18の恋(後編)

18の恋(後編)①

ざしゅ、ざしゅ…、洗い物をする手が止まる。

水道から流れる水とは別の温かい水滴すいてきが、洗剤で泡立った僕の手の甲に落ちた。


それが自分の目から流れたものだと、僕は気付いた。


アルバイトの、洗い物の最中に僕は知らずしらずのうちに涙を流していた。

僕は目を袖で擦り、なんとか仕事に集中しようと努めた。


しばらくして、そんな僕の様子を上司が見ていられないといったように、

「なぁ、今日は早めに休憩せぇ。午後からは回復してや」

そう言われるままに少し早い時間で休憩をとった。


昨日の今日で僕は、すっかり上の空だった。


昨日の夜、同窓会が終わり、Aさんに家まで送ってもらった後、ほとんどろくに眠れなかった。

だが、原因は寝不足ではない。

この夏、寝不足で仕事をすることなど何度もあった。

そんなこととは関係なく、僕はずっと同じことを頭の中で繰り返し思っていた。


Aさんに逢いたい…。


昨日の同窓会のことを、何度も何度も繰り返し思い出していた。


こんなにも誰かが恋しくて、切ない気持ちになったのは、生まれて初めてだった。


そんな身の入らない状態のまま、日曜の仕事が終わり、明けた翌月曜日。


僕はAさんにメールを送った。

同窓会お疲れ様といった、他愛ないメールを何度かやりとりした後、僕はAさんに伝えなきゃいけないことがあると前置きして、Aさんに好きだという内容の告白文をメールで送った。


本当は、会って直接伝えたかった。だが、高校二年生の時にした告白を思い出すと、どうしてもそれが出来なかった。

言いたいことが緊張で何も言えずに、伝えたいことの二割も伝えられないままフラれたあの告白。あの時は後悔しかなかった。


だから、これが今一番、僕の気持ちを正確に伝えられる方法だと思った。


第一、次に彼女に会えるのはいつになるのかわからない。

次はどんな理由で彼女に会えばいいのか。

その時までこの気持ちをずっと胸に留めておけというのか。


そんなことは無理だ。

耐えられるわけがない。


出口を失った風船の中のガスが膨張ぼうちょうを続けるように、ただ僕の気持ちはふくらむばかりだった。

僕はそんな気持ちがいつか張り裂けて、頭がおかしくなるんじゃないかと思うほどだった。


それにしても…、メールを送ってすでに15分は経っている。


遅すぎる…。


Aさんは僕のメールを見て何を思っているだろうか。

驚いたろうか?それとも僕の気持ちを迷惑だとは思わないだろうか?


僕は居ても立っても居られない気持ちのまま、永遠に時が止まったかと思うような気分の中で、Aさんからの返信が来るのを待った。


結局メールが返ってきたのは、そのさらに五分後だった。


僕は恐るおそるAさんからのメールを開いた。


メールには、

「ありがとう、少し考えさせて」

とだけ書かれていた。


Aさんへ告白メールを送ったその次の日、今度はAさんからメールが届いた。

その内容は、

「今度、遊びに行かない?」

というものだった。


メールにはそう書かれていて、これはまさしくデートの誘いだと僕は思った。


僕は仕事の休憩中にそのメールを受け取り、飛び上がりそうになった。

そしてそのことを近くにいた友人に飛びついていき、さっそく話をした。

嬉しさのあまり、誰かに話さずにはいられなかったのだ。


この彼とはしょっちゅうそういった話で盛り上がることがあり、その度にくだらないことも真面目なことも、バカみたいに熱く語り合った。


Aさんに逢える、それが僕は嬉しくて仕方がなかった。

でも、その一方で不安にもなっていた。

好きという気持ちを伝えてしまった相手に、一体どんな顔をして会えばいいのだろう。

そもそも、女の子と二人で出かけるなんて、生まれて初めてだ。

(小学生の頃に異性の同級生と遊ぶことはあったが、正確には好きな女の子と二人で出かけるのが初めてだった)

それは考えただけで、顔から火が出そうになるくらいだった。


僕はそれからも、Aさんのことを想い続けた。

それはアルバイトの最中に、家でギターを弾いている最中に、友達と遊んでいる最中に、夏のうだるような暑さの昼過ぎ、和室で寝そべっている午後に、タオルケット一枚をお腹に被せ眠りに入るまでの長い夜に。


僕の頭の中には、どんな時もAさんが溢れていた。


そして、どうしても不思議なことが一つあった。

Aさんの格好、声、いた場面。

そのどれを思い出せても、なぜかAさんの顔だけが僕の情景じょうけいに浮かんでこなかった。

Aさんがどんな顔で笑い、僕とどんな顔で話していたのか、どうしても思い出せないのだ。


それはあの同窓会の日のことに限らず、高校生時代のAさんの顔や思い出さえも例外ではなかった。


僕は必死にAさんの顔を思い出そうと、高校時代の卒業アルバムを開いた。


Aさんが在籍ざいせきしたクラスの顔ぶれが並ぶ中に、Aさんの笑顔があった。

そうだ、これがAさんだ。

それでも、やはり僕が思い出せるのはその写真のAさんの顔だけだった。

まるで思い出がそこだけきりに包まれてしまったかのようだった。

それは、とても幸せな霧の中に…。

僕はそれからも、何度もその卒業アルバムを繰り返し開いた。


そしてついに明日、Aさんに逢えるという日、Aさんからメールが届いた。

「仕事中に怪我して明日遊べなくなっちゃった、ゴメンね」


僕はそのメールを見た瞬間パニックになり、

「足は大丈夫!?」

と、なぜかAさんが怪我をしたのは足だと思い込みをしてメールを送ってしまった。


Aさんは「足じゃなくて、ひたいを怪我したんだ(笑)」と苦笑いに近いメールを返してくれた。

だが、額なら額でそれはやはり心配だ。

当のAさんは怪我自体は大したことがなかったらしく元気であるようだが、結局Aさんに逢えるのは次の週に持ち越しとなった。


僕は安心したのと同時に、また長い一週間を過ごさなければならないのかと思い、憂鬱ゆううつな気分にもなった。


そうして再び一週間が始まった。

Aさんのことばかりを想う一週間が。

CDコンポから、当時聞いていた青春パンクロックが流れては、その歌詞に僕は自分自身の気持ちを重ねていた。

そのたびに涙が流れそうになるくらい切ない気分に浸っていた。


そうして長いながい一週間がようやく過ぎようとしていた。


デートの前日、Aさんとのメールで明日はビリヤードをすることが決まった。

僕はビリヤードをやったことがなかったのだが、Aさんが教えてくれるというので、それならばやってみたいなと思った。


そして、いよいよAさんと逢える日を迎えることとなった。

もちろん、前日の夜は胸が高鳴り、ほとんど眠れるはずもなかった。

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