第21話 満ちていく幸福

 ドラマが終わって、ユニット活動が始まった。

 立夏姉と一緒に歌う。立夏姉と一緒に踊る。ステージの上で隣に立つ。 手を繋ぐ、目を合わせる、笑い合う。

 たったそれだけで、胸が熱くなり、幸せが増えていく。


 一滴は、一滴だ。

 どんなに少ない量でもコップに水を注ぎ続ければやがて溢れるように、透明だったハートのペンダントの中は気づけばほとんど満たされていた。

 青がピンクになり、今では深紅に近い色になっている。

 

「あと少しで満タン」


 それが何を意味するのか、もうわかっていたけれど、あたしは怖くなかった。いや、すごく怖かった。

 最初からわかって近づいた。死ぬのは怖くない。怖いのは立夏姉に会えなくなること。

 そう思うあたしは綺羅じゃないけど少しおかしいのだろう。

 ユニット結成から一年、あたしは二十歳を迎え、年明けの成人式でお祝いされる立場になった。


『成人のお祝いしなきゃね』

『嬉しいー! 楽しみにしてるね』


 いつかに交わした軽口を立夏姉は覚えていた。ほんと、真面目。だから好き。

 あたしは成人の日の仕事が終わった後、立夏姉と待ち合わせしている事務所へと戻った。


 *


 成人の日の仕事を全てこなしたら夕方になっていた。

 オレンジ色の光がカーテン越しに差し込んでいる。

 あたしはやっと衣装を脱いで軽く身支度を整える。ほんとはシャワーも浴びたいのだけれど、さすがにその時間はない。


「ごめん、時間かかっちゃった!」


 立夏姉が待っている部屋の扉を開けると、姿勢よくソファに座ってスマホを見ていた。

 物音に気づいたのか、あたしの方をゆっくりと振り向き、軽く手を振る。あたしは小走りに駆け寄った。


「お疲れ様、今日は成人の日だったから大忙しだったわね」

「人生で一度だし、忙しいのは嬉しいことだから」


 口ではそう言いつつ、もうちょっとゆっくりしたかったと思うあたしもいる。

 成人式は同い年ばかりが集められるので、立夏姉とはどうしても離れてないといけない。

 久しぶりのオフだった立夏姉は、ジムやレッスンをずっと受けていたようで、ほんと女優が天職のような人だ。


「ね……どうだった? あたしの振袖」


 立夏姉の隣に座って、彼女の手を取る。

 ずっと感想が聞きたかった。少し前のめりになるあたしに、立夏姉は少し首を傾げながら背中を撫でられる。

 まるで落ち着いてと言われているようで、あたしは少しだけ身体を起こした。


「可愛かったよ」


 立夏姉の瞳が細められ、綺麗な三日月の形になる。

 この目が好きだ。優しくて、温かくて、あたしを包み込んでくれるような甘さがある。

 振袖で取材されたのは午前中だ。早ければ午後にはネットニュースに上がっている。

 立夏姉はあまりネットをチェックしない人だから心配だったのだけれど、見てくれたらしい。


「見ててくれてありがとう」

「こっちこそ、お祝いの日に来てくれて嬉しい」

「立夏姉が祝ってくれるなら、何を放っておいても行くでしょ」

「……仕事はきちんとね」

「はーい」


 あたしの言葉に冗談は微塵も含まれていないのに、立夏姉はまるで先生が生徒を叱る様にそんなことを言ってくる。

 こんな小さなやり取りにさえあたしの胸はくすぐったくなる。

 笑顔交じりで手を挙げたあたしに、立夏姉は「しょうがないなぁ」と言うように笑った。

 あたしはもう一度立夏姉との距離を詰める。今度は逃げられないように手を捕まえた。 


「それで、お祝いしてくれるの?」

「……約束だったしね」

「嬉しい」


 真正面から立夏姉を見たら視線を逸らされた。艶やかな黒髪から見える頬は赤くなっていて、どうやら照れているみたい。

 あたしは立夏姉にだけ距離感がおかしいと言われるほど、よく引っ付いている。そろそろ慣れてくれてもいいと思うのだけれど、彼女はこういうスキンシップはあまりしてこなかったらしい。

 立夏姉がこほんと小さく咳ばらいをすると席を立ち、あたしの前にそっと手を差し出す。


「行きましょ?」

「うん!」


 あたしは迷わずその手を取り、腕を組む。

 柔らいのに、しっかりとした強さと温もりがある。

 これを味わえるならメーターが少し上がってもしょうがない、とさえあたしは思った。


 *


 立夏姉がつれて来てくれたのは、落ち着いた雰囲気のレストランだった。 優しい間接照明が灯る空間で、真っ白なテーブルクロスの上には白い陶器に金で描かれた紋章が踊っている。

 メーカーはさっぱりわからないけれど、高いんだろうなとは思った。

 テーブルに着いている人たちもおしゃれな人たちばかりで、あたしは自分が浮かないか少し心配になったが、さすが立夏姉。

 「落ち着かないよね」と個室をとっていてくれたのだ。おかげであたしはマナーやどう見られるかなどを考えずに美味しい料理を食べられた、

 立夏姉はあたしの倍は食べてたけど、窓の向こうには夜景が広がり、特別な夜を演出していた。


「あー、美味しかった!」


 コース料理もデザートを残すだけになっていた。ウェイターさんがお皿を下げてくれて、二人だけになった瞬間あたしは大きく伸びをした。

 お腹がいっぱいすぎて少し苦しい。

 立夏姉のほうを見ると、あたしの倍近く食べているとは思えないほど穏やかに笑っていた。


「気に入ってくれて良かったわ」

「ねぇ、お酒飲んでもいい?」


 あたしの問いかけに、立夏姉は目を瞬かせた。

 彼女の中であたしはずっと年下の未成年だったから、その反応も仕方ない。

 立夏姉は少し苦笑した後、アルコールメニューを貰ってくれた。


「いいけど……飲みすぎはダメよ」

「そんなことしないから」


 というより、飲み過ぎれるほどお酒がわかるわけじゃない。しかも、こういう場所のお酒は大抵よくわからない単語が並ぶので、あたしは憧れていたシャンパンを立夏姉に選んでもらった。

 薄いグラスに注がれる黄金色の液体。

 ゆっくりと上がる気泡を眺めながら、あたしは小さく目を細める。


「よくお酒も飲むの?」

「家で飲んだくらいかな? 外で初めて飲むのは、立夏姉と一緒が良かったから」

「また、そういうことを言う」

「本当のことだもん」


 シャンパンを手に取りながら微笑む。立夏姉の前にも同じグラスがあった。

 考えてみると立夏姉がお酒を飲んでいる姿をあまり見たことがない。打ち上げの乾杯くらいで、あまり酔いもせず他の人の面倒を見ている。

 あたしは見様見真似でグラスを少し傾けてみた。立夏姉の前だから、嘘はつかない。あたしはできるだけ多くを立夏姉と一緒に経験したかった。


「イロハって前から私のこと特別扱いしてくれるよね」

「うん、立夏姉はあたしの特別だから」


 そう言った瞬間、立夏姉があたしをじっと見つめる。

 温かいはずのレストランの空気がふと張り詰めたような気がした。だけど、不思議と嫌な感じはなくて、甘ささえ漂っている。


「……あのね、イロハ」


 良く通る立夏姉の声が、優しく、でもどこか震えているように聞こえた。

 あたしは自然と背筋を伸ばし立夏姉の言葉を待つ。


「あなたも、私の特別なの」

「うん」


 いつもと同じように返事をする。普通にと自分に言い聞かせてみたけれど、言い聞かせるほどあたしの心臓は早くなっていく気がした。

 立夏姉はただ実直にあたしを見つめる。


「だから、これからもあなたの隣にいたいし、私の隣にいて欲しい」


 まっすぐな瞳があたしを捉えて離さない。

 期待と緊張があたしの中でせめぎあう。


「立夏姉……」

「私の愛しい人になってください」


 その瞬間、世界が止まった。立夏姉の組まれた手が少し白くなっている。

 あたしを見る目は今まで見た何よりも強かった。

 ずっと夢見ていたことが、今、現実になっている。


「……はい!」


 声が震える。視界がにじむ。

 泣くな、泣くな、泣くな……せっかくの瞬間をぼやけた視界で終わらせたくはない。

 対面に座る立夏姉も、頬を赤く染めている。これを見れて本当に幸せだ。

 

 カバンにかけていたペンダントの中で、最後の一滴が落ちた。

 ハートの中の水が完全に満たされ、色が真っ赤に変わる。 ついに、満タンになった。

 気にならないし、仕方ない。

 だって、今、あたしは世界で一番幸せだから。

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