体験記④

【体験記④】

仮住まいでの暮らしを始めしばらくして、実家の焼け跡が片付けられ、プレハブ小屋のような食堂と我が家が現在の食堂駐車場部分に建設された。

今度はそのプレハブ小屋のような家での生活が始まった。

プレハブ作りの仮住まいは、一階部分が食堂、二階部分が住居となっていた。

二階部分はワンルームで、外付けの階段を登り、扉を開けると靴脱ぎがあり、部屋の奥側は畳敷だった。

私たち家族はこの畳敷部分で眠りについた。

トイレと風呂は、二階から階段を降りた左手に仮設のものが備え付けられていた。したがって、風呂にもトイレに行くにも、私たち家族は外に出て階段を降りていく要があった。

この仮設住宅ができてすぐ、冬が迫っていた。

お風呂から上がった際などは、せっかく温まった体が冷えないよう急いで階段を上がった。

また、私の地元は冬になると多少だが雪が積もる土地だった。

雪が階段に積もり、滑りやすくなっていたため、風呂上がりの弟が滑って階段から落ちたことがあった。

階段の下はコンクリートだったし、今でこそ笑い話になるが、雪の積もった階段は特に危険だった。

そんな仮設住宅にも、近所の同級生などが遊びにきてくれたりもした。

そうして一緒にテレビゲームなどを行った。


そうした仮設住宅での生活を続け、やがて冬が過ぎ、春になると、ようやく新しい我が家が建設された。

これが現在の私の実家である。

仮設住宅は撤去され、そのあとには食堂専用の駐車場が出来上がった。

こうして、小学三年生の激動の一年を私たち家族は過ごした。

私はまだ幼かったため、当時の両親がどれだけの苦労を乗り越え、あの一年、いやその後の生活を過ごしたか知らない。

ただ、今現在の私がこうして、ちびまる子ちゃんの某ナガサワくんのように悲観的でひねくれた性格にならなかったのは、家族のおかげだと思っている。

父は今も実家で食堂を続けている。

母はたまに賞味期限ぎりぎりの食料品を、本気ともネタとも思える走り書きとともに仕送りしてくれる。

兄は東京で仕事に就き、弟はなんの因果か今は地元島根で消防士の職に就いた。


私は今もたまに思うことがある。

あの火事がなかったら、私や、私の家族の人生がどう変わっていただろうか。

だが、起こったことは変えられない。

そうして今では、あれはあれで貴重な私の人生の体験のひとつだったのだと思っている。

最後にもう一度断っておくが、これはあくまでも私個人の感想であり、両親や兄弟があの体験をどう思っているかは別の話であると言っておこう。


2015年12月-。

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