
それ自体は普段からやっていることらしいのだが、見つけた記録が看過できないものだったらしい。
記録と言うのは人数を記録した帳簿だったのだそうだ。
何の人数なのか詳細は明記されていない、が、「~~月分97人を受領」とか「男児70体を要請」とか、人間に対して使うにはあまりに似つかわしくない表現が散見されたとのこと。
それを読んだレシィは、この国の貴族が、人を人とも思わぬ扱いをしているのではないかと疑ったのだ。
「だから私は事実をこの目で確かめるの」
「確かめて、それで当たってたらどうにかできるつもりなのかい?」
「……」
「知りたいだけかい?」
「見てから決める。でもどうにかするなら人生を賭ける。だから、手伝って」
後ろめたさを感じさせない、真剣な面持ちでの回答だった。
嘘偽りのない彼女の本心であり、口説き文句だった。
正直、数日経って僕は気が引けていた。
だから少し、踏み止まらせる意味も込めての問いだったのだが、丸め込まれてしまったなと思う。
実際、気にはなるのだ。
自分たちの生活圏から隔絶された地で何が行われているのか。
背中を押されてしまった。
内心やれやれと思っていると、彼女が「あっ」と声を上げた。
「フィルズを誘ったのって、幻惑の森を抜けられると踏んでのことなのだけど、行けるでしょう?」
しかし、トリストリア家は森番の一家だ。
だからその後継者であるフィルズならば森抜けも叶うのではないかと。
だから誘った、と。
「なるほどね」
「それで、行けるの?難しいなら一人で何とかするつもりだけど?」
「詳しくは話せないけど、森を抜けて帰ってくるのは可能だよ。迷いもしない」
「そう、良かった」
なんだよ。
折角やる気になってたのに降ろされるところだったよ。
と、まあそういう訳で森抜けは僕が担当することになって、レシィもそれを信じて計画を進めてくれた。伊達ではないのだ。約10年の付き合いは。
時間を戻そう。
「『敵を映し、悪意あればこの身に通さじ──水鏡』」
僕は警備に聞こえないくらい小さな声で、魔法の言葉を呟いた。
短い言葉だが真隣で聞いていたレシィにも、すべて聞こえていたか分からないくらい、小さな声だった。
「……」
「……?」
特段のトラブルもなく森を進んでいると横からつつかれた。
何かあったのだろうか。
「ねえ、今のってどんな魔法なの。この森だけに効くの?」
「それ、あんまり言っちゃダメなんだけどね」
「どうなの」
詳細は言えないって前にも言ったよな?
だからわざわざ小声で唱えたのに。
こんな時でもレシィの好奇心が留まるところを知らなくて困る。
「まあ、その、使い道はこの森抜けるくらいのものだよ。あんま応用性とか無いよ」
「ふ~ん。七指創家の秘伝がそんなわけないと思うんだけどなぁ」
そんな会話もしばしば、森の向こうの光が見え始めた。
徐々に会話は減り、互いに緊張が高まっていくのを感じる。
そして──。
森を抜けた。
僕は静かに、一歩、また一歩と歩みを進めていった。
もう戻れない、終わりの旅の一歩目だとも知らずに。
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