体験記②

【体験記②】

私の実家は両親が、いわゆる大衆食堂を営んでいる。

母は家事に育児に仕事にと、それは想像するだけで大変な毎日を送っていたのだと思う。

実家は店を兼ねており、実家の一階スペースの一部が食堂部分となっていた。

場所は地元の駅のすぐ目の前にあり、立地は良かった。

常連客はもちろん、私が幼い頃、実家の向かいの路地の先には工場があり、そこに勤める従業員たちも足繁くに食堂に通っていた。ちなみに現在、この工場は無くなっている。

幼い頃からこの実家で育った私は、居宅と食堂を行き来していた。

食堂に顔を出せば、そこにはいつも働く両親の姿があったのだ。


小学校三年生になった私は、その日、小学校で昼休みを同級生たちとともに騒いでいた。

そのときだった。

友人が窓の外を指差し、

「あっ、火事だ!」

と言った。

友人が指す方を見やると、そこには遠く黒い煙りをあげている区画があった。

「駅前の工場じゃないかな」

友人はその方角にある工場で火事が起こったのだと、見当をつけて言った。

確かにそれは駅の方角で、私にも工場での火事のように思われた。

このとき私は、完全に他人事として、そのもくもくとあがる遠くの煙りを眺めていた。

昼休憩が間もなく終わるという直前くらいだっただろうか。

備えつけのスピーカーから、校内放送が流れた。

私と、同じ小学校に通う一学年上の兄の名が告げられ、すぐに職員室に来るようにといった内容だった。

私はなにか呼び出しを食らうようなことをしただろうかと訝った。このとき、あの先ほどの光景とこの呼び出しとを結びつけるという発想は、露ほどもなかった。

兄と合流し職員室に向かうと、先生から今すぐに帰宅するようにとの指示があった。

その際、事の詳細が伝えられたのか、とにかく帰るようのみ言われたのか、記憶は定かではない。

私の実家が火事になったのだ。

そして先ほどの煙りは、工場などではなく、私の実家からあがっていたのだとようやく思い至った。

兄とともに、学校を後にした。

小学校から実家までは、歩いて10分程度の距離だったため、帰る分にはさして時間はかからなかった。

そして帰宅した私が目にしたのは、野次馬の人だかりと、消防士たちと、野次馬の中に佇む両親と幼い弟の姿と、すでに鎮火を終えてぐちゃぐちゃになった実家の無残な姿だった。

火事の後、というものを想像したとき、私はそれまで炎や、焼け跡や瓦礫、そういったものを思い浮かべていた。

実際には違った。

そこには、無残にも焼け焦げた家具などが、放水でびしょびしょに濡れていて、火事というよりはまるで大洪水がそこだけを飲み込んだような有り様だった。

消火活動の激しさを物語っていた。

人だかりから母が私を見つけると、私に近寄り母は涙を流しながら、

「燃えちゃったよぉ」

と涙声でいった。

私は、そのとき生まれて初めて母の泣いた姿をみた。

それまで母のそんな弱い部分を見たことがなかった私は、とてもショックを受けた。

実のところ、火事そのものよりも、そんな母の姿を見たことの方が私には衝撃的だったのだ。

幼い私には、両親は一番近い存在の大人であり、どこかその存在には絶対的な包容力だとか、大人はイコールで強い存在だと思っていた。

それがこの母の姿に、両親も傷つき泣くこともある同じ人間だったのだと、初めて知らされた思いだった。

もちろん、火事になるということがどれだけ凄惨なものかを計る物差しが、幼い私の中にまだ備わっていなかったことも、大いに関係しているだろう。

今でも数少ない幼い記憶の中で、あの母の姿はいまだに焼き付いている。

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