第22話 延長時間
「綺羅、どうしよう!」
あたしの切羽詰まった声に、ソファに座っていた綺羅は、ゆっくりと顔を上げた。
不思議なことに、満タンになった後もすぐに死ねとは言われなかった。
一日くらい幸せを味わった方が良いってことなのかと思っていたら、一週間経ち、その間にさらなるビッグニュースが飛び込んできてしまった。
「なんだい、今更になって死ぬのが嫌になったのかい?」
あたしを見る綺羅の灰色の瞳は鋭く光り、なんだが不機嫌なようにさえ感じられた。
珍しい、彼は何があってもケラケラ笑っているか、困ったように肩を竦める人間と言っていいかわからないけれど、そういう性格だったから。
綺羅の皮肉交じりの一言を打ち破る様に、あたしは鼻息荒く、迷いなく頷いた。
「そう!」
綺羅の目が信じられないことを聞いたように大きく見開かれる。それから満足そうに腕を組んだまま。うんうんと頷いた。
「それは行幸。やっぱり人は幸せを味わわないと絶望しないからね」
くすりと皮肉げに笑う綺羅は、きっとあたしが予想通りの反応をしてくれて嬉しいのだ。
だけど、あたしにとってそれは全く関係ない。さっき立夏から来た連絡で、あたしには死ねない理由ができてしまったのだから。
あたしは興奮した様子で詰め寄った。
「立夏に映画の主演の話が来てるんだって!」
「うん?」
「聞き間違えたかな?」そう言いたそうな表情で綺羅が首を傾げる。あたしは勢いよく手を握りしめ、早口で続けた。
「やっと立夏の夢が叶うの! どうせならそれを見てから死にたいっ」
立夏の主演映画。それを見ずに死ぬわけにはいかない。
だって映画の主演は彼女が出会った時から言っていたことで、朝ドラも十分、魅力的な役だったけれど、立夏は映画みたいな撮り方の方が良いと勝手に思っていた。
綺羅は呆れたように大きく息を吐き、肩をすくめた。
「君の話はいつでも立夏、立夏、立夏……もうちょっと自分のことはないの?」
「そんなこと言われても、あたしの夢でもあるし」
立夏と出会ってから自分がいかに立夏バカになっているかは自分でも重々承知している。
だからこそ、綺羅相手にこんなにも馬鹿なお願いをしているのだ。
あたしは自分の胸元からペンダントを引っ張り出し、綺羅の目の前に掲げた。
満タンのハート。満タンの幸せメーター……綺羅は認めないけれど。それを見せてらあたしは詰め寄る。
「これって幸せが溜まってる証拠なんでしょ? なら下げる方法もあるんじゃない?」
貯まった瞬間に死ぬようなシステムなら、あたしはすでにここにいない。
綺羅は絶望の中で死ぬ魂が好きと言っていた。ならば、彼がそれを一番味わえるときに死ぬはず。
綺羅相手の交渉ならば、まだやれる事はある。
「僕は君に死んでもらった方が都合が良いんだよ? なんでそんなことを教えないといけないんだい」
呆れたように両手を広げ肩を竦める綺羅の前に立ち、じっと目を覗き込む。
「綺羅は、あたしに一番幸せな時に死んで欲しいんでしょう? なら、あたしは立夏の映画を見た時の方が絶対幸せだよ」
間違いなく、それは言える。
このメーターは溜まってしまったけど、立夏の映画主演を見えたら、間違いなく幸せだ。
あたしの言葉に綺羅は首を何度か横に振った。
「……自分で自分の傷口を深くする選択だよ?」
「知ってる。でも、それでもあたしは立夏の映画を見たい!」
きっとこの欲はキリがない。立夏の隣にいれるなら、いつまでも隣に痛くなってしまう。
その日になれば次の立夏を見たくなる。わかっていた。
綺羅は譲らないあたしの態度に静かに目を細めると、深いため息を吐いた。
あ、やっぱり、あたしが死ぬ時を伸ばす方法があるんだ。
「簡単なことさ、君の幸せが減ればいい」
「具体的には?」
幸せを減らす。それがあたしだけで行えるなら良い。けれど、他人を巻き込むことなら、ちょっとためらってしまう。
だって、あたしは立夏に幸せになって欲しいわけで、あたしだけで済むならいいけれど、その結果、他の人に迷惑をかけるようでは立夏も喜ばないと思うのだ。
綺羅は呆れをにじませた表情で首を傾げた。
「そうだね。君が今されて一番嫌なことは何?」
一番嫌なこと。仕事としてNGは作っていない。だけど、立夏と恋人になれて、女優としても働いている今、一番嫌なことは――
「立夏以外とラブシーンすること!」
ポンと口から飛び出ていった答えに、綺羅はくすりと笑った。
「女優としては致命的な弱点じゃない、それ」
肩を上げるようにして、首を横に振る。
ラブシーンの需要はラブシーンがある人に任せればいいのだ。
仕事的に逃げられない部分であるとは自覚している。だけれど、あたしには時間がない。良い意味でも悪い意味でも。
「いいの。どうせ生きてる間にラブシーンするような役は入らなそうだし……その方が立夏を不安にさせないし」
立夏と付き合ってわかったことの一つに、思ったより恋人には独占欲があるということだ。
あたしが元々ベタベタする質だったからか、他の人と距離が近いと立夏の側に引っ張られる。
自分はラブシーンをしたことがあるのに、きっとあたしがするとなると泣きそうな顔になるのではないかと思っていた。
可愛い人。年上なのに、そんな部分まであるなんて完璧じゃないか。
「じゃあ、強引にラブシーンしようか」
「はい?」
にっこりと嫌味ったらしい笑顔だった。
この男は人が嫌がることをするのが大好きなのだ。性格が悪いと思いつつ、こんな性格だからこそ、立夏を助けてくれたのだとも思う。
ぐっと奥歯を噛みしめる。綺羅はあたしの方に少し身を乗り出した。
「僕が君を襲ってあげるよ。それで、騒ぎにする……君は嫌なことをされて不幸になるし、評判も落ちる」
やっぱり、そういうことか。
あたしは苦々しさを胸に押し込む。間違いなく今のあたしがされて一番嫌なことだ。
このペンダントを渡してきた綺羅が言うのだから、その方法で幸せメーターは下がるのだろう。
あたしの中の懸念は一つ。
「立夏には内緒でできる?」
「それは君が頑張らなきゃ」
綺羅の口元がニヤニヤと歪んでいた。面白がっている。あたしは半眼で綺羅を見つめると、唇を噛む。
立夏に隠し事をするのは嫌だけれど、こればかりは仕方ない。
いくら恋人になったとはいえ「もうちょっと生きたいので男とキスします」と伝えられる気はしなかった。その瞬間最初から最後まで問い詰められる絵しか見えない。
「はー……綺羅に襲われるとは、最悪じゃない?」
「それか今命を貰っても僕は構わないんだよ。恋人の映画を見たいなんて、甘っちょろい理由で待ってる僕って優しいと思わない?」
優しい?
それは言葉の意味を辞書で引いてこいと言いたいくらいだった。
天秤にかける。かけたところで、あたしの秤は一方にしか傾かないのだけれど。
「立夏の映画を見るためならするしかない、か」
ごめん、立夏。とあたしは心の中で謝る。
覚悟を決めるためにぎゅっと拳握りしめると、綺羅はあたしを見て肩をすくめた。
「まったく、絶望を深くするために努力する人間なんて聞いたことがないよ」
綺羅を軽く睨む。別に絶望を深くするためではないし、あたしにそんな趣味はない。
あたしはちらりとペンダントを見る。深紅の液体がまだ満たされたままだった。
立夏の映画が完成するまで、あたしは生きたい。その後、死ぬことでどれだけの絶望を味わうとしても。
「……あたしにとっては、一番大切なものを見るための時間だから」
「そう」
綺羅はあたしの言葉に少しだけ目を伏せた。
あたしは大きく息を吐き、髪の毛を掻き上げる。それから、綺羅に言わなきゃいけないことを思いつく。
「あ、キスまでにしてね。それ以上はぶっ飛ばすから」
「はいはい」
キスする振りだけではだめだろうか。そんなことも頭を過るがさすがにだめだろう。
軽い調子の綺羅の返答に、念を押すように目くばせをする。ある意味、何よりも綺羅と取引をした気になった夜だった。
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